福音書ってなに? ロシアの宗教って?

新約聖書には、四つの福音書があります。福音書とは、神による救いという喜びの訪れを告げる書物という意味で、マタイによるもの、マルコによるもの、ルカによるもの、ヨハネによるもの。それぞれイエスの弟子の名前ですが、別の人(著者不明)が書いています。古代ローマでは教育水準も低く、読み書きできる人は少なかったからです。
マタイ(英語ではマシュー)、マルコ(マーク)、ルカ(ルーク)は、共観福音書と言って、おなじイエス語録をもとに書かれたと言われています。
マルコは一番イエス語録に近く、最も短い福音書で、そのうちの約90%の内容がマタイの福音書かルカの福音書にも出てきます(共観福音書とは共通の観点からの福音書って意味)。
一見同じような内容に見えるかもしれませんが、マタイが主にユダヤ人読者に宛てて書いたのに対し、マルコはローマの、特に異邦人と呼ばれる外国人のキリスト者たちに宛てて書いているので、マタイとは違った雰囲気があります。またルカは異邦人に向けて書かれたので、日本人にも一番なじみやすい内容です。
語録が残っていないのは、それを書いたのがイスカリオテのユダだったからだ、とする人がいます。当時弟子の中で読み書きが出来たのは、会計係のユダだけでした。文章で残さないイエスに密着、メモしたのかな。
さらに余談ですが、ルカはイエスの死後、弟子になった医者の名です。

さて、ヨハネ(ジョン)による福音書の大きな特徴は、共観福音書のように年代順にイエスの生涯を紹介することはなく、イエスが「神の子」であることを強調しているためもっとも神学的な内容になっていることです。要するに、一般向けというこの福音書の建前とはちょっと違う。

なぜこうなったかというと、このヨハネの福音書が書かれた当時、イエスが神の子であるかどうか疑問視する人がいて、それを論破するために書かれたわけです。
ロシアは、この神学的なヨハネの福音書を、自国の教会に採用しています。
なぜそうなのか。わたしのおぼろげな記憶によると、ギリシャ正教の後継者を自認していた昔のロシアの皇帝が、自分の民が救いを求めていることに心を痛め、ヨハネの福音書を使ってイエスを信じるように計らったのでした(昔読んだ本だから記憶違いがあるかも知れない)。

そこで西洋&ロシアの歴史をざっとおさらいすると、古代ローマ帝国でイエスが誕生して死に、その後、古代ローマ帝国は三世紀ごろに東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂。
そして東ローマ帝国は八世紀ぐらいにローマ教皇と対立。その一部地域は、ギリシャ人の国と呼ばれるようになり、やがてロシアがその継承者を自称するようになります。
わたしの推測ですが、ギリシャ文字がロシア文字キリルと似ているのは、日本に漢字があるのと似ているかもしれません。

聖書の出来た古代ローマ時代に焦点を絞ると、それは大きな領土を持った軍事国家でした。そのなかで、キリスト教をいちばん信仰したのは、虐げられた売春婦や税取り立て人、奴隷たちでした。
聖書をひもとくと、奴隷に関する翻訳者の苦労がしのばれます。新約聖書は当時の共通言語、コイネー語で書かれているからです。

これは、いまの世界の共通語が英語だというのと同じです。外国人の多い地域にいた当時の信者たち、とくに聖書を書いた人は、当時の一般共通言語としてコイネー語を使ったわけですが、それも廃れてしまって、今はだれも話す人はいません(最近は、AIによる翻訳機が発達しているようです。英語の英才教育より日本の言語教育を大事にしましょう)。
コイネー語は難しい言語なので、奴隷は解放されるチャンスがあってもそのままでいろ、という聖書もあれば、奴隷は解放されるべき、という聖書もあったりします。

そんなわけで聖書の理解の助けになるのは、文章と牧師の解釈だけです。だからよくわからない点があると、わたしは思ってます。天地創造にしたって同じような話が最低二回は語られていて、
「神さん、あんた何回、天地創造やりなおしたの?」
なんて思う人もいたりします。太陽より前に光が創られているのは矛盾だという指摘も、『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)にありました。聖書をまともに神の言葉で絶対に疑うことはない、と主張するのは、そりゃあその人の勝手でしょうが、マジに言われるとドン引きしてしまいたくなります。

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