女の子が、川にむかってシャボン玉を吹いている。
川は河口につづいている。
水鳥が、河口で遊んでいる。
土手はすでに日が傾いている。
シャボン玉はどんどん大きくなっていく。
「しゃんぽろりん」
音とともに、ふわりと浮いた。
シャボン玉が鳴ることは、女の子にとっては不思議でもなんでもなかった。
まえにも、そういうことがあったからだ。
シャボン玉は、ふわふわ浮いて、川をわたっていく。
河口でちゃぷちゃぷ浮かんでいる水鳥が、それを見て近づいてきた。
「しゃんぽろりん」
シャボン玉は、近づいた水鳥を、飲み込んだ。
「がろがろぎゃあ~~~~!!」
水鳥が鳴いた。外へ出ようと必死になるが、シャボン玉は壊れない。
水鳥は、がろがろ鳴きながら、空へと浮かび上がった。
女の子はストローを振った。
ストローから、シャボン玉の液が飛び散った。
「このシャボン玉セットは、憎い相手を飲み込んで食べてしまうんだよ」
女の子は、おじさんの言葉を思い出す。
おじさんは、ちいさな店をやりながら、趣味の発明をしていた。
ちまたでは、発明家などと呼ばれている。
ママが、その店を『八百屋』というと、おじさんは怒る。
「うちはただの雑貨店です。八百屋じゃありません!」
でも。
いまはいない。
シャボン玉が、食べてしまったからだ。
「使ってご覧、ぼくをめがけて」
おじさんがシャボン玉セットをすすめるので、女の子が、ためしに使ってみたら、あっというまに食べられてしまった。
べつに憎い相手でもなかった。
ただ、ちょっと、あれこれうるさかった。
だから、消えてちょうだいって思いながら、シャボン玉を吹いた。
それで、おじさんが消えてしまった。
夏休みの夕方だった。
水鳥たちは、追ってくるシャボン玉から逃げまどっている。
女の子は、思った。
自分のイヤな相手は、みんなシャボン玉が食べてしまう。
自分のことを、
「きたない」
「ばいきん」
いじめた連中を、シャボン玉が食べてくれる。
おじさんを食べたように。
毎日、学校へ行くのがつらかった。
女の子が話しかけても、こたえは返ってこない。
ばいきんには、しゃべる言葉などあってはいけないのだろうか。
溶けると言われたこともある。
自分が触れたモノは、みんな汚くなって、どろどろに溶けるのだという。
自分の学習机は、溶けていない。
自分の教科書だって、溶けていない。
でも、みんな自分を避けていく。
さわると、「うつる」と言って、ほかのひとに触ったところをなすりつける。
女の子は、悲しかった。
そんなにも、自分は汚いのかと。
学校では、いつも教室の端のほうで、小さく震えていた。
いま、水鳥は、シャボン玉から消えてしまった。
水鳥が消えると、シャボン玉は小さくなって消えた。
おじさんのときと、同じだった。
シャボン玉セットを持って、帰宅した。
家は一軒家で、玄関にはママが、首を長くして待っていた。
女の子が近づくと、ママは目をつりあげて、怒った。
「かなえ、いま何時だと思ってるの!」
夜の六時だった。夕ご飯の時間だった。すっかり忘れていた。
かなえには、パパはいない。パパは小さい頃に、病気で死んでしまった。それ以来、ママは、なにかというとかなえにかまってくる。
かなえは、そういうママが、とても息苦しくなるときがある。
「心配したのよ。ゆかりちゃんのところへ電話しても、いないって言うし」
いじめられっ子なかまのゆかり。ママには、友だちだって言ってる。みんなが仲間はずれにするから、友だちづきあいしてる。仲間はずれどうしで盛り上がることもなかった。ほんとうはゆかりちゃんは、自分のことをどう思っているのだろうか。しかたなく、つきあってるんじゃないだろうか。きっとそうに違いない。だってわたしと付き合ったら、みんなどろどろに溶けちゃうんだもの。
ママは、しつこくくり返す。
「ゆかりちゃんのママも、すごく心配してくれてね。だれか知らない人に、ついていったんじゃないかって……」
「そんなこと、しないよ」
女の子は、すこし不満そうに答えた。わたしはもう、十歳なんだ。子ども扱いしないでほしい。
ママはそれでも、納得したように見えなかった。
「今日は久しぶりに早く帰れたから、ちょっとしたごちそうを用意してたのに、帰ってこないから拍子抜けよ」
「あーっ、うるさいっ! ママなんか、消えちゃえ!」
女の子は、大声で叫んで、シャボン玉セットを取り上げた。
「なによ? そんなものどうするつもり?」
ママが、いぶかしそうに見つめている。
女の子は、シャボン玉を吹いた。
シャボン玉はどんどん大きくなっていく。
「しゃんぽろりん」
音とともに、ふわりと浮いた。
ふわふわ浮いて、ママに襲いかかった。
「ぎゃっ」
ママは、叫んだ。
シャボン玉は、ママの身体に触れた。そして、そのまま身体ごと、飲み込んでしまった。
「わっ、出して、出して~~~」
ママが叫んだ。女の子は、思わず目を覆った。
これから先のことを思うと、とても続けて見る勇気はなかった。
「出してよ、かなえ!」
女の子に叫び続けるママ。女の子は、目を閉じ、耳を覆って、家の中に飛び込んでいった。
その直後。
地獄の亡者のような声が響き渡り、そのままシャボン玉は小さくなって消えた。
おじさんとおなじように。
水鳥とおなじように。
女の子は、怖くなった。
ママがいなくなった部屋は、がらんとしていた。
あれだけガミガミうるさかったママがいない。
せいせいしたと思いたかった。
あれからママがどうなったのか、考えたくなかった。
ママは、よそへ行ったんだと思った。
でも、それがほんとうじゃないことは、いやってほどわかっていた。
シャボン玉セットは、そっくりそのまま手の中にある。
捨ててしまおう。
そうすれば、ママが帰ってくるかもしれない。
ゴミ箱に、捨ててみた。
しかし、シャボン玉セットは、ぴょんっと飛び出してきた。
すなおに捨てられてくれるつもりは、ないようだ。
晩ごはんを食べずに、夜の町を走った。
はあ、はあ、と息が切れてきた。
だれかに相談したかった。
でも、ゆかりちゃんには、相談したくなかった。
ゆかりちゃんといると、自分がみじめないじめられっ子だと思い出してしまう。
先生に言おうか。
ちゃんと、説明すれば、わかってくれるだろうか。
笑われるに、決まってる。
やっぱり、捨ててしまおう。
猫が道を横切った。
女の子は、不気味に光るその瞳を見て、背筋に氷の塊がざあっと注ぎ込まれたような気持ちになった。
おじさんは、いない。
水鳥も、いない。
シャボン玉セットを、どこに捨てよう。
家に捨てるなんて、とんでもなかった。
何度捨てても戻ってくる。
ゴミ箱から、幽霊が出てくるように。
だったら、どこがいいだろう?
コンビニのゴミ箱?
JRのロッカーの中?
道ばたに捨ててやろうか。
女の子は、そっとあたりをみまわした。
「かなえ、まだ帰ってないんだって」
ゆかりちゃんの声がした。
同じいじめられっ子の女の子。見るととなりで、袋に入ったサッカーボールを蹴っている、マコトくんの姿が目に飛び込んできた。
「かなえが? 大西のヤツに、またいじめられているのかな」
と、マコトくんの返事。また、という言葉に、冷えた冬の風が胸の奥底まで吹き込んだような気がした。
好きでいじめられてるわけじゃない。大西をはじめとするグループが、仲間はずれにしてくるだけだ。マコトくんは、たまにしかかばってくれない。
ふう、と息をついて、胸からその風を吐ききった。
もうあきらめてるつもり。だけど、マコトくんの顔を見ると、胸が痛くなってくる。
―――またいじめられてる。
胸の中でこだまするその言葉。普通の言葉のように、なんとなく言っているその言葉。
マコトくんなら、分かってくれると思ったのに。
マコトくんは、こちらに気づいていない。
友だちがたくさんいて、女の子にもよくモテる子だった。
いじめっ子たちのリーダー、大西から、彼女をかばってくれたこともある。
そこで、彼女はマコトくんのつれている女の子をよく見つめた。
細長い顔で、髪の毛は肩まで伸ばし、服のセンスもイマイチの、ダサくてトロそうな女の子。
どこかで見た顔だ。
よく考えた。
だれだろう。
そうだ。
見たことがあるはずだ。
彼女のいじめられっ子なかまの、ゆかりちゃんだった。
「マコトくんといっしょで良かったわ」
ゆかりちゃんは、明るい声で言った。
「正直に言うけど、かなえちゃんはちょっと、しゃべっていてつかれることもあるの」
「ふーん……」
ふと、ふたりは立ち止まった
「へー。ゆかりちゃん、ゆかりちゃんのことを友だちだと思ってたけどね」
まなじりをつりあげて、シャボン玉セットを手にした女の子に気づいたからである。
その、鬼のような血走った目と、震える唇を見て、ゆかりちゃんはヒッ、と声をもらした。
「どうやったら、ゆかりちゃんみたいに仲良くなれるのかな?」
シャボン玉セットを手にしたかなえは、地鳴りのようなうなり声をあげた。
「か、かなえ」
「わたしの悪口を言ってたよね?」
「そ、それは……、ね、ママの所へかえろ?」
ゆかりちゃんは、震える声で答える。かなえは、シャボン玉セットをぎゅっと握りしめた。言ってしまおうか。やっぱりやめようか。
ええい、どうにでもなれ!
「ママは、もういないのよ」
「え……」
ゆかりちゃんとマコトくんは、きょとんとなった。
「ママは、どこにもいないの。家にも、おばあちゃんちにも」
かなえは、小鳥のように震えだした。
「ママは、いなくなったの。わたしが、消したの」
そう言うと、かなえはシャボン玉セットを手にして、頭をのけぞらせて笑いはじめた。
「あなたが、消したって……」
ゆかりちゃんは、目をぱちぱちさせた。
そして、笑い転げているかなえをみて、腰に手をやってふくれっ面になった。
「じょうだんばっかり。どうやって消せるのよ? 手品でもするっていうの?」
「この、魔法のシャボン玉セットで消すのよ」
ピタリと笑い声をやめて、かなえは真顔で言った。
ゆかりちゃんは、もう十歳にもなってるに、サンタが実在すると言われたみたいな顔をした。
「ま、まほう?」
「そう、魔法。これを使えば、どんな憎いヤツでも、消えてなくなっちゃうの。見てて」
そう言うと、ストローを取り出して、道を歩いている猫をにらんだ。猫は、にゃあ、と甘えた声を放っている。
「ど、どうするつもり?」
ゆかりちゃんが、少しとまどっていると、かなえはシャボン玉を吹いた。
シャボン玉はどんどん大きくなっていく。
「しゃんぽろりん」
音とともに、ふわりと浮いた。
ふわふわ浮いて、猫にとりついた。
「ぎゃあ~~~~!!」
猫が、火のついたように叫んだ。
かなえは、目をぎゅっと閉じた。しかし、何も知らないゆかりちゃんとマコトくんは、消えた猫を、しっかりと目撃してしまった。
「うわ……」
マコトくんは、青ざめ、吐きそうになっている。
しかし、ゆかりちゃんは、小首をかしげて、
「猫が消えちゃったわ。手品なのね、ちょっと貸してよ」
と言い出した。
かなえは、シャボン玉セットを握りしめた。ゆかりちゃんに渡すくらいなら、このシャボン玉セットをまるごと海に投げ捨ててやる。
そのするどくもしつこそうな目つきに、ゆかりちゃんは唇を噛んで、
「貸さないんだったら、先生に言いつけちゃうんだから」
おどしてくるのである。
「あんたもシャボン玉で消してやるわよ」
かなえは言い返してやった。
その言い合いを見ていたマコトくんは、
「元の持ち主に返そうよ」
「でも、発明家のおじさんは消えちゃったのよ?」
かなえは、元の持ち主のおじさんを、うるさいから消してしまったという話をしてあげた。衝撃を受けたゆかりちゃんとマコトくんは、かなえを以前とは違う目で見ている。そんな目で見て欲しくない、とかなえは思った。
「だって、ほんとうだとは思わなかったんだもの」
いいわけをしてみるが、
「でも、たったいま、何の罪もない猫を消しちゃったじゃないか」
マコトくんは、けいべつしたような目で言った。
「そうしなけりゃ、信じなかったでしょ? ね?」
すがりつくように、かなえ。
唇を噛みしめ、まったくあきれた、という顔つきで、ゆかりちゃんも、
「あなたのママも、消しちゃったのね?」
かなえは、しぶしぶうなずいた。
「うん。ママが悪いのよ。いつまでもガミガミ言うから」
ゆかりちゃんとマコトくんは、ふたりでため息をついた。
「ん……、でも、マコトくんの言うとおりだわ。このシャボン玉セットは危険ね。なんとか捨てる、いい方法を見つけなくちゃ」
「イヤイヤ。そんなの、イヤだわ」
かなえは、シャボン玉セットを抱きしめた。
「いじめっ子たちを、これでやっつけてやるんだわ」
「ふーん、どうするのよ。まさかみんなを、消すつもり?」
「そ、そうよ。悪い?」
叩きつけるように言うなり、かなえはシャボン玉セットを抱えたまま、すごいスピードで駆けはじめた。
「あ、待って! ダメよ、使っちゃダメ!」
ゆかりちゃんとマコトくんが、あとを追いかけ始めた。
いじめっ子のリーダー、大西の家はマンションだった。
部屋にいる。ラッキー。シャボン玉が浮かんで、部屋に忍び込み、大西のバカを消してやる。
激しいまなざしで、マンションを見あげるかなえ。
月がしらじらと照っている。
「その発明家には、奥さんがいるんだろ。相談しろよ」
マコトくんが、かなえの腕を取ろうとするが、かなえはむんずと振りほどいた。
「わたしは、しかえししてやりたいのよ」
「しかえし?」
「ずーっといじめられてた。やっつけてやらなきゃ、気がすまない」
「だからって、消すことないだろう。キミにはゆかりちゃんという、親友もいるじゃないか」
「いやよ。ぜったいいや」
かなえは、頭を振った。
「弱いものいじめなんてさいてー。さいてーの人間には、さいてーの扱いがふさわしいわ」
「じゃあ、シャボン玉セットを持ったあんたはさいてーじゃねーのか」
マコトくんは、シャボン玉セットを取り上げようとした。
「あっ、ダメ、それは―――」
ストローを取り上げたマコトくんを見て、かなえは思わず声を上げた。
「これがあるから、シャボン玉が作れるんだ、折ってやればいい」
マコトくんは、ストローを折った。
とたん。
ストローの折れたところから液体が漏れて、マコトくんの手のひらに滴った。
「あっ」
マコトくんは、叫んだ。
液体は、ブワッと膨らんだ。
どんどん大きくなっていく。
「しゃんぽろりん」
音とともに、ふわりと浮いた。
そして、マコトくんを飲み込んでしまった。
マコトくんが、なかにいる!
「出せ、こら、おい!」
マコトくんの叫び声。
ゆかりちゃんは、悲鳴を上げた。
そして、月がかげった。
シャボン玉は、小さくなった。
ゆかりちゃんは、いまや逃げ出す体勢だ。
「ひとが消えた! ひとごろし!」
叫びながら、腰を落としながら、フラフラと駆けていく。
マコトくんが、死んでしまった。
かなえは、キリキリと胃が痛むのを感じた。
あの笑顔も。
あのたくましさも。
あの優しさも。
すべて、シャボン玉が、飲み込んでしまった。
糸の切れた凧のように、かなえはなにかがこころの中で、ぷつりと音を立てて切れるのを感じた。
消してやる。
こうなった原因の、大西を。
大西がいじめさえしなければ、マコトくんは死ぬことはなかったのだ。
マコトくんのかたきを、とってやる。
目を上げると、ゆかりちゃんは、舗道の向こうへ消えていくところだった。
―――ひとりぼっち。
友だちを失った。好きな人もいなくなった。ママもいない。頼みのおじさんは、溶けてしまった。
ぜんぶ、大西のせいだ。
かなえは、はらわたが煮えくり返るような怒りを感じた。
そのまま、シャボン玉セットを手にする。
ストローから、シャボン玉。
シャボン玉はどんどん大きくなっていく。
「しゃんぽろりん」
音とともに、ふわりと浮いた。
ふわふわ浮いて、マンションの大西の部屋へ。
すうっと窓ガラスを溶かして、中にはいっていった。
「ぎゃあ~~~~!!」
大西の声が、断末魔のモンスターのようだった。
すべてが、片付いてしまった。
たったひとり、かなえをのぞいて。
大西が消える姿を見たかった。
だけど、すべてはもう終わったこと。
しかえしをすれば、胸がすっとする、と思ってたけど、そうでもなかった。
かなえは、帰路についた。
晩ごはん、もう、食べたくない。
家につくと、警察が待ち構えていた。
ゆかりちゃんが、警察を呼んだらしい。
「キミが、ママを殺したって、ほんとかい」
親切そうな老刑事の言葉に、かなえはかすかにうなずいた。
「この、シャボン玉セットを使ったんです」
「どれどれ、見せてもらおこうか……」
刑事は、シャボン玉セットを取り上げた。
「ほんとに、こんなもので人が殺せるんでしょうかね」
若い刑事が、笑いながら言った。
「あの小松原っておじさんは、この辺じゃ有名な発明家だった。それくらいはできるだろう」 老刑事は、そう言ってシャボン玉セットの液を見た。
「空っぽだな」
「中身がないんだったら、分析のしようがありませんね」
「殺した人間の証拠もない。立件は不可能だな」
かなえは、シャボン玉セットを返され、解放された。
ゆかりちゃんが、おびえたように家のそばでたたずんでいた。
「ゆかりちゃん……、ごめんなさい」
はじめて、ほんとうのゆかりちゃんのことが、分かった気がした。
マコトくんと仲がいいのは、当たり前だ。
しかえしのことばかりで頭がいっぱいのわたしより、ゆかりちゃんのほうが、ずっとおとなだ。
マコトくん。
帰ってきてよ。
ママ。
どこにいるの?
どうやったら、帰ってきてくれるの?
「ゆかりちゃん。ごめんなさい」
ゆかりちゃんは、かなえの表情を見て、少し安心したようになった。
「シャボン玉セット、どうなったの?」
「中身がないから、もう使えない」
「それじゃあ、おじさんの奥さんに返しましょうよ。もしかしたら、なにか、いい方法を教えてくれるかもしれない」
死んだ人が生き返る、なんてあり得ない。
そんなご都合主義な話があるものか。
生き返っても、ゾンビみたいだったらこまるじゃないか。
いろいろ反論はあったけど、
「そうね、やってみよう!」
かなえは、ゆかりちゃんの腕を取った。
そして、シャボン玉セットを握って、
「どうにでもなれ、だわ!」
またしてもやけっぱちな気分でそう言うのだった。
おじさんの奥さんは、まだちいさな店のなかで、ぼんやりしていた。
かなえとゆかりちゃんが、店の入口でぼんやりしている奥さんを見て、声をかけると、
「あら、その手に持っているのは」
奥さんは、居住まいを正した。
かなえが、自分のしでかした間違いを、ぽつりぽつり話すと、奥さんはじっくり考えて、こう言った。
「なんとかなるかもしれない」
「えっ」
子どもたち二人は、同時に言って目を輝かせた。
「どういうことですか! どうやって?」
「ママは? おじさんは? マコトくんは帰ってくるの?」
いまにも相手を押し倒しそうなので、奥さんはちょっと身を引いた。
「とにかく、シャボン玉セットを返してちょうだい。いっしょに処分しましょう」
そういうと、シャボン玉セットをかなえから受け取り、奥さんは台所へと二人を寄せた。
商店のなかは、小さなテーブルが置かれていて、お茶のセットの入ったタンスや、柱時計が昭和って感じだった。とても発明家の住む家とは思えない。
「シゲルさんは、わたしとは幼なじみなの」
奥さんは、夫のことを話し始めた。
「お金を貸してくれない銀行員を、いつもいつも目の敵にしてたわ。こんな素晴らしい発明が分からないなんて、どうかしてるっていうの」
「―――憎い人を殺す道具が、素晴らしいんですか?」
ゆかりちゃんは、信じられないという声だったが、かなえは、少しその気持ちがわかる気がした。かなえだって、毎日ガミガミ言うママのことを、うるさく思っていたではないか。
「使い方次第では、いいこともあるかもしれないわ」
奥さんは、遠い目になった。
「世の中には、悪いことをして罰を受けない人が大勢いますからね」
「そうなの」
かなえは、すなおに納得していたが、ゆかりちゃんは、
「ちゃんと、警察に突き出すべきだわ」
ぶつくさ言っている。ゆかりちゃんは正義感が強すぎるので、人からきらわれているという面があることを、かなえはいまさらながら思い出した。
「それに、消すっていうのも、そう見えるって言うだけなの」
奥さんは、優しい笑顔を見せた。
「ほら、いわゆるひとつの、幻覚を見せてるのよ。映画館で映画を見るように、シャボン玉のなかに映像を放映しているの。さ、このシャボン玉セットをよく見て」
台所のガスコンロに近づける。コンロに火を付けた。
「あ、あぶない!」
思わず、かなえは口走った。
シャボン玉セットが、ぶるぶる震えだし、悪意のかたまりのような声で、
「おまえは嫌われてとうぜんだ……、人を消してのうのうとしている……」
と口走りつつ、蛇のような煙を吹き出したからである。
蛇のような煙は、容器のまわりをぐるぐるまわり、さらに邪悪な声で、
「おまえには生きている値打ちはない……、汚いやつめ、腐ったヤツめ。こころが汚いからみんなから嫌われるのだ。おまえは一生嫌われるのだ……」
煙は台所を充満し、息をするのもやっとだ。
「だまれ、こいつから立ち去れ!」
奥さんがしかりつけると、容器はいきなり、ボッ! と爆発、炸裂して消失した。
そして……。
「だから言ったでしょう。ひとのものを勝手に取っちゃ、いけません!」
現れたのだ。
ママが。
おじさんが。
マコトくんが。
もちろん、水鳥や猫もいる。
大西などは、ぼんやり突っ立っていて、まるで棒きれだ。
みんな、抱き合って喜んだ。
「幻覚は、立ち去りました」
奥さんは、しっかりと立っている。
「みなさん、ごぶじでしたか」
「あー、異次元に飛ばされたっておじさんから聞いたときは、どうなるかと思ったけど。奥さんがいてくれて、助かりました」
マコトくんは、ゆかりちゃんの手を取っている。
「みんなキミのおかげだ」
「そんな……、かなえもがんばったわ」
ゆかりちゃんは、恥ずかしそうに答える。
「結局、どういうことなんですか?」
かなえは、いまひとつ飲み込めなかった。
奥さんは笑いながら、
「つまり、あのシャボン玉セットは、気に入らない人間を水簾洞(すいれんどう)へ送る装置なのよ」
「水簾洞……?」
「そう、仙人の住む世界。
そこで、自分のいけないところや悪いところを、こってりと仙人に説教されるの。わたしたちが、取り戻そうと思ったときには、容器を燃やせば戻ってくるのよ。その点では、まだまだ改良の余地はあるわね、あなた?」
「ん? もう充分試験はしたような……」
「売るんですか!」
ゆかりちゃんとマコトくんが、あきれかえって叫んだ。
発明家のおじさんは、発明をやめ、
今は本業のお店を一生懸命、営んでいる。