サイゼリヤと日本の将来

今年の八月二十日に、名古屋の友だちといっしょにサイゼリヤへ行きました。今日の昼食もサイゼリヤ。義母と行くのは、三年ぶりぐらいでしょうか。
オサレ~な雰囲気の店で、メニューも、イタリア料理なので、ちょっとばかり、高級なイメージ。なのに、安い。
そんなサイゼリヤにも、人手不足の波が押し寄せ、名古屋市中区では外国人が給仕しておりました。広島の西部では、まだまだ、そこまで行っていないかもしれず、名古屋の方が、都会です(方言は、『だがねー』だけど!)

ところで、人手不足が日本の将来を奪っている、とする雑誌の記事を見たことがあります。80年代の人手不足のときは、ドイツは移民で、日本は「工場の無人化」で対処して、日本車をバンバン売った。
現状、日本は外国人を受け容れることによって、AIなどの技術を磨くチャンスを棒に振っているというわけですが、すでに外国人は、重要な労働力になっているのでした。
外国人を労働力としてではなく、人間として見て欲しい、という声もあります。
企業の裁量ひとつで、どうにでもなる弱い立場の人たち。日本に夢を抱いていたのに、差別されて苦しんでいる人たち。
日本人も、変わらねばならないのでしょう。
方言で苦労しているであろう、かれらの身になって、話す機会があったら、仕事や家庭、健康などの相談に乗ってあげられるといいな、と思ったりもします。

ダイエットと外国人

スポーツセンターに行く途中、
自転車で学校の前を通り過ぎると、
白人男性に話しかけられました。
「おはようございます!」
日本語です!
目が青いのに!

その前の日には、黒人女性から、
「おはようございます!」
と叫ばれました。
黒い目がキラキラしています。
その外国人たちの背後では、
学生たちが物珍しそうに、
わたしを眺めているのでした。
どうやら、その学校の先生のようです。
学校はたぶん、中学か高校でしょう。

行く途中で学生に出会うのは、登校時間とかち合うためです。
8:30までにスポーツセンターへ行っていた9月ごろは、
意外と学生さんと遭遇することがありました。
スポーツセンターは、7月・8月・9月一杯までは、
8:30から開所します。
それ以外の10月から6月一杯までは、
9時から開所になります。

8月14日からスポーツセンターに行ってます。
帰宅途中の景色も、さまざまに変化しています。
スイカズラの咲くしゃれたマンション。
ゴールデンリトリバーを連れて、散歩しているおじさん。
空ではカモメが舞い飛びます。
神社の前には、「ここは横断しちゃいけません」
と書かれた横断幕もあります。

大きな公園が途中にあって、そこでは海賊船のジャングルジムも。
夏休みの時には、幼稚園児たちが
足に水浴びをしていました。
公園に立ち寄って、ハリポタ魔法同盟をやってると、
「みてみて」
少年の声に振り向くと、バッタ型にした草を見せてくれました。
くだらねーので無視してやったぜ(笑)

ダイエットも、もう3ヶ月目に入ろうとしています。
なにか、知りたいことがあったら、答えられる範囲でお答えします。
ご意見など、よろしくお願いします。

教育と弁当

台湾の子が、朝日新聞に、昼食に持参する弁当を学校で温めないのは変だ、という投書をしていた。台湾では弁当を蒸す機械が学校にあるそうだ。
電子レンジでチンして食べるのはコンビニでおなじみだが、学校では冷たい弁当しか食べたことはない。台湾人から見れば、子どもが気の毒だと言いたいのかもしれないが、別な角度から見ればそうでもない。
弁当を温めることを前提にしたら、キャラ弁などのカラフルな弁当よりは、温めやすい弁当になる。母親としては、手間がまた増える可能性もある。子どもの方も、学校生活がそれで充実するかどうかわからない。いじめは相変わらずあるだろうから、温める機械をめぐって、陰湿なやりとりがある可能性だって否定できない。学校がつまんない人には、苦痛が増えるだけだ。
とはいえ、温かい弁当というのは魅力的だ。冷たいご飯を口にするより、口の中でほろりと甘みが感じられて、ひとときでも学校生活が豊かになるだろう。問題は、そんな機械を入れる器量が、教育委員会にあるかどうか。教育改革の叫ばれる昨今、柔らかな発想と柔軟な対処という言葉は、教育界には存在しないのだとわたしには思えてならない。