宮島の仏さま・現地探訪(最終回)

宮島・仏様たちを見に行く 2019年12月11日

着手 2019/12/13 完成 2019/12/13

 

パート4

幸(さい)神社。境内と金鳥居(かねとりい:厳島神社の管轄にあるという印)

の間にある神社だそうです。金鳥居は町内への出入口。

 

 

遊郭の女たちは、境内のなかには入れず、金鳥居のそばまでが通行許可範囲だったそうです。

 

 

 

 

 

千畳閣・五重塔。豊臣秀吉が、不動院恵瓊(ふどういんえけい)に作らせました。

ふきさらしで避暑地になっていたようです。

屋根に金箔貼ってつくったのはいいが、途中で秀吉が死んじゃったので、

お金がなくなり、恵瓊は建築を断念しました。837畳あるそうです。

千畳閣なのに千畳ないじゃん、と思っていたら、

1,000人の僧侶が入ってお経が上げられるように、という意図があるそうで。

いまは厳島神社の管轄。多宝堂もそうだとか。

千畳閣は、いまは豊国神社と名前を変えています。かつては芝居もここで興業されていました。

 

神社の中の経倉(けいそう)ということで、平家納経があったそうです。

大聖院は、祈祷寺。宮島は空っぽの神社で、もともとはこの神社に

お坊さんが山から下りてきて、お経を読んでいたのだとか。

(神社にお経……^^;)

大願寺は、それ以外。(大工や建築家が住んでいた)。

いまや宝物倉に平家納経がおさめられ、清盛の信仰の対象だった

薬師如来は、大聖院におさめられちゃった。

厳島神社の裏側には、仏教関連の施設もあったのですが、壊されてしまい、

森が植樹されています。

 

 

大願寺。山門の仁王も門も、廃寺からの廃物利用。

現代仏師、松本明慶(みょうけい)さんが作られたという、不動明王座像が

インパクトばつぐん。

弁天様の祀られた大願寺の入口には、

伊藤博文の手書きの板書がかかっています。

ここで勝海舟と木戸孝允が密談したのでした。

ここには釈迦三尊がいますが、禅宗の三尊とは違います。

(だれだったか忘れた……)

 

最後のあたりは、疲れてきたので、

早く帰りたかったです(笑)

終わったのは16:15ごろでした。

義母が、「かえってこーい」とTELしてきて、

主婦はつらいぜと思ったりしました。

宮島の仏さま・現地探訪(その3/4)

宮島・仏様たちを見に行く 2019年12月11日

着手 2019/12/13

 

パート3

 

宮島には、お墓はありません。死と血は穢れだから。

だから、現世で成仏をとなえる浄土真宗は、NGだった。

浄土真宗は、肉も食べるし、女も抱きますからねえ。

しかし明治時代から観光客を相手にしよう、という政府の方針転換により、

大正時代に浄土真宗の教場が出来、その後、「真光寺」というお寺が(昭和から)できました。

このあたり、遊郭もあったそうです。

幕府令により、城下には遊郭は御法度だったので、宮島に持ってきた。

で、宮島の遊郭は、番付けができるほど有名になったそうです。

町家通りは厳島神社のはしのはし。その端の方に遊郭があったとか。

 

 

この山辺の古径は、宮島でいちばん古い道です。

 

 

 

 

不動堂。宮島さんの鬼門エリアを封じる意味で作られました。

昔は釈迦如来と三尊があったんですが、神仏棄却のあおりで

釈迦如来は破棄され、不動明王と毘沙門天が残りました。

このお寺には、ちゃんと名前もあったのですが、いまは不動堂と呼ばれています。

弘法大師もここに関連したようです。

 

ここには、聖観音(しょうかんのん)の石像もあります(結構あたらしい)。

聖観音は、千手観音とかいろんな観音に変化するまえの状態で、

この観音様は、人に合わせて仏様が変化するとかです。

顔の上に阿弥陀様が載ってます。

 

 

乳地蔵。子どもに飲ませる乳がよく出るように、という願いを叶えてくれるお地蔵様。

遊郭があるから、子どもも出来ます。母親は、里に帰れないので、

お腹が7ヶ月目に入ったとき、

出島して、地御前あたりで出産。(血が穢れなので、島で出産できない)。

75日経ったら、宮島へ戻れるそうです。

この辺は女人坂(にょにんざか)と呼ばれる狭い坂があります。

 

車がやたらと行き来していて、歩きにくいったらなかったね。

 

宝寿院(真言宗、本尊は阿弥陀如来)の千手観音もありました。

手がほんとうに1,000本あるわけではなく、

25界(地獄から有頂天まで)を救う42本の手、

なので、かけ算して1,000本あるという計算。

 

 

誓真(せいしん)さんが作った井戸。(10カ所)。

現存しているのは4つだけ。

この誓真さんは、お坊さんだそうです。器用な人で、

宮島に山とある木材を使って工芸品を作りました。

そのなかには、宮島のお土産になった、しゃもじもあったということです。

ちなみに四国の人です。

 

休憩が入りましたので、まえに聞きたかったことを

質問しました。

「仏さまを大切にしていた民衆が、

時代が違うからって、あっさり仏さまを投げ捨てるって

どういうこと? わたしには理解できない」

 

答え。

「その当時は、明治天皇は神さまだったんです。

古事記の昔から神さまの血筋だと言われてたでしょう。

で、よく考えてみたら、仏教も外国の宗教じゃないかってコトで、

仏さまを捨てろってコトになったんです」

 

いまは、神仏分離の影響で、仏も神も別って思う人が多いみたいだけど

昔は違ってたんだよー

ということでした

宮島の仏さま・現地探訪(2/4)

宮島・仏様たちを見に行く 2019年12月11日

着手 2019/12/13

 

パート2

そこから徳寿寺(とくじゅでら)に行く途中にあったのが、大束富くじのモニュメント。

重さが違う木材の束を、くじで引いて運んだということです。

ハズレは重い木材。で、本来くじは幕府令により御法度だったんですが、

神社への上納金ということで、認めてもらったみたい。

 

 

聞けば聞くほど、江戸時代って窮屈な時代だったんですね。

くじぐらい、認めてあげたっていいじゃんか。

神社もうまく立ち回ったものです。

くじの一部を巻き上げちゃってる(笑)

そう言えば、吉凶占いくじも、神社の収入なんだね。

 

 

徳寿寺へ参ります。1Fは外国人向けの着付け・和食のお料理教室。

 

宮島が外国人に人気なのが、よくわかります。

わたしの知り合いは、

「広島には観光施設が、原爆資料館しかない。

広島城はコンクリートだから

観光価値がない。

おりづるタワーが出来る前に、ハウステンボスをプロデュースした

H.I.Sの社長が

広島市長に頼まれて、広島にランドマークを作ることになったんだけど、

その費用をソフトバンクの孫さんが50億円も出すと聞いて市議会の連中が反対した。

孫さんの名前が出るのが嫌だというのだ。

それで、おりづるタワーが藤田さんによって作られたのだが、高いタワーではなかったし

入場料も高いので、だれも入らない」

 

原爆で全てを喪ったから、古いものがないんですよ。

東京タワーみたいなタワーがあればよかったのにと知人は言ってました。

 

個人的には、個性的なタワーがなければ観光客は来ないよ、と思ったり。

 

 

脇道にそれちゃった。

 

 

 

入口から入ると、6地蔵(六道という概念から生まれた地蔵さん)が出迎えます。

ひとつひとつ、おじぞうさんに名札(名前)が付いています。

Wikiによると、六道には下記の6つがあるそうです。

 

    天道(てんどう、天上道、天界道とも)

人間道(にんげんどう)

修羅道(しゅらどう、阿修羅道とも)

畜生道(ちくしょうどう)

餓鬼道(がきどう)

地獄道(じごくどう)

 

この6道のすべてにお地蔵さんがいて、ひとりひとり見守ってくれているのでした。

地蔵さんも欲や煩悩があるので格下ですが、身近なところで見守ってくれているということでした。

「ホテルのビュッフェで、おいしいものを食べたい? わかるよ、わかるよ」

とか、

「おしゃれしたい? わかるなー」

とかうなずきつつ、悪い方に向かわないように、してくれているそうですよ。

 

地蔵は菩薩のサポートをするということです。

 

 

徳寿寺の馬頭観音は、怖い顔でした。

 

徳寿寺には、ひとつの伝説があります。

40を超えた老夫婦(子どもなし)が、夢で光る竹を見た。お地蔵さまがそのなかに入っているという夢。

夫婦は同時に目を覚まし、同じ夢を見たことをお互いに言い合い、

山の中に入り込んでお地蔵さまを見つけ、お祀りしたところ、無事ご懐妊。

その子どもは藩主の主宰するお相撲大会のTOPお相撲さんになったそうです。

お地蔵さんは、信じれば信じるほど金色に輝くので、

金石(きんせき/こんせき)地蔵だというのです。

この地蔵さん、男女の縁切りのお地蔵さんだそうですが、

ギャンブルなどの悪縁を絶つのもあるそうですよ。

 

そのお地蔵さん、丸い鏡を持っていました。

よくあることなのだそうです。

化粧をしたり、服を着替えたりさせてる民間の人たち(大切にしすぎ)

なので、文化財になったのは、たった1体だそうです。

 

こういう話を聞くと、文化って結局、なんだろうと思っちゃいますね。

昔と変わらずに残るのが文化、って、頭かたすぎ。

宮島の仏さま・現地探訪(その1/4)

宮島・仏様たちを見に行く 2019年12月11日

着手 2019/12/13

 

パート1

 

この宮島の島民は、大河ドラマ 『平清盛』 を誘致するために、

清盛の銅像を建てたりしていたようです。

次の大河ドラマは明智光秀の『麒麟がくる』だそうですが、

京都府亀岡市、福知山市などの8市町、兵庫県2市や福井県1町では、

大河ドラマの放送にこぎつけるまで12年かかったそうです!

 

大河ドラマって、影響力おおきいんだねえ。

視聴率の高いのは戦国時代のドラマだという話を聞いたことがあります。

400年近くまえのことだから、好きなことが言えるのだろうと考えます。

フィギュアの織田さんの気持ちも考えず、

織田信長をウツケだの魔王だのと言っている媒体があったりするので、

有名人が先祖にいると、気持ち的にいろいろあるだろうね。

昭和の話がテーマだった、「いだてん~東京オリムピック噺」では、

現在生きている人を忖度して、「配慮しています」なんて字幕が出ていました。

 

閑話休題。

宮島の話に戻ります。

 

存光寺は、三匹の親子猫を飼っています。ネズミ対策。

いまは冬なので、こたつで丸まっているのだとか。

看板に表示されている絵がカワイイ。

 

ご本尊は阿弥陀如来です。曹洞宗はご本尊は釈迦如来のはずなんですが、

禅宗のお坊さんが宗教改革して、宗旨替え。

それまでの宗教は、浄土真宗でした。浄土真宗のご本尊が阿弥陀如来。

地域の人たちは、浄土真宗を信じていましたので、

急にご本尊が変わると戸惑います。

地元の敬愛を配慮して、ご本尊は変えずにいたそうです。

……日本人らしいねえ。

 

ご本尊が違っていても、信仰する気持ちは違わない。

この姿勢は、日本人独特のものかもしれません。

 

そんなにおおらかな信仰のあり方が、

明治時代でガラっと変わるんだから、

天皇の影響力、はんぱねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿弥陀三尊の話も出ました。 阿弥陀如来を中尊とし、

その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配するということで、

存光寺の仏さまたちも、三尊がバッチリ。

菩薩は如来のサポート役だそうです。

 

薬師如来の左手には、万能薬。サポート役は、月光(がっこう)・日光(にっこう)菩薩。

下の方に、12の神将(しんしょう:干支をあらわしている)が配されているのでした。

 

講師のマリさん曰く、

「薬師如来には、夜勤・日勤の看護師と、12人の医師がついているのです。

いつでも病の悩みを受け付けます」

 

なかなかユニークな視点です。

 

薬師如来というのは、病気平癒の仏様です。

これが、看護師を従えているというイメージが、

わたしには新しかったですね。

カトリックだったら、アズボガ・ヤーウェ(天使。力を持って病を癒やす)

という名前が、病気などを癒やす呪文になるそうです。