価値観の相違
わたしが正人とデートしていた頃、自分はプロテスタントのクリスチャンだと恋人に打ち明けました。すると夫は、「自分は真言宗の仏教徒だよ」と教えてくれました。
そこで話が盛り上がりました。夫はキリスト教にけっこう詳しかったのに、わたしは仏教にはウトかったこともあって、なにもかも面白かったのです。
仏教の教え
仏教は、釈迦が始めたことは知っていました。二十九歳のときに出家されています。お城の東の門を出られたときに老人を、南の門から出られたときには病人を、西の門から出られたときにはお葬式、つまり死者を見られます。そして北の門から出られたときに出家し道を求める人に出会われています。それが出家の動機だったといわれています。そこで、
「キリスト教では、神について語ることが多いけど、仏教には創造主っていないでしょう」
「いや、創造主はいるけど、そんなに目立たないね」
夫は平然としています。
キリスト教にとって自分を創ってくださった創造主は大切ですが、仏教徒にとっては違うのです。目が点になりました。
仏教とキリスト教を比べてみる
仏教とキリスト教を比べてみましょう。仏教は、人間の苦しみから人々を救おう、と始まったそうですが、キリスト教は、イエスを信じることで苦しみから救われると説きます。あらゆる苦しみも痛みも、イエスを信じれば軽くなると言うのが主な教理。四苦八苦やら一蓮托生やら因果応報やらいろんな単語を覚える必要ナシ。
ところが、カトリックやプロテスタント、ギリシャ正教ロシア正教に聖公会など、いろんな教派があるわけです。同じ神さまをあがめているのに、なんでこうなるのかは、聖書の解釈によって違ってくるからでした。
各教派解釈の違い、ざっくり行きます。
聖書では、イエスは離婚を禁じたとあるので、カトリックの支配した中世欧州では法律も、離婚できる手続きがなかったし、離婚しようと画策するだけで追放されたり、ヘタしたら殺された時期もありました。
長い支配で堕落したカトリックに抗議(プロテスト)した人々は、プロテスタントと呼ばれています。これは当時、たいへん勇気の要る行動でした。(ガリレオの地動説のお話は、聞いたことがあるでしょう)。しかし、賛同者が次々と現れ、西方キリスト教はカトリックとプロテスタントに別れ、険悪に。二百年以上も経つ一九八〇年代には北アイルランドとイングランドのような宗教戦争もありました。ですが、二〇世紀末に、当時の教皇とプロテスタントの代表が仲直り。末端は納得してないけどね(笑) ロシアの正教会では、十二使徒の肖像画がありまして、これを「イコン(英語でアイコン)」と呼んでいます。コンピュータ上の小さな絵をアイコンと呼んだりするのは、このことからです。
仏教徒だって宗教戦争したことがある
仏教が宗教戦争をしたなんて聞いたことがないぞ、と夫に言ったら、
「たとえば一向宗ってのもある。当時の信長に対抗した浄土真宗の武装僧侶軍団だ」
と教えてくれました。
日常から、ちょっと離れた価値観があるのが、宗教の特徴だとわたしは思います。
とかくこの世は、カネや地位、権力のあるものが勝つと決まっていますが、宗教の世界では、別の価値観がある。権力者には、それが気に入らないのだよ。
四苦八苦をキリスト教ではどう捉えているか
愛する人が手に入らない、憎い人と一緒に働かなければならない――といった苦しみを、キリスト教ではどう解決しているか。神がいずれ、自分を救ってくれると信じること。それがひとつの解決法です。キリスト教の根幹である「愛(アガペー)」、それは、イエスが救い主であると信じることから発生するはずなんですが、愛というのはややこしくて、トラブルのもとでもありますね。
仏教では愛は苦しみという解釈を取ってます。ていうか、世の中苦しみだらけというのが仏教だったりします。現実的だな。