<それは違うぞ!>
2024年11月5日のエッセイ日記を読んで
夫は、「この記事、ちょっと違うぞ」
と言い出しました。
自分の背景になるのは、弁護士だった祖父の考え方。
祖父には、キリスト教や帝国憲法の考え方がありました。
今の自分は、日本国憲法が基本だと言います。
<日本における神の子>
彼によると、
自分たちの先祖は神さまで、
地上に降りてきた以上は人間だ。
ヤハウエ神と同等だと言ったのは、
先祖が同等だということ。
自分らは業績をあげれば神になれる。
ヤハウエ神もアラーの神も
そんな神の一人にしかすぎない、
とのこと。
<キリスト教の神の子>
わたしの牧師はよく、
「人間はみな、神の子です」
って言ってたけど、
創造されたという意味においてという意味です。
人間は、神にはなれません。
神と人間の間には断絶がありますから、
日本の神さまへの考え方は
その点では、優れているかもしれない。
<折伏しろ!>
2024年11月5日の記事を読んだ人が、
「面倒だから親戚中全員、折伏して
キリスト教にしちゃえ」
なんて言ってきました。
わたしは、キリスト教の欠点を良く知ってるので、
折伏する気はありません。
全員、同じ宗教だったら
共産党みたいで嫌いだしね。
それに、折伏が成功したら
今度は周りも……となって、
読者までも折伏したくなる。
わたしのエッセイに、
そこまでの力は無いだろうしねえ。
<読者支配としての小説>
小説とは、読者を感動させるものだと言います。
感動という名の下に、読者を支配する。
そこにためらいがあったら
一流にはなれんな、とも思う
今日この頃です。
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