うる覚え聖書の話・宗教戦争はなくならない

002  ラノベと聖書の方法論

 

「マタイによる福音書」の冒頭が、かなり読みにくいために、読むのをやめてしまう人は多いでしょう。せっかく興味を持ったのに、と思う人もいるかもね。

実はこうなったのは、「マタイによる福音書」の対象者が、我々とは違っているためなんです。

「マタイによる福音書」は、ユダヤ教から改宗したキリスト者に特に留意して編集されてます。つまり、ユダヤ教の素養がある人を対象にしているわけ(しかもイエスの弟子のマタイが書いたわけじゃないという……詳細はまたね)。

具体的に説明するなら、冒頭の「アブラハム」は、ユダヤ教の開祖ですし(ムスリムの先祖でもあるとされています)、イサクやダビデ王などの人名を見れば、

そういえばこの人には、旧約聖書のあのエピソードがあったな、

と思い起こせる仕組みになっているわけですね。(詳細は、このシリーズが好評ならお話します)。

こういうふうにずらずら人名をならべていき、イエスがちゃんとしたユダヤ人だということを説明します。

なぜそうするのかっていうと、みなさんご存じのように、イエスは父親が知れません。(神さまが父親だというのが、「ルカによる福音書」の主張です……。天使のマリアへの受胎告知は、そういう意味です)。ところがこの「マタイによる福音書」では、ダビデの子孫だと主張しているのです。(実際にはどうだったのかな)

ムスリムの開祖ムハンマドは、天使からコーランを授かったことになっており、イエスは単なる人間にしか過ぎないとしています。
そこのところがネックになって、キリスト教とムスリムはケンカしているんですね。
ユダヤ教もイエスを人間だと主張しておりますが、世界中の人を巻き込む過激なことはしていない(けど、中東で問題行動を起こして戦争になり、ムスリムから敵視されています)。

ただの人を神さまと信じるなんておろかだ、というムスリム・ユダヤの主張をよそに、それをはずしたらキリスト教は成り立たないと思う人たちの間で、争いが起こっているってわけなんです。

 

ところでアブラハム、イエス、ムハンマドに共通するのは、そのカリスマ性でしょう。

とくにイエスやムハンマドは、その行動の奇抜さに、

イカれた

と思われて家族から止めに入られたそうです。イエスに関してはその記事が、しっかり新約聖書に載ってます(笑)

ムハンマドについては、伝承の形でそれが伝わっていたと記憶していますが、うる覚えなので堪忍ね(汗)

イエスがイカれたと書いてあるのは、たしかマタイではなく、マルコの福音書だった記憶がありますが、この四つの福音書を比較して、対象者が違うと、こうも表現が違うのかと感心したりするのも、お話を書く人としてはアリかもしれません。

つまり、ラノベ対象者と、一般小説対象者が書き方が違うのと同じ。

内容が同じでも、ラノベと一般小説は、文体も単語も違います。たとえば『精霊の守り人』シリーズは敵と戦ってこれに勝利する話ですが、生活を楽しむシーンも出てきます。ラノベも魔王と戦ったりスローライフを楽しみますが、ゲーム的な素養も必要です。

そんなふうに、マタイによる福音書には、旧約聖書の素養が必要になったりするわけです。

旧約聖書なんてきょーみねーよ、という人にひとこと。

『モーゼ』の海割のシーン、あれも旧約聖書だよ。
あと、羊飼いの『ダビデ』が巨人を倒す話も面白いよね。
女にヨワイちから自慢のサムソンが、いかにしてデリラに裏切られたか。このあたりも、読むと面白い。

旧約聖書は、物語が面白いんです。途中、つまんないのもありますが(汗)
それに、新約とつながっている部分もかなりあるので、ちょくちょくその解説もしていったほうが、わかりやすいかもしれない。

率直に言って、新約聖書は説教臭いから好きじゃないです(こら)。
このシリーズがウケたら、当時のイエスのカゲキぶりも書いてみようかな。
そのせいで若くして十字架に架けられちゃうんだから、イエスってアホ。

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