出エジプト記(前編)

 出エジプト記とは、それまでイスラエル人が暮らしていたエジプトを脱出し、約束の地へと集団で旅に出た道のりを、モーゼを中心にして描いた物語です。少し長いですが、お付き合いください。

 一:事の発端

  前回、ヨセフが家族をエジプトに呼んだことから、何十年も月日が経ってどんどんイスラエル人が増えてきました。エジプトのファラオは、これを脅威と考えました。自分の国の中に、異分子が増えるとややこしいですからね。
 そこでファラオは、イスラエル人の中で、生まれた男の子はぜんぶナイル河に放り込め、女の子は生かしておけと命じます。
 で、イスラエル人の中で、祭司の血筋の女性がみごもって男の子を産みました。かわいかったので三ヶ月、隠しましたが、隠し通せなくなって男の子をパピルスの籠に入れ、アスファルトなどで防水して河に流します。すると、ちょうどそこへ水浴びに来ていたファラオの王女が、赤ん坊を見つけて「可愛い!」と言って河からひきあげました。イスラエル人の子であっても、引き取って育てたいと言い出します。心配で隠れてそばにいた赤ん坊の母を乳母にして、王女はいいました。
「この子は水の中からわたしが引き上げたから、マーシャー(モーゼ)と名づけます」
 ということで、モーゼは王子として育てられることになりました。

 二:エジプトからの逃亡、モーゼの召命

 モーゼが成人したころのこと。彼は同胞イスラエル人のところへ行き、彼らが重労働に服しているのを見ました(映画『十戒』では、ピラミッド建設に携わったことになっています。ファラオがユル・ブリンナー。ハゲのおっさんですね)。そして、ひとりのエジプト人が、同胞を鞭で打っているのを目撃。正義感にかられて、あたりを見まわし、誰も見ていないのを確かめると、モーゼはそいつを打ち殺して死体を砂に埋めました。
 その翌日、今度は同胞同士がふたりしてケンカをしているのを見て、モーゼは、
「なんで仲間同士なぐるんだ」と悪い方をたしなめると、
「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」


と言い返したので、モーゼは、さてはあのことがバレたのかと恐怖しました。ファラオにもバレて殺されそうになりますが、モーゼは逃げてとある井戸の傍らに腰を据えました。
 その井戸の持ち主と仲良しになり、娘と結婚するモーゼですが、ある日羊を放牧して神の山ホレブに行くと、なんと芝が燃えている。なのに、いつまでも燃え尽きないのです。
 ふしぎに思って近づくと、芝から声が。
「モーゼよ、ここに近づいてはならない。足から履き物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」


さらにその声は、続けて言いました。
「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使うもののゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降(くだ)って行き、エジプト人の手から救いだし、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へと導きのぼる」
 乳と蜜が流れる土地って、どんなんだろー。


 神さまが約束した土地。だから、約束の地。理想郷ですかね。
 この故事から、アメリカのことを清教徒たちが「約束の地」と呼んだりしているわけです。自分たちは故国でひどい目に遭ったけど、アメリカは広々としたすばらしい土地だというわけ。何千年も経つのに、聖書の影響力ってすごいね。
 閑話休題。
 神さまは同時に、エジプトのファラオは、なかなか行かせてくれないだろうとも予言しました。
 前途多難であることを考えると、モーゼはゆううつになります。神は、彼の持っている羊飼いの杖をヘビに変えたり、彼の手を重い皮膚病にして治したりしました。これだけやっても聞かなければ、神にも考えがあるというのですが、それでもモーゼはためらいます。

「自分は弁が立つ方じゃないので、向いてない」
 と断ります。
「あんたには、雄弁な兄アロンがいるじゃないか。いっしょに行け」
 神よ、そんなに言うなら自分で行けー。とモーゼが思ったかどうかは知りませんが、断り切れなくなって、モーゼ、エジプトへと戻ります。

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