わたしは左翼系のクリスチャンなので、たいていの日本人の無知には
おおらかに許している面がありますが、
アメリカの中西部(テキサスなど)にいる右翼系クリスチャンだったら、
わたしの考えている神の概念だったり、
イエスを友だちと呼んだりすること自体、
「冒涜(ぼうとく)だ」と反発、攻撃するかも知れません。
こんなわたしでも、たとえばイエスのことを
「弱虫だ、つまらん」
と批判されたら怒ります。
だから、芥川龍之介の「おしの」という作品で
主人公がイエスのことをけちょんけちょんにやっつけてるのを見て
芥川が大嫌いになりました(滝汗)
それに、「信仰上の理由で対立するなんて」という人には
大切なものが違うという事実に傷つきました。
そんなふうに、宗教の話題は炎上するのが必至なので、
公の場ではしないことになっているはずですが、
右翼系クリスチャンなどは無自覚に、
クリスマスになるとチャットで「メリークリスマス」と挨拶を交すようです。
これは、ムスリムにとってはタブーな言葉です。
というのもムスリムにとって大事なのは、イエスじゃなくてアラー(神という意味)。
そもそもクリスマスには、キリスト(クリスト)を祝うミサ(マス)という意味があるのです。
つまりムスリムにとってはイエスは神の言葉を預かって広めたただの人(預言者)なので、クリスマスを祝うのはキリスト教の押しつけになるのです。
また、サイレント・メジャーな国インドは
多神教(ヒンドゥー)なので、イエスは眼中にない。
仏教も、そうですよね。(あまりうるさくは言わないけど)。
そういう理由で、アメリカでも多民族な地方(カリフォルニアなど)では、
メリークリスマスと言う代わりに、
ハッピーホリデー、と呼んでいるようです。
自分の文化より、共存の道を選択したわけ。偉い。
所変われば品変わる。
場所どころか時代によって変化したアメリカの言葉もあります。
「なんてこった! (Oh My God!)」は、50年代アメリカでは、
「Oh My…」
で絶句するのが常でした。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のワンシーンで
ドク・ブラウンが叫ぶところの
“Great Scott!”
は、Oh My Godの遠回しな表現です(聖書曰く、主の名をみだりに唱えるべからず)。
God ではなく Scott なのは、音が似ているからです。
ところが60年代頃からからアメリカもだんだん、世俗化しました。
70年代に流行った”Love and Peace”運動により
キリスト教的な価値観が揺るがされてしまったのです。
これには、その当時敗戦の色濃かったベトナム戦争も、関係があったかも知れません。
キリスト教が絶対的な価値観を持っていた時代があったのはたしかです。
その影響で、いまだにキリスト教的な文化を無自覚に持っている人たちも、
西洋人のなかには多いでしょう。
これは、「あたりまえ」の感覚が違うってことです。
日本では、食前に手を合わせ、
「いただきます」と、命をいただくことを感謝するのですが
西洋では、食前に手を組み合わせ、
「主よ、今日の恵みに感謝します」
と神さまにお礼を言うのが文化的にまだあるはずです。
命をいただくのを、食べものに感謝するのが日本人ですが、
西洋では、神から食べものを賜るというのが感覚的にある。
なので、キリスト教系右派の家に留学に行った人が
食前に手を合わせて「いただきます」をしたら
「おまえの宗教を押しつけるのか」
と大問題になった話をしてくれたときは、
さもありなんと深く納得しました。
多民族とどう生きるのか。
今後の日本は、多様化の時代だと言われています。物理的にも、海外から多くの人が入ってくる。いろんな文化がやって来ます。触らぬ神に祟りなしと、知らん顔をするより、知るは楽しみなりと好奇心を持って人に接することは、とても大切なことだと考えます。
それは、自分なりの人生をどう生きるか、ということなのです。