ひょうきんな火田先生

2019/08/16 自サイト ひょうきんな火田先生
うちの合唱サークル、プチマァムで指導にあたっている
声楽家の火田先生(仮名)は、ひょうきんです。

今回のギャグは、こんな感じでした。

合唱曲のひとつ、フランスの歌として歌われる
「おお、シャンゼリゼ」
では、Nさんを含む代表3人組がシルクハットをかぶって
最前列でダンスをします。
ところがNさんは、ダンスが始まってもシルクハットをビニール袋にいれてました。
先生がそれを叱ったので、わたしは、
「でも、Nさんはちゃんと用意してましたから」
と茶々を入れてしまいました。
すると、先生は突然、Nさんのビニール袋を、
頭にひょいっと載せて、
「こんな感じで踊るの?」
とダンスを始めるのでした……

思わず噴き出してしまいましたが、
叱っていてもユーモアを忘れない
火田先生は面白い人です。

気まぐれで忘れっぽくて
感情的なところが多々あるためか、
古参の会員は全員やめてしまいました。
火田先生はめげてしまうかな、と
心配していましたが、
「わたしには歌がある!」
と吹っ切ってしまいました。

独身を貫く強い個性の女性、火田先生。
見ていて飽きない人です。
今後も観察を続けよう、と思ってます。

『ゲーテとの対話』(上)を読む

「いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならない」
(ゲーテとの対話 上 P68  山下肇訳 より)
水木しげる展で、水木先生がゲーテにハマっていたという話がありました。
それで、ゲーテとの対話(上)を図書館で借りて読むことにしました。
そのなかで、出会ったのがこの言葉。

一歩づつを目標だなんて、考えもしてませんでした。
いままでわたしは、なにをしていたんだろう。
思い起こせば、寝てばかりいた30年間。
起きているときはネットゲームにうつつをぬかし、
ミッションなどをしては喜んでいました。
そのミッションでなにを得たのかと言えば
珍しいモニュメントが、広島にもたくさんあるという事実。
価値のある一歩かもしれませんが
それで学んだことを活かせていない。

自分で決めた目標があるのなら、
それに向かって努力しなくちゃいけない、
ということなのでしょうが
芥川賞なんて遠すぎるし
直木賞なんて柄じゃないし
結局、なにを目指したらいいのかわからない。
それでも、ひとつぐらいは発表したい作品がある。
がんばろう、と気持ちが奮い立ちました。

ありがとう、ゲーテさん!

トレーニング2日目! 減量するぞ!

今日はスポーツセンターでのトレーニング通算2日目です。
いろいろ揃っているマシンの、使い方を教えてもらいました。
靴やヨガズボンを履き替え、荷物を更衣室に入れたら
15分もかかってしまいました……。

自転車を15分漕ぎました。表示によると、36ワットの負荷をかけ、
キャンディを1個ほどカロリー消費しました。
自転車こぎの間、室内のワイドテレビを見てました。
京アニの地元が甲子園に出た応援歌として、『響け! ユーフォニアム』の
テーマをブラバンしたことが放送されてました。
地元住民の要望だったそうです。

観察は長く続かない。
次に太ももの運動マシンをしようとしたとき、思わず絶叫。
「足が届かなーい!」
女性トレーナーが噴き出してました。
ダメじゃん、という感じで世話してくださいました。
スーパーで買い物があるので、45分程度で帰りました。
シニア男性しかいない上に、だれからもスルーされました。
無意識に期待しているから、
話しかけられないのかもしれない。
よけいなおしゃべりをしてると叱られるのかも。

運動はつらいですが、応援してくれる人がいる。
自分のためにというより、その人のために
毎日運動しようとあらためて決意するのです。

楽々園の壁画とハリポタ魔法同盟

1㎏太ってしまいました。運動をバッチリするつもりで
佐伯区スポーツセンターへ自転車で行きました。
ここには、運動のためのマシンがそろっています。
冷房も効いているため、熱中症の危険は少ないのです。
今日は1時間以上運動するつもりでいたのですが、
火曜日は定休日ということでした……TT
それで、少しハリポタ魔法同盟で遊ぼうということで、
スポーツセンター近くを自転車でコギコギ。
小さな町で、こぎれいな家々に小さな庭があって、
木々にシャワーで水をやっている女性がいました。
横のボーダーラインが入ったタンクトップに、茶色い短パン。
みょうに色っぽかったです。

カラスが道を横切っていきます。
公園があるというハリポタの表示に目をあげると、
目の前に小さな木を植えてあるマンションが……。
マンションに公園が浸食されたのか、
表示が間違っているのか。
どちらにせよ、ここには公園はありません。

その代わり、堤防に壁画がありました。
夏の海をイメージしたような、原色のカニや
クジラなどの海の生物たちが
ところせましと堤防の壁を彩っているのです。
現代技術の粋を集めたようなゲームをしつつ
小学生の描いた壁画を眺める。
暑い日差しを浴びながら、
この絵を描いた子どもたちの未来に思いを馳せて
今日の運動は終わりました。

カクヨムに5つプロットを投稿しました

カクヨムの『夏の甲子園 大人も参加できる夏の企画』
において、4つのテーマを自由に選んで
5つ以上、プロットを近況報告にUPしたら
図書カードが抽選でもらえる、とのことでした。
10個以上プロットをUPしたら、
特製のストラップがもらえるそうですが
それは要らないので放置(というより10個も作れない 笑)

ほかの人がどういうプロットを書いているのか、
興味はありますが、それ以前に、
自分のプロットを再チェックしてみて、
やっぱり 魔法とか ちょっと異様なものとか
時間旅行ものとか、そういうファンタジーやSFの色が
混じっているのが多いように感じました。
あきらかに現代の純文学の傾向じゃないですね
(泉鏡花なら評価の対象になったかもだけど 笑)

自分のプロットを眺めながら、
あいかわらず 雑味の多いプロットだなと思ってます。
ストーリーもいろんなのを詰め込みすぎて
なにが言いたいのかわからない。
でも、プロの中にもそういう雑味を入れてる人もいる。
ひとつだけに絞ったらページ数が余っちゃうからかな(笑)

起承転結とか5W1Hとかよく言われますが、
最近になって、それがどういうふうに文章を形作っていくか、
わかってきた気がします。
水木しげる先生は、「やらずにいられないことをやれ」と言っていました。
辛くなることも多い創作ですが、やらずにいられないのです。
認められなくても、やらずにいられないのです。
そういうものを見つけられたのは、幸せなことなのかもしれません。

夏の点描

セミの声がいっぱいです。
それはそれは、いっぱいです。
道路からは、湯気が出ています。
子どもが公園に駆けて行きます。

近所のプールは、水がなまぬるいそうです。
海は、くらげがいるそうです。
最近は、くらげの代わりに、レジ袋が浮かんでいるそうです。
くじらがレジ袋を食べて、消化不良で死ぬそうです。

セミは絶叫しています。
子どもたちはそれを捕まえます。
カエルは小川の近くで昼寝しています。
トンビが暑さで屋根に巣を作るのをあきらめています。
カラスが電信柱で仲間と争っています。

お盆がやってきます。
ご先祖さまが、山からやってくるそうです。
団地になった山のどこに先祖の住む場所があるのでしょうか。
天国からやってくる?
羽をつけて輪っかをつけて?
白い衣装に、竪琴までかかえて?
なんだか、違う世界にいるみたい。

幽霊も、出てくるお盆休みです。
幽霊は言います。
「わたしたちのことを、忘れないでね」
怖い話でドキドキしたり、
声を潜めて百物語をするときに考えます。
幽霊の行き先は、どこだろうって。
セミの声は秋になればなくなります。
それがセミの一生なのです。
生きてるって、ふしぎです

ハーゲンダッツの日

北欧の町『コペンハーゲン』+響きの良い『ダッツ』を組み合わせた、
今日は特に名前に意味のないハーゲンダッツの日です。
ä のつづりが、デンマークっぽさを演出してますが
文法的には間違ってます><

わたしがハーゲンダッツと出会ったのは、忘れもしない大阪難波、
1985年8月頃でした。
いままでのアイスクリームと一線を画す、濃厚でリッチな味わい。
「日本製は素晴らしい!」
と言われていたバブル絶頂期に、
外国のものでもいいものがある! と衝撃を受けました。
でも、しょっちゅうは食べられませんでした。
だって、高いもの。

アイスクリームのカップに入った製品は、
コンビニの冷凍庫から出したばかりの時は硬くて食べられませんでした。
外に数分おいて、少し柔らかくしてから食べました。
ハマったのは、ラムレーズンのアイスクリームですね。
のちに期間限定商品になって、とても残念に思いました。

ハーゲンダッツを食べるたびに、大阪の街並みを思い出します。
一粒300メートルのグリコのネオン。
巨大なカニの看板がうごめき、くいだおれ人形がテンテケ小太鼓を叩く。
ハーゲンダッツの店から出てきて、この落差にめまいを感じつつ、
みんなといっしょに、ゲームセンターへ!
ハーゲンダッツ、また食べたいな(ムリです)

もともと特別なオンリーワン

2019/08/08、夫から8月6日の中国新聞の特報をもらいました。
平和宣言;核廃絶へ政府に訴え 惨状伝える短歌引用
と冒頭に書いてありましたよ。
短歌引用は、はじめてのことだったらしい。
被爆者の思い条約批准を、というのがタイトル。
この条約とは、核兵器禁止条約のことですな。
日本は、この条約は意味がないとして批准していないそうです。
アメリカの顔色をうかがっているからでしょうね。
強い国に武力で守られているのは事実です。
意味がないというのはタテマエとしては弱い気もするが
主張の仕方が日本らしくて笑っちゃいます。

いま、大切なのはインドの独立に関与したガンジーの言及する
『寛容』の心の大切さ。
自国第一主義が台頭しているのは、アメリカだけでなく
日本も西洋もおなじことらしい。
他人の身になって考えるのは難しい。
他人はわたしじゃないから、想像と現実が違ったりすることもある。
だけど自分のことは自分がいちばん知っているというのは
錯覚かもしれない。
『汝自身を知れ』とギリシャ哲学にあるそうです。
自分こそはと思うこころのうらに、
不安と恐怖が渦巻いている自分自身がいるかもしれない。
寛容であれば、そんな自分を直視できる余裕も出来る。

核兵器よりも、自分自身がこわいんだよね。
令和に入ってから、つくづくそう思うようになったわたしです。

一分間の沈黙

昨日、原爆の灯籠ながし申し込みに行ってきました。
雨の中、申し込む場所(原爆ドーム近く)にまいりますと、いつもならスピーカーでデモをしている人々の姿が見当たらないのです。
ふしぎに思っていると、その日のニュースに、
「市がデモ抗議を、一分間の黙祷の間だけでもやめるように条例を定めつつある」
という情報を流していました。
8月6日8:15になると、被爆者や関係者たちが、一分間の黙祷をします。
その間、デモをしている人々が、スピーカーで「核兵器反対!」と叫ぶのです。
お祈りをする間ぐらい、黙ってくれないか、というのが市の言い分。
その日だからこそ、叫ぶ意味がある、というのが人々の意見。
ほかの日だったらダメなのかなというのが、わたしの素朴な意見。
8月15日になったら、戦争反対と叫ぶ人が東京の靖国神社でデモする、という話は寡聞にして知らなかったりします。
人には行動の自由と表現の自由があるし、ロシアに取られた領土を戦争で返してもらおうという人もいるから、デモをしたくなる気持ちもわかるけど。
一分間の黙祷、がまんできませんか。

水木しげる展とわたし

暑い日が続いています。8月1日に水木しげる展へ行ってきました。
赤貧洗うがごとしという状態だった水木しげるが、長い下積みを経て、講談社の漫画賞を獲り、貧乏から這い上がっていくさまが展示されていました。

ゲーテが好きだというので、本を借りてきました。水木しげるの『ゲゲゲのゲーテ』という本で、『ゲーテとの対話』から93の名言・格言を集めたものです。
意外だったのは、妖怪ばかり描いている人なんだから、外国のものは興味がないのかと思っていたら、聖書を読んだことがあるそうです。(新約聖書のみらしいけど)。文語体の聖書が心地よかったと書いてありました。

わたしも実家に、文語体の聖書(旧約聖書含む)を持っていたことがあります。とっつきにくかったけど、リズミカルで格調が高く、わかりづらいなりにも暗記したことがありました(いまは綺麗に忘れてます 笑)

水木しげるは、自分はクリスチャンじゃないが、イエスの生涯が感動的だ、死ぬとわかっていてそれでもエルサレムに行くなんてすごいと言ってます。そして死後は形を変えて生き続けると信じている。そのままの人間として生き返る云々というのは信じてない。人それぞれのスタンスで、興味深いことでした。