バイクとマークおじさん

カナダのハイダグアイ島に住むマークおじさんは、海岸線を車で走っているときに、コンテナが打ち上げられていることに気づきました。

「こんなところに、どうして……」

ふしぎに思いながらコンテナをあけてみると、そこに日本のナンバープレートがついたオートバイが入っていました。それは、ハーレーダビッドソンと呼ばれるバイクでした。

「ははあ、もしかしたらこれは、あの津波のときのバイクだな」

マークおじさんは、急に心配になりました。

10年前の震災の時の津波は、ただごとではありませんでした。実際に映像を目の前にして、おどろきましたし、背筋もこおりました。バイクの持ち主は、生きているのでしょうか。

どうすればいいのかわからなかったので、マークおじさんはとりあえず、日本の領事館へ連絡を入れました。

数日後、領事館から連絡がありました。

「バイクの持ち主は、生きています。横山さんというのです」

マークおじさんは、喜びました。

幸い、横山さんは英語ができる人でした。マークおじさんが、バイクを見つけてくれたことに感謝する横山さんに、マークおじさんは、こう言いました。

「どうでしょう。バイクをうちの会社のほうで修理して、そちらに輸送させていただきますよ。うちはバイクの修理工場をやっているんです」

横山さんは、何度もお礼を言いましたが、きっぱりとそれを断りました。

「そこまでしていただく理由がありません」

「いや、困ったときはお互いさまですし」

マークおじさんが言うと、横山さんは、電話の向こうでむせび泣きました。

「それより、やってほしいことがあるんです」

 

 

いま、マークおじさんは、ハーレーダビッドソンの博物館にいます。横山さんのバイクを展示してくれるように、館長さんにお願いするためです。

館長さんは、砂や海水の塩がいっぱいついたバイクを見て、

「これは、掃除したほうが見栄えがするよ」

と言いましたが、マークおじさんは、

「いや、津波の被害がどれほどのものなのか、みんなに伝えたいというのが横山さんの願いなのです」

と言い張って、ゆずりませんでした。

 

いまでもハイダグアイ島の博物館には、日本製のボロボロになったバイクが展示されています。横山さんとマークおじさんは、いまではしょっちゅうリモートで、酒を酌み交わしたりしているそうです。(了)

お夕とたたり

五カ所村のお夕は、おれのねえさんだ。ねえさんは気が強くて頭も良く、おまけに料理上手だった。庄屋の娘だから、婿の相手にも不足していない。
だが、最近、ねえさんの様子がおかしい。
髪を振り乱して、川に飛び込んだり、突然泣き出したりする。ぼんやり畑をあるいていて、もう少しで肥だめに足をすっぽり、つっこむところだった。ああ、肥だめってのは、畑にまく肥料をあつめたツボのことで、糞や尿がたっぷり入っている。それなのに臭わないから、ちっとも気づかないで、その近くをうつろな目をして、ふらふらしていたのだ。

花おばちゃんが、その様子を見て気にしていた。
「なにかに、たたられてるんじゃないだろうねえ?」
花おばちゃんは、心配そうだった。おれも気がかりだった。おれの知ってるねえさんとは、まったく違っていたからだ。
「六右衛門さんに言って、お祓いを受けさせるようにした方がいいかもしれないね」
花おばちゃんがそう言うと、父さんが家から顔を出した。
「馬鹿馬鹿しい。たたりなんてあるもんか」

六右衛門というのは、父さんの名前だ。この辺いったいの米や農作物、お蚕さまの管理を任されている。兄貴は父さんの名前を一字もらって、六郎太と呼ばれている。ちなみにおれは、清だ。かっこ悪い名前だ。早く大人になりたい。十五歳になれば、大人の名前がもらえる。

「六右衛門さん。お夕はぜったい、なにかの神さまのたたりをうけたんだよ。わたしにはわかる」
花おばちゃんは、頑固に言い張った。
「そんなことより、幾地(いくち)村のようすはどうだったんだ。おれたちの米を、奪いに来るんじゃないだろうな」
父さんにとって、村でのことは、家のことより大事みたいだった。幾地村は、たいへん貧しくて、隙があったらこの五カ所村を襲っては、米を奪っていくのである。この間だって、あいつらが村を襲ってきたので、おれたちがやっつけてやったのだ。花おばちゃんのご主人は、この幾地村のようすを見に、ここ数日村を留守にしていたから、なにか知らせに来たのだろう。

「そんなことよりですって!」
花おばちゃんは、怒ってしまった。
「六右衛門さん、あんた自分の娘が、心配じゃないのかい!」
「たたりじゃないことは、たしかだ。ちょっと疲れてるだけじゃないのか」
父さんは、手を振ってとりあわない。
花おばさんは、鼻の穴をふくらませた。おれは思わず、笑ってしまった。

幾地村についてのおじさんの調べは、以前とまったく変わらなかった。
「あいかわらず、幾地村の畑は荒れています。耕す気がないんでしょうな」
太郎おじさんは、くやしそうだ。
「うちの農作物をうばえば、楽に生活できますし」
「そんなんじゃ、ないわ!」

ねえさんが、しわがれた声で割り込んだ。おれは、台所のほうを見やった。ねえさんは、煮物の鍋を片手に、ものすごい目でにらんでいる。
「それは、どういうことだ?」
太郎おじさんがムキになった。父さんは笑って、
「ガキのいうことだ。気にするな」
「お夕が、たたられてるって話、ほんとうなのですか?」

ちょっと気味悪そうな目で、声をひそめ、ねえさんをみやるおじさん、
「こんど、うちのものが、拝み屋をつれてくるそうです。ちゃんと、たたりは祓ったほうがいいですよ」
「よけいな世話は、せんでくれ」
父さんは、不機嫌になった。
なんだねえさん、しゃべれるんじゃないか。
おれは、少しホッとした。幾地村の襲撃いらい、ずっとだんまりを決め込んでいたから、もうしゃべることができないのかと思っていた。

「となりの山に、松次郎というのがいるんですが、こいつが腕のいい拝み屋なんです。連れてきましょう」
太郎おじさんは、ひとりで決めていた。父さんは、ムスッとして、
「おれの家族のことは、ほうっておいてくれ」
とだけ、言った。ねえさんの方を見ると、それでなくても青白い頬が、透けて見えるほどになっていた。

しばらくすると、祈祷師の恰好をした男がひとり、ふらりとやってきた。手に書物を持っている。
「たのもう」
道場破りみたいな、野太い声だった。いっしょに花おばさん、太郎おじさんもいる。兄貴が顔を出した。厳しい表情である。
おれは、兄貴の家で勉強している。論語や漢文、そろばんなどだ。兄貴は、父さんといっしょで、たたりなんか信じていない。兄貴はものすごい物識りで、この地面はまるい球になっているという。にわかには信じられないが、兄貴の弁舌に敵う人間は、この村にはひとりもいない。

兄貴の顔を見て、おれは胸騒ぎがした。いままで、こんな顔をしている兄貴を、見たことがない。なにかを決意している――そんな顔。
「悪霊のたたりがある、というのは、この家か?」
祈祷師の男は、重々しい口調でたずねる。
「たたりなんか、ありません。帰ってくれ」
父さんは、キッパリはねつけた。
「まあ、最初はだれも、信用しないのだよ」
祈祷師は、うなずきながら言った。
「正直にいうなら我々は、本質的にウソつきだからな」

父さんは、プッと吹き出した。
「わたしの名前は、松次郎。娘さんが心配だ。この『武井書』にあるとおりなら、娘さんはたいへんな病におかされておる」
祈祷師は、左手に持った書物をかかげた。父さんは、わたされた書物にざっと目を通した。
「食事がのどをとおらない――。目がうつろ――。時々、はげしい感情に流される」
父さんは、不安そうに目を上げた。
「どれも、お夕の病状そのものだ」

「本来なら、医者の仕事なのだが、幸いわたしは医術の心得もある。娘さんを、なおしてしんぜよう」
花おばちゃんと太郎おじさんは、口々に感謝のことばを述べ、その場にひれ伏した。父さんは、ぼうっとしている。
「娘さんを、預かります」
祈祷師は、おれに、ねえさんを縛るよう命じた。おれは、ためらった。
「いやよ! わたしは病気じゃない!」
ねえさんをつかむ太郎おじさん。ねえさんは、身をよじって叫んだ。
「自覚がないのが、この病気のやっかいなところでね」
祈祷師は、えらそうに言った。
「自覚をさせるためにも、預かって治療せねば」

「ちょっと待った」
兄貴が、父さんの手にある医学書に目を走らせる。
「『武井書』というのは、だれが書いたのですか?」
「だれでもいいでしょう」
ちょっとあせったように、祈祷師は本を奪い取った。
「名医杉田玄白の流れを汲む、一流の本ですぞ」
「杉田玄白! そんなすごい人と、知りあいなんですか……」
兄貴は、とまどったように沈黙した。祈祷師は、堂々と言った。
「――では、娘さんを」

「――待て!」
ひとりの青年が、その場に駆け込んできた。
「まっつあん! そんなことはやめろ!」
青年は、身を躍らせて祈祷師に飛びかかった。
「おい、待て! ちくしょう!」
頬をなぐられ、唇がきれた祈祷師は、みじめなありさまになった。
お夕は、青年を見るなり、パッと顔を輝かせた。
「吉兵衛さん!」

祈祷師は、とらえられた。
お夕をさらって、売ろうとしていたのである。
青年は、説明した。
「わたしは村長の息子です。わたしとお夕さんは、先日の襲撃で一目惚れしたんです。でも、このまっつあんも、お夕さんの美貌にイカれてしまって」
「横恋慕か……」

父さんは、つぶやいた。青年は、うつむいた。
「わたしの村は、農作物があまり実りません。あなたのところの水を、少し分けて欲しかったのです。先日、そのことを、お夕さんにお願いしたのでした」
「水を分ける?! ウソだろ?」
父さんは、顔色を変えた。青年は、願いをこめた表情になった。
「そのかわりわたしの村で採れる山野草や薬草を、分けましょう」
それを聞いた祈祷師は、顔をあげた。

「吉兵衛。認めないぞ。薬草はそこの、花さんと太郎さんにやる約束なんだからな」
みなは、いっせいにおじさんとおばさんを見つめた。おばさんは、口走った。
「な、なにを言うんだい。そんな約束、したおぼえはないよ!」
「おい、おまえ! 俺にぜんぶ、おっかぶせる気か! 薬草を手に入れるには、吉兵衛の惚れた姪がじゃまだから、かっさらって売っぱらってくれと、あんたらが言ったんだぞ! どうせ俺にはお夕さんは、手が届かねーんだからよ!」
祈祷師は、顔を真っ赤にしてわめきちらした。
「話を聞こうか」
父さんは、怒りをおさえた声で言った。

長い敵対関係にあった幾地村と五カ所村は、友好関係になり、村長の息子と庄屋の娘とは、その翌年結婚した。