うる覚え聖書の話・宗教戦争はなくならない 001

001 マグダラのマリア

ちまたで えせムスリムたちのテロが席巻し、キリスト教徒やユダヤ教徒、はては日本人までぶっ殺していたりしますが、これはいったいなぜなのか。
だいたい、なぜ宗教戦争はなくならないのか、キリスト教とムスリムの宗教観の違いや、両者の共通教典である『聖書』をモチーフに、キリスト教から研究をすすめていこう、という、無謀な計画です。

まあ、手っ取り早くいうなら、キリスト教とムスリムとユダヤ教は、同じ神を信じてますが、解釈が違うってだけの話ですけどね。
たったそれだけのことで人を殺すところまで行ってしまうんだから、宗教ってたいがいですが、この話を書こうとしたきっかけは、とあるカクヨムユーザーの聖書の話が、わりとうる覚えだったらしくて、わたしから見ると、
「こりゃあかんわ」
ヘタしたら、嘲笑されるかもしれないなぁ(それで済めばいいけど)と危惧を抱いたので、それで、この連載をはじめようと思った次第です。

第一回目の聖書の話は、マグダラのマリアの話です。
わりと有名なのか、この人は洋モノのドラマや映画などにモチーフとして語られています。手っ取り早く書くなら、売春婦だったマグダラのマリアに、罪を犯したとして人々がある行動をするのですが、それをイエスが「この中で罪を犯さなかった人だけ、マリアを○○しろ」といったことを言って止める、というシーンです。
ここで重要なのは、人々がやったのが「棒で叩く」のではなく、「石を投げる」行為であったこと。
投石ぐらいどうってことないみたいですが、あたりどころが悪かったら死にます(汗)。それともう一つ、棒で叩いたら反抗もしやすいでしょうが、投石だと加害者が逃げやすい(汗) 実際、集団で投石するのが風習としてありました。よってたかっていじめていたわけですな。
この風習がはじまったのは、旧約聖書にある太古からの神の命令(法律)、
『律法(りっぽう)』に、
姦通をした人は投石で罰すべし
という記事があるからで、伊達や酔狂で投石しているわけではないのです。
つまり、法律どおり、信仰・信念どおりに行動していたわけですね。
イエスはその非人道的なところを指摘したわけです。
こういうことばっかりやってたので、その信仰で得をしていた人たち(パリサイ人とか律法学者とか)から敵視されていくのです。
それにしても、このイエスという人はどんな人だったのでしょうか。
興味を抱いて新約聖書をひもとくと、「マタイによる福音書」とあり、いきなりずらっとカタカナが並んでいます。
「なんのこっちゃ」
意味のないと思われる人名の数々。筒井康隆は、この冒頭をパクって、『バブリング創世記』という、けっこう笑える話を作ってますが、いちおうこのカタカナには意味があります。
マタイによる福音書の文体は、夏目漱石の文体に影響を与えたという話をどこかで見たような気がします(うる覚えですが)。そりゃそうです。イエス死後、聖書が30冊以上つくられていたそうですが、そのなかでいちばん文章力がある、という理由で新約聖書の冒頭に持ってきているんです。いきなり人名がずらずらしているためとっつきにくい印象はありますが、それにもちゃんとした理由があります。
長くなるので、この辺で。
次回は、「海が割れるのよ~♪」モーゼの話です。

よろしくお願いします。

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