キリストが生まれるまで

前文

聖書には『旧約聖書』と『新約聖書』があることは知っておられる方も多いと思います。 そのうち『旧約』のほうは、ユダヤ教の神話、歴史書、予言、詩などがおさめられています。その中で、イエス・キリストに関係のあるものをピックアップしていきましょう。

アダムとイブは、名前だけはご存じな方もおられるでしょう。アダムは人間の祖ということになっています。そのあと、ノアの方舟で洪水が起こり、人類はノア以外は全滅。だから人類はノアの子孫だとも言えます。

では、ユダヤの祖はだれなのか。ユダヤ人の民族的神がなぜヤハウエなのか。

ユダヤと旧約の起源

ノアの時代より前に、アブラハムという人がいました。このアブラハムが、神と契約したからなんですね。
神はアブラハムを試すために、一人息子のイサクを犠牲に捧げよと命じたんです。
通常、丘の上の祭壇で羊を焼くのが神へのお供えなのですが、その子羊の代わりにイサクを捧げよ、というのが神の命令だったんです。
で、仕方がないので、アブラハムはイサクを連れて丘の上へ登っていく。イサクは頭のいい子なので、父が子羊を連れていないのを見て、「犠牲の子羊はどこですか」などと聞いたりするんです。

アブラハムは幼子のイサクを祭壇に載せました。たき木をセットして、いま、まさに火をつけようとした瞬間に、神の声が聞こえる。待て、という声ですね。
アブラハムの信仰心、忠誠心を試して満足した神は、契約を結ぶんです。
我が子イサクを犠牲にしようとしたアブラハムの信仰心を認めて、神はユダヤ人の繁栄を約束する。これが、『旧い約束』、『旧約』ってことです。

 

その後のユダヤの繁栄ーダビデ登場

 

この神とアブラハムの契約を出発点として、アブラハムの子孫たちの繁栄が始まります。
イサクの子、アブラハムから見ると孫にあたるヤコブは、神さまからイスラエルという名前をもらいます。そのイスラエルの十二人の子ども達から、十二部族が興る。ユダヤ人は、その十二部族から出ました。

その後、モーセによる出エジプトの民族大移動、エリコの戦いなど、色んな事が起こりまして、十二部族がバラバラになり、周辺のペリシテ(ペルシャ)人などに負けるようになってきた。

バラバラになった十二部族をまとめるには、力と人徳を持った人物が必要だというわけで、サムエルという預言者が神さまにお伺いをたてると、ベツレヘムへ行けと言われる。

そこで行ってみると、ダビデという美少年がいた。しかしこのダビデ、まだ子どもなんですね。

ところがこのダビデは、石投げの名人でした。ペリシテの大将、巨人のゴリアテを石ころひとつで倒してしまう。それで十二部族が結束して、ユダヤ王国を築くことになります。

そしてダビデは、サムエルに香油で頭を清められて王になることを祝福されます。

 

このように、力ではなく神によって王になった人のことを、ヘブライ語で「メシア」と呼びます。キリストというのは、ギリシャ語の「メシア」にあたる「クリストス」から来た言葉です。ちなみに新約聖書は、全編ギリシャ語(コイネー語)で書かれています。

ユダヤの没落とメシア待望

さて、ダビデ、およびその息子のソロモンの頃に絶頂を迎えたユダヤ王国ですが、やがて北側がイスラエルという国になり、たちまちアッシリアに侵略される。南側のユダヤ王国も、バビロニアに滅ぼされてしまう。

その後、長い間ユダヤ人たちは、バビロニアで奴隷として苦難の日々を送ることになります。バビロン捕囚と呼ばれるこの時期に、ユダヤ教は確立しました。民衆は、いずれダビデのような英雄がやってきて、この苦難を救ってくれると、はかない希望を抱きましたが、それは実現しにくい夢でした。

そこで、旧約聖書の『イザヤ書』に出てくる、悲劇のヒーローというモチーフが民衆の間で流布するようになりました。この悲劇のヒーローは、世間から誤解され、鞭打たれ、ひっそりと死んでいく。しかしそのことによって世界を救うのです。

つまり、ダビデの再来が期待できなくなったので、アブラハムの息子イサク、すなわち犠牲の子羊が現れて、神との契約を結び直すという考え方ですね。

イエス・キリストは、そのモチーフを実現した人だったのです。イエスが十字架に架かることによって、新たな契約が結ばれた。だから、『新約』というのですね。しかもこれは、ユダヤ人だけでなく、罪ある人も罪なき人も同じように、全人類が救われるという契約だったのです。

 

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