クチナシの香り

小説家になろう サイトで絵里子として投稿した作品に
ファンアートがつきました!

秋の桜子さんの作品です。

 

 公園に駆けて行くとクチナシの花が香っていた。

 梅雨である。雨の中を、ブランコや滑り台が雨粒に輝いている。

 キラキラ光る星のようなブランコや滑り台を見ながら、

 クチナシの白い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 スズメが水遊びをしている。

 となりの家からは、ジャズの音楽が流れてくる。

カラスがジャズにあわせて踊っている。

 ジャズが盛り上がっていくと、白い煙がもわっと舞い上がり

 公園中にひろがってしまった。

 公園にあったラクダやパンダの小さな乗り物が、むくむくと起き上がり

 あわてながら煙のもとをさがしている。

 煙がなくなってしまったとき、ジャズもスズメもカラスもみんなどこかにいなくなり

 小さな公園には、ただ煌めくクチナシの香りの光が降り注いでいるだけだった。

 いったい、どうしたことなのか?

 公園にいるのはわたしだけだったので、調べようもなかったけれど

 ネットのみんなにその話をしたら、

「それはきっと、梅雨が明けようという合図なんだろう」

「夏の香りがいたずらをしたのだろう」

 ということで決着が付いた。

シャボン玉、消えた

 女の子が、川にむかってシャボン玉を吹いている。

 川は河口につづいている。

 水鳥が、河口で遊んでいる。

 土手はすでに日が傾いている。

 シャボン玉はどんどん大きくなっていく。

「しゃんぽろりん」

 音とともに、ふわりと浮いた。

 シャボン玉が鳴ることは、女の子にとっては不思議でもなんでもなかった。

 まえにも、そういうことがあったからだ。

 シャボン玉は、ふわふわ浮いて、川をわたっていく。

 河口でちゃぷちゃぷ浮かんでいる水鳥が、それを見て近づいてきた。

「しゃんぽろりん」

 シャボン玉は、近づいた水鳥を、飲み込んだ。

「がろがろぎゃあ~~~~!!」

 水鳥が鳴いた。外へ出ようと必死になるが、シャボン玉は壊れない。

 水鳥は、がろがろ鳴きながら、空へと浮かび上がった。

 女の子はストローを振った。

 ストローから、シャボン玉の液が飛び散った。

「このシャボン玉セットは、憎い相手を飲み込んで食べてしまうんだよ」

 女の子は、おじさんの言葉を思い出す。

 おじさんは、ちいさな店をやりながら、趣味の発明をしていた。

 ちまたでは、発明家などと呼ばれている。

 ママが、その店を『八百屋』というと、おじさんは怒る。

 「うちはただの雑貨店です。八百屋じゃありません!」

 でも。

 いまはいない。

 シャボン玉が、食べてしまったからだ。

「使ってご覧、ぼくをめがけて」

 おじさんがシャボン玉セットをすすめるので、女の子が、ためしに使ってみたら、あっというまに食べられてしまった。

 べつに憎い相手でもなかった。

 ただ、ちょっと、あれこれうるさかった。

 だから、消えてちょうだいって思いながら、シャボン玉を吹いた。

 それで、おじさんが消えてしまった。

 夏休みの夕方だった。

 水鳥たちは、追ってくるシャボン玉から逃げまどっている。

 女の子は、思った。

 自分のイヤな相手は、みんなシャボン玉が食べてしまう。

 自分のことを、

「きたない」

「ばいきん」

 いじめた連中を、シャボン玉が食べてくれる。

 おじさんを食べたように。

 毎日、学校へ行くのがつらかった。

 女の子が話しかけても、こたえは返ってこない。

 ばいきんには、しゃべる言葉などあってはいけないのだろうか。

 溶けると言われたこともある。

 自分が触れたモノは、みんな汚くなって、どろどろに溶けるのだという。

 自分の学習机は、溶けていない。

 自分の教科書だって、溶けていない。

 でも、みんな自分を避けていく。

 さわると、「うつる」と言って、ほかのひとに触ったところをなすりつける。

 女の子は、悲しかった。

 そんなにも、自分は汚いのかと。

 学校では、いつも教室の端のほうで、小さく震えていた。

 いま、水鳥は、シャボン玉から消えてしまった。

 水鳥が消えると、シャボン玉は小さくなって消えた。

 おじさんのときと、同じだった。

シャボン玉セットを持って、帰宅した。

 家は一軒家で、玄関にはママが、首を長くして待っていた。

 女の子が近づくと、ママは目をつりあげて、怒った。

「かなえ、いま何時だと思ってるの!」

 夜の六時だった。夕ご飯の時間だった。すっかり忘れていた。

 かなえには、パパはいない。パパは小さい頃に、病気で死んでしまった。それ以来、ママは、なにかというとかなえにかまってくる。

 かなえは、そういうママが、とても息苦しくなるときがある。

「心配したのよ。ゆかりちゃんのところへ電話しても、いないって言うし」

 いじめられっ子なかまのゆかり。ママには、友だちだって言ってる。みんなが仲間はずれにするから、友だちづきあいしてる。仲間はずれどうしで盛り上がることもなかった。ほんとうはゆかりちゃんは、自分のことをどう思っているのだろうか。しかたなく、つきあってるんじゃないだろうか。きっとそうに違いない。だってわたしと付き合ったら、みんなどろどろに溶けちゃうんだもの。

 ママは、しつこくくり返す。

「ゆかりちゃんのママも、すごく心配してくれてね。だれか知らない人に、ついていったんじゃないかって……」

「そんなこと、しないよ」

 女の子は、すこし不満そうに答えた。わたしはもう、十歳なんだ。子ども扱いしないでほしい。

 ママはそれでも、納得したように見えなかった。

「今日は久しぶりに早く帰れたから、ちょっとしたごちそうを用意してたのに、帰ってこないから拍子抜けよ」

「あーっ、うるさいっ! ママなんか、消えちゃえ!」

 女の子は、大声で叫んで、シャボン玉セットを取り上げた。

「なによ? そんなものどうするつもり?」

 ママが、いぶかしそうに見つめている。

 女の子は、シャボン玉を吹いた。

 シャボン玉はどんどん大きくなっていく。

「しゃんぽろりん」

 音とともに、ふわりと浮いた。

 ふわふわ浮いて、ママに襲いかかった。

「ぎゃっ」

 ママは、叫んだ。

 シャボン玉は、ママの身体に触れた。そして、そのまま身体ごと、飲み込んでしまった。

「わっ、出して、出して~~~」

 ママが叫んだ。女の子は、思わず目を覆った。

 これから先のことを思うと、とても続けて見る勇気はなかった。

「出してよ、かなえ!」

 女の子に叫び続けるママ。女の子は、目を閉じ、耳を覆って、家の中に飛び込んでいった。

 その直後。

 地獄の亡者のような声が響き渡り、そのままシャボン玉は小さくなって消えた。

 おじさんとおなじように。

 水鳥とおなじように。

 女の子は、怖くなった。

 ママがいなくなった部屋は、がらんとしていた。

 あれだけガミガミうるさかったママがいない。

 せいせいしたと思いたかった。

 あれからママがどうなったのか、考えたくなかった。

 ママは、よそへ行ったんだと思った。

 でも、それがほんとうじゃないことは、いやってほどわかっていた。

 シャボン玉セットは、そっくりそのまま手の中にある。

 捨ててしまおう。

 そうすれば、ママが帰ってくるかもしれない。

 ゴミ箱に、捨ててみた。

 しかし、シャボン玉セットは、ぴょんっと飛び出してきた。

 すなおに捨てられてくれるつもりは、ないようだ。

 晩ごはんを食べずに、夜の町を走った。

 はあ、はあ、と息が切れてきた。

 だれかに相談したかった。

 でも、ゆかりちゃんには、相談したくなかった。

 ゆかりちゃんといると、自分がみじめないじめられっ子だと思い出してしまう。

 先生に言おうか。

 ちゃんと、説明すれば、わかってくれるだろうか。

 笑われるに、決まってる。

 やっぱり、捨ててしまおう。

 猫が道を横切った。

 女の子は、不気味に光るその瞳を見て、背筋に氷の塊がざあっと注ぎ込まれたような気持ちになった。

 おじさんは、いない。

 水鳥も、いない。

 シャボン玉セットを、どこに捨てよう。

 家に捨てるなんて、とんでもなかった。

 何度捨てても戻ってくる。

 ゴミ箱から、幽霊が出てくるように。

 だったら、どこがいいだろう?

 コンビニのゴミ箱?

 JRのロッカーの中?

 道ばたに捨ててやろうか。

 女の子は、そっとあたりをみまわした。

「かなえ、まだ帰ってないんだって」

 ゆかりちゃんの声がした。

 同じいじめられっ子の女の子。見るととなりで、袋に入ったサッカーボールを蹴っている、マコトくんの姿が目に飛び込んできた。

「かなえが? 大西のヤツに、またいじめられているのかな」

 と、マコトくんの返事。また、という言葉に、冷えた冬の風が胸の奥底まで吹き込んだような気がした。

 好きでいじめられてるわけじゃない。大西をはじめとするグループが、仲間はずれにしてくるだけだ。マコトくんは、たまにしかかばってくれない。

 ふう、と息をついて、胸からその風を吐ききった。

 もうあきらめてるつもり。だけど、マコトくんの顔を見ると、胸が痛くなってくる。

 ―――またいじめられてる。

 胸の中でこだまするその言葉。普通の言葉のように、なんとなく言っているその言葉。

 マコトくんなら、分かってくれると思ったのに。

 マコトくんは、こちらに気づいていない。

 友だちがたくさんいて、女の子にもよくモテる子だった。

 いじめっ子たちのリーダー、大西から、彼女をかばってくれたこともある。

 そこで、彼女はマコトくんのつれている女の子をよく見つめた。

 細長い顔で、髪の毛は肩まで伸ばし、服のセンスもイマイチの、ダサくてトロそうな女の子。

 どこかで見た顔だ。

 よく考えた。

 だれだろう。

 そうだ。

 見たことがあるはずだ。

 彼女のいじめられっ子なかまの、ゆかりちゃんだった。

「マコトくんといっしょで良かったわ」

 ゆかりちゃんは、明るい声で言った。

「正直に言うけど、かなえちゃんはちょっと、しゃべっていてつかれることもあるの」

「ふーん……」

 ふと、ふたりは立ち止まった

「へー。ゆかりちゃん、ゆかりちゃんのことを友だちだと思ってたけどね」

 まなじりをつりあげて、シャボン玉セットを手にした女の子に気づいたからである。

 その、鬼のような血走った目と、震える唇を見て、ゆかりちゃんはヒッ、と声をもらした。

「どうやったら、ゆかりちゃんみたいに仲良くなれるのかな?」

 シャボン玉セットを手にしたかなえは、地鳴りのようなうなり声をあげた。

「か、かなえ」

「わたしの悪口を言ってたよね?」

「そ、それは……、ね、ママの所へかえろ?」

 ゆかりちゃんは、震える声で答える。かなえは、シャボン玉セットをぎゅっと握りしめた。言ってしまおうか。やっぱりやめようか。

 ええい、どうにでもなれ!

「ママは、もういないのよ」

「え……」

 ゆかりちゃんとマコトくんは、きょとんとなった。

「ママは、どこにもいないの。家にも、おばあちゃんちにも」

 かなえは、小鳥のように震えだした。

「ママは、いなくなったの。わたしが、消したの」

 そう言うと、かなえはシャボン玉セットを手にして、頭をのけぞらせて笑いはじめた。

「あなたが、消したって……」

 ゆかりちゃんは、目をぱちぱちさせた。

 そして、笑い転げているかなえをみて、腰に手をやってふくれっ面になった。

「じょうだんばっかり。どうやって消せるのよ? 手品でもするっていうの?」

「この、魔法のシャボン玉セットで消すのよ」

 ピタリと笑い声をやめて、かなえは真顔で言った。

 ゆかりちゃんは、もう十歳にもなってるに、サンタが実在すると言われたみたいな顔をした。

「ま、まほう?」

「そう、魔法。これを使えば、どんな憎いヤツでも、消えてなくなっちゃうの。見てて」

 そう言うと、ストローを取り出して、道を歩いている猫をにらんだ。猫は、にゃあ、と甘えた声を放っている。

「ど、どうするつもり?」

 ゆかりちゃんが、少しとまどっていると、かなえはシャボン玉を吹いた。

 シャボン玉はどんどん大きくなっていく。

「しゃんぽろりん」

 音とともに、ふわりと浮いた。

 ふわふわ浮いて、猫にとりついた。

「ぎゃあ~~~~!!」

 猫が、火のついたように叫んだ。

 かなえは、目をぎゅっと閉じた。しかし、何も知らないゆかりちゃんとマコトくんは、消えた猫を、しっかりと目撃してしまった。

「うわ……」

 マコトくんは、青ざめ、吐きそうになっている。

 しかし、ゆかりちゃんは、小首をかしげて、

「猫が消えちゃったわ。手品なのね、ちょっと貸してよ」

 と言い出した。

 かなえは、シャボン玉セットを握りしめた。ゆかりちゃんに渡すくらいなら、このシャボン玉セットをまるごと海に投げ捨ててやる。

 そのするどくもしつこそうな目つきに、ゆかりちゃんは唇を噛んで、

「貸さないんだったら、先生に言いつけちゃうんだから」

 おどしてくるのである。

「あんたもシャボン玉で消してやるわよ」

 かなえは言い返してやった。

 その言い合いを見ていたマコトくんは、

「元の持ち主に返そうよ」

「でも、発明家のおじさんは消えちゃったのよ?」

 かなえは、元の持ち主のおじさんを、うるさいから消してしまったという話をしてあげた。衝撃を受けたゆかりちゃんとマコトくんは、かなえを以前とは違う目で見ている。そんな目で見て欲しくない、とかなえは思った。

「だって、ほんとうだとは思わなかったんだもの」

 いいわけをしてみるが、

「でも、たったいま、何の罪もない猫を消しちゃったじゃないか」

 マコトくんは、けいべつしたような目で言った。

「そうしなけりゃ、信じなかったでしょ? ね?」

すがりつくように、かなえ。

 唇を噛みしめ、まったくあきれた、という顔つきで、ゆかりちゃんも、

「あなたのママも、消しちゃったのね?」

 かなえは、しぶしぶうなずいた。

「うん。ママが悪いのよ。いつまでもガミガミ言うから」

 ゆかりちゃんとマコトくんは、ふたりでため息をついた。

「ん……、でも、マコトくんの言うとおりだわ。このシャボン玉セットは危険ね。なんとか捨てる、いい方法を見つけなくちゃ」

「イヤイヤ。そんなの、イヤだわ」

 かなえは、シャボン玉セットを抱きしめた。

「いじめっ子たちを、これでやっつけてやるんだわ」

「ふーん、どうするのよ。まさかみんなを、消すつもり?」

「そ、そうよ。悪い?」

 叩きつけるように言うなり、かなえはシャボン玉セットを抱えたまま、すごいスピードで駆けはじめた。

「あ、待って! ダメよ、使っちゃダメ!」

 ゆかりちゃんとマコトくんが、あとを追いかけ始めた。

 いじめっ子のリーダー、大西の家はマンションだった。

 部屋にいる。ラッキー。シャボン玉が浮かんで、部屋に忍び込み、大西のバカを消してやる。

 激しいまなざしで、マンションを見あげるかなえ。

 月がしらじらと照っている。

「その発明家には、奥さんがいるんだろ。相談しろよ」

 マコトくんが、かなえの腕を取ろうとするが、かなえはむんずと振りほどいた。

「わたしは、しかえししてやりたいのよ」

「しかえし?」

「ずーっといじめられてた。やっつけてやらなきゃ、気がすまない」

「だからって、消すことないだろう。キミにはゆかりちゃんという、親友もいるじゃないか」

「いやよ。ぜったいいや」

 かなえは、頭を振った。

「弱いものいじめなんてさいてー。さいてーの人間には、さいてーの扱いがふさわしいわ」

「じゃあ、シャボン玉セットを持ったあんたはさいてーじゃねーのか」

 マコトくんは、シャボン玉セットを取り上げようとした。

「あっ、ダメ、それは―――」

 ストローを取り上げたマコトくんを見て、かなえは思わず声を上げた。

「これがあるから、シャボン玉が作れるんだ、折ってやればいい」

 マコトくんは、ストローを折った。

 とたん。

 ストローの折れたところから液体が漏れて、マコトくんの手のひらに滴った。

「あっ」

 マコトくんは、叫んだ。

 液体は、ブワッと膨らんだ。

 どんどん大きくなっていく。

「しゃんぽろりん」

 音とともに、ふわりと浮いた。

 そして、マコトくんを飲み込んでしまった。

 マコトくんが、なかにいる!

「出せ、こら、おい!」

 マコトくんの叫び声。

 ゆかりちゃんは、悲鳴を上げた。

 そして、月がかげった。

 シャボン玉は、小さくなった。

 ゆかりちゃんは、いまや逃げ出す体勢だ。

「ひとが消えた! ひとごろし!」

 叫びながら、腰を落としながら、フラフラと駆けていく。

 マコトくんが、死んでしまった。

 かなえは、キリキリと胃が痛むのを感じた。

 あの笑顔も。

 あのたくましさも。

 あの優しさも。

 すべて、シャボン玉が、飲み込んでしまった。

 糸の切れた凧のように、かなえはなにかがこころの中で、ぷつりと音を立てて切れるのを感じた。

 消してやる。

 こうなった原因の、大西を。

 大西がいじめさえしなければ、マコトくんは死ぬことはなかったのだ。

 マコトくんのかたきを、とってやる。

 目を上げると、ゆかりちゃんは、舗道の向こうへ消えていくところだった。

 ―――ひとりぼっち。

 友だちを失った。好きな人もいなくなった。ママもいない。頼みのおじさんは、溶けてしまった。

 ぜんぶ、大西のせいだ。

 かなえは、はらわたが煮えくり返るような怒りを感じた。

 そのまま、シャボン玉セットを手にする。

 ストローから、シャボン玉。

 シャボン玉はどんどん大きくなっていく。

「しゃんぽろりん」

 音とともに、ふわりと浮いた。

 ふわふわ浮いて、マンションの大西の部屋へ。

 すうっと窓ガラスを溶かして、中にはいっていった。

「ぎゃあ~~~~!!」

 大西の声が、断末魔のモンスターのようだった。

 すべてが、片付いてしまった。

 たったひとり、かなえをのぞいて。

 大西が消える姿を見たかった。

 だけど、すべてはもう終わったこと。

 しかえしをすれば、胸がすっとする、と思ってたけど、そうでもなかった。

 かなえは、帰路についた。

 晩ごはん、もう、食べたくない。

 家につくと、警察が待ち構えていた。

 ゆかりちゃんが、警察を呼んだらしい。

「キミが、ママを殺したって、ほんとかい」

 親切そうな老刑事の言葉に、かなえはかすかにうなずいた。

「この、シャボン玉セットを使ったんです」

「どれどれ、見せてもらおこうか……」

 刑事は、シャボン玉セットを取り上げた。

「ほんとに、こんなもので人が殺せるんでしょうかね」

 若い刑事が、笑いながら言った。

「あの小松原っておじさんは、この辺じゃ有名な発明家だった。それくらいはできるだろう」 老刑事は、そう言ってシャボン玉セットの液を見た。

「空っぽだな」

「中身がないんだったら、分析のしようがありませんね」

「殺した人間の証拠もない。立件は不可能だな」

 かなえは、シャボン玉セットを返され、解放された。

 ゆかりちゃんが、おびえたように家のそばでたたずんでいた。

「ゆかりちゃん……、ごめんなさい」

 はじめて、ほんとうのゆかりちゃんのことが、分かった気がした。

 マコトくんと仲がいいのは、当たり前だ。

 しかえしのことばかりで頭がいっぱいのわたしより、ゆかりちゃんのほうが、ずっとおとなだ。

 マコトくん。

 帰ってきてよ。

 ママ。

 どこにいるの?

 どうやったら、帰ってきてくれるの?

「ゆかりちゃん。ごめんなさい」

 ゆかりちゃんは、かなえの表情を見て、少し安心したようになった。

「シャボン玉セット、どうなったの?」

「中身がないから、もう使えない」

「それじゃあ、おじさんの奥さんに返しましょうよ。もしかしたら、なにか、いい方法を教えてくれるかもしれない」

 死んだ人が生き返る、なんてあり得ない。

 そんなご都合主義な話があるものか。

 生き返っても、ゾンビみたいだったらこまるじゃないか。

 いろいろ反論はあったけど、

「そうね、やってみよう!」

 かなえは、ゆかりちゃんの腕を取った。

 そして、シャボン玉セットを握って、

「どうにでもなれ、だわ!」

 またしてもやけっぱちな気分でそう言うのだった。

 おじさんの奥さんは、まだちいさな店のなかで、ぼんやりしていた。

 かなえとゆかりちゃんが、店の入口でぼんやりしている奥さんを見て、声をかけると、

「あら、その手に持っているのは」

 奥さんは、居住まいを正した。

 かなえが、自分のしでかした間違いを、ぽつりぽつり話すと、奥さんはじっくり考えて、こう言った。

「なんとかなるかもしれない」

「えっ」

 子どもたち二人は、同時に言って目を輝かせた。

「どういうことですか! どうやって?」

「ママは? おじさんは? マコトくんは帰ってくるの?」

 いまにも相手を押し倒しそうなので、奥さんはちょっと身を引いた。

「とにかく、シャボン玉セットを返してちょうだい。いっしょに処分しましょう」

 そういうと、シャボン玉セットをかなえから受け取り、奥さんは台所へと二人を寄せた。

 商店のなかは、小さなテーブルが置かれていて、お茶のセットの入ったタンスや、柱時計が昭和って感じだった。とても発明家の住む家とは思えない。

「シゲルさんは、わたしとは幼なじみなの」

 奥さんは、夫のことを話し始めた。

「お金を貸してくれない銀行員を、いつもいつも目の敵にしてたわ。こんな素晴らしい発明が分からないなんて、どうかしてるっていうの」

「―――憎い人を殺す道具が、素晴らしいんですか?」

 ゆかりちゃんは、信じられないという声だったが、かなえは、少しその気持ちがわかる気がした。かなえだって、毎日ガミガミ言うママのことを、うるさく思っていたではないか。

「使い方次第では、いいこともあるかもしれないわ」

 奥さんは、遠い目になった。

「世の中には、悪いことをして罰を受けない人が大勢いますからね」

「そうなの」

 かなえは、すなおに納得していたが、ゆかりちゃんは、

「ちゃんと、警察に突き出すべきだわ」

 ぶつくさ言っている。ゆかりちゃんは正義感が強すぎるので、人からきらわれているという面があることを、かなえはいまさらながら思い出した。

「それに、消すっていうのも、そう見えるって言うだけなの」

 奥さんは、優しい笑顔を見せた。

「ほら、いわゆるひとつの、幻覚を見せてるのよ。映画館で映画を見るように、シャボン玉のなかに映像を放映しているの。さ、このシャボン玉セットをよく見て」

 台所のガスコンロに近づける。コンロに火を付けた。

「あ、あぶない!」

 思わず、かなえは口走った。

 シャボン玉セットが、ぶるぶる震えだし、悪意のかたまりのような声で、

「おまえは嫌われてとうぜんだ……、人を消してのうのうとしている……」

 と口走りつつ、蛇のような煙を吹き出したからである。

 蛇のような煙は、容器のまわりをぐるぐるまわり、さらに邪悪な声で、

「おまえには生きている値打ちはない……、汚いやつめ、腐ったヤツめ。こころが汚いからみんなから嫌われるのだ。おまえは一生嫌われるのだ……」

煙は台所を充満し、息をするのもやっとだ。

「だまれ、こいつから立ち去れ!」

 奥さんがしかりつけると、容器はいきなり、ボッ! と爆発、炸裂して消失した。

 そして……。

「だから言ったでしょう。ひとのものを勝手に取っちゃ、いけません!」

 現れたのだ。

 ママが。

 おじさんが。

 マコトくんが。

 もちろん、水鳥や猫もいる。

 大西などは、ぼんやり突っ立っていて、まるで棒きれだ。

 みんな、抱き合って喜んだ。

「幻覚は、立ち去りました」

 奥さんは、しっかりと立っている。

「みなさん、ごぶじでしたか」

「あー、異次元に飛ばされたっておじさんから聞いたときは、どうなるかと思ったけど。奥さんがいてくれて、助かりました」

 マコトくんは、ゆかりちゃんの手を取っている。

「みんなキミのおかげだ」

「そんな……、かなえもがんばったわ」

 ゆかりちゃんは、恥ずかしそうに答える。

「結局、どういうことなんですか?」

 かなえは、いまひとつ飲み込めなかった。

 奥さんは笑いながら、

「つまり、あのシャボン玉セットは、気に入らない人間を水簾洞(すいれんどう)へ送る装置なのよ」

「水簾洞……?」

「そう、仙人の住む世界。

そこで、自分のいけないところや悪いところを、こってりと仙人に説教されるの。わたしたちが、取り戻そうと思ったときには、容器を燃やせば戻ってくるのよ。その点では、まだまだ改良の余地はあるわね、あなた?」

「ん? もう充分試験はしたような……」

「売るんですか!」

 ゆかりちゃんとマコトくんが、あきれかえって叫んだ。

 発明家のおじさんは、発明をやめ、

 今は本業のお店を一生懸命、営んでいる。

偽シンデレラ物語

偽シンデレラ物語
趣味を持つことって、明日に望みを持つことだと思う。
たのしみな趣味があるおかげで、明日を心待ちに出来るから。
わたしには趣味はない。
灰をかぶり、はいくつばって掃除をしたり料理をしたり。
なんの希望もないんだ。
あるのは偽物の家族だけだもの。

と、日記に書いたシンデレラは、「ちょっと! なにやってるの、早く支度をしてよ!」というがなり声に、ピクリと身を震わせた。あれは義理の姉アナスタシアだ。こんなところを彼女に見られたら、日記を取り上げられて笑われる。それだけならいいけど、暖炉に放り込まれて焼き捨てられてしまうだろう。
シンデレラはあわてて羽ペンを置くと、日記を取り上げてそっと暖炉上にかかっている絵画の後ろに隠した。趣味と言えるものはまったくないと思っていたが、日記が趣味かも、とシンデレラはふと思った。

この日記にいろいろなことを書いているときだけ、イヤなことを思い出さずに済む。たとえば、商人だった父が、母が死んでから出張先で知り合った義理の母親のこと。冷たい笑みを浮かべたその母と、自分のことばかり言っている姉アナスタシアとその妹ヒルダの三人は、父の前ではシンデレラをかわいがってくれた。
父が病死するまでは。
「早く来なさい! ここを追い出されたいの?」
今度はヒルダの声。シンデレラはヨロヨロ立ち上がり、
「はい、ただいま参ります」
そのまま台所から廊下に出て、声がした大広間に駆けて行く。歩いたりしたらあとでネチネチ言われてしまう。
アナスタシアとヒルダが、イライラしながら待っていた。腰に手を当て、キリリと眉をつりあげ、豪華な衣装を身にまとって。
あんな服を着てみたい。シンデレラは強烈な羨望を感じた。自分がみじめな格好をしているのは自覚していた。持っていた美しい服は、すべて「父を思い出さずに済むから」という理由で義理の家族に焼却されてしまった。いまある服は、みな義理の家族の趣味である。いいセンスとは思えない上に、灰をかぶってダメになっていた。
「お呼びでしょうか、アナスタシアさま、ヒルダさま」
姉だというのに、まるで雇い主に対するような口の利き方だが、そうしないと火かき棒でなぐられるので、シンデレラは腰をかがめて丁寧に問いかける。
「今夜、王子さまの舞踏会があるの。衣装を選んで着せてちょうだい」
アナスタシアは、高飛車な口調で言った。
シンデレラはハッと身をこわばらせた。舞踏会! さまざまな衣装を着こなした素敵なひとたちが集う場所。わたしも行きたい!
「どうしたの? あんたも行きたいって言いたいわけ?」
アナスタシアを脇にして、ヒルダの目は、暗く燃えていた。
「あんたみたいなブスが舞踏会に行ったら、みんなの迷惑よ」
そうなのか……シンデレラは、ガッカリして落ち込んだ。そうじゃないかと思っていたのだ。わたしはブスなんだ。
「どうなのよ。反論のひとつもしたらどう?」
コツコツコツ。革靴を履いたヒルダの足先は、神経質に上下した。ケンカを売ってるつもりなのだろうか。シンデレラはちょっと怖くなった。ケンカはきらいだ。議論なんてしたくない。
「いいえ、ちょっとお腹が痛いだけです」
シンデレラは、弱い笑みを浮かべてぺこっと頭を下げる。

「あんたがそんなだから、わたしもじれったいのよ!」
なぜかヒルダは、整った髪に手をやって、ぐしゃぐしゃにしはじめた。
「なんで『くやしい!』とか、『負けるもんか!』とか思わないわけ? 負けたらつまらないでしょう!」
いや、きょうだいで勝ち負けとかないし。
シンデレラは、心の中で反論したが、口に出しては、
「準備します」
とだけ言って、衣装だんすのある部屋へと引き返していった。
「ヒルダ、なに考えてるの? あんな使用人にまともな口を利くなんて」
アナスタシアの声が漏れ聞こえてきていた。

義理の家族が舞踏会に出かけていくと、シンデレラはいつものように日記を絵画の後ろから取り出して、今日あったことを書こうとした。
そのときである。
「シンデレラ。あんたねえ、もっとマシな格好をしなさいよ!」
忘れもしないヒルダの声に、シンデレラは背中にざあっと氷を浴びせられたような気持ちになった。日記を隠そうと視線をさまよわせると、ヒルダが、鬼のような形相で立ち尽くしているのを発見した。
「このいくじなし。いそうろう。親のいない使用人」
ヒルダの声は、鞭のようにシンデレラを打った。シンデレラは、背後に日記を隠しながら、泣けてくるのを感じた。
「わたしのことはほっといて」
涙声でせいいっぱい突っ張ると、ヒルダはツカツカつめよった。
「わたしはね、あんたの根性を見てみたい。いつもヘイコラして、ニコニコしてるけど実際はどうなの。わたしらを恨んでるんじゃないの」
「とんでも……」
「わたしには魔法のアイテムがあるの。しゃべるガラスの靴でねえ、ほんとのことしか言わないのよ。そいつが、今夜の王子さまの相手は、わたしじゃなくてあんただと教えてくれた。あんたには、素質がある。王子さまに夢や希望を持たせてあげられるってね……」
「そ、そんな馬鹿な」
「馬鹿げてることはわかってる。わたしも最初は信じなかった。それに腹も立ったわ。
王子さまには、わたしのほうがふさわしいと思ってたから。
だけど、あたしらがどんなにつらくあたっても、ぜんぜん平気な顔をしているのを見て、考えを変えたの。あんたを立派な貴婦人にしてやる。そして、しゃべるガラスの靴を履いて舞踏会に出させてやる。王子さまはビックリよ。それにあんたが無事王子さまとの結婚に成功したら、このわたしがあんたの恩人になる。国政にも口を出せるわね」
「な、なんてこと言うんですか不敬な!」
シンデレラは、カッとなって口走った。「王子さまが、わたしを選ぶわけがないです!」
「どうかしらねえ」
ヒルダは、かなり楽しんでいるようだった。
「しゃべるガラスの靴は、ウソは言わないのよ」
「そんな靴、あるわけないわ」
シンデレラは、震える声で言った。
「わたしをいたぶって、そんなにうれしいんですか」
「いたぶっているかどうかは、ちゃんと舞踏会に出てから考えるのね」
ヒルダは、薄い唇をつりあげた。
「それとも、この貴重なチャンスを棒に振るの?」
シンデレラの心は二つに引き裂かれそうになった。舞踏会には行きたい。いろんな人を見たいし、ごちそうだって食べたい。しかしヒルダの言うとおりにするのはシャクだ。なんとかして出し抜けないだろうか。
シンデレラは必死で考えたが、ついに折れた。
「それじゃあ、証拠を見せて。ガラスの靴を持ってきて」
ヒルダは、得たりと微笑んだ。
「もう持ってきてるわ」
ヒルダは右手を高く差し上げた。そこにあるのは、まごうことなきガラスの靴であった。
「まいど。おおきに」
男の声が、ガラスの靴からとどろいた。シンデレラは腰が抜けそうになった。
「い、いまのは……」
「そう、靴がしゃべったのよ」
ヒルダは、得意満面である。ガラスの靴は野太い声で続けた。
「いやー、ヒルダはんも人が悪いでぇ、いきなり紹介されたらみんな仰天してまうやんか。もちっと人の身になりや」
ひどい西部なまりであった。シンデレラは、少しばかり気が抜けた。
「えーと、はじめまして、ガラスの靴さん」
「もうかりまっか? さっぱりワヤでんねん。アホぉ、そないこと言うたら挨拶でけんやんけ」
ガラスの靴は、ひとりで会話している。大丈夫なのだろうか。シンデレラは、ガラスの靴の正気を疑った。(靴に『正気』という言葉が似つかわしいかどうかは別として)。
「挨拶はそこまで。舞踏会が始まってしまうわ。こうなったら、腕によりをかけるわよ」
ヒルダは、暗い野望に燃える目でシンデレラを眺めた。
「そしてわたしは、この国をかげで支配するのよ……」
じょうだんじゃない、とシンデレラは思った。なんとかしてこの場から逃げ出したい。だが、ガラスの靴とヒルダは、
「さ、あんじょう行きまっせ」
「まずはこの灰だらけの身体を洗うところから始めなきゃね」
とふたりで盛り上がっているのであった。

あれよあれよという間にシンデレラは、一番豪華な服を着て、化粧も髪型もバッチリの美しい貴婦人になっていた。
「じゃ、行ってらっしゃい」
ヒルダは、外へ出ると馬車を呼んだ。
「あなたはどうするんですか」
しゃべるガラスの靴を履いたシンデレラは、ヒルダの方を心配して振り返った。だまし討ちに遭いそうな気がする。
「わたしは陰謀が成功するのを期待して待つわ」
ヒルダはクククッと笑った。シンデレラは身体中が総毛立つのを感じた。
舞踏会へ行くしかない。そこで王子さまに、ほんとうのことを言おう。逮捕されるかもしれないけど、ウソをつくのはもっとイヤだ。
シンデレラは、舞踏会に向かった。

舞踏会では、母と姉がものほしそうに貴族たちを眺めている。
シンデレラは、壁の方に立っていた。文字通り、「壁の花」になって他の人たちを観察したかったのだ。ところがその美貌を見た貴族たちは、きそってシンデレラにダンスを申し込んだ。
「どけどけー。王子さまを呼べー。わてのシンデレラにピッタリの人やでー」
ガラスの靴が叫ぶと、おお、と声が上がる。人々が群がる。その騒ぎに親衛隊が駆けつけてきた。
シンデレラの靴を一目みた彼らは、
「そ、それは王家の宝物! きさま、盗んだな!」
問答無用でシンデレラを捕らえ、靴を取り上げると投獄してしまったのであった。

「ったくもー。ドジねえ」
牢屋を訪れたヒルダは、シンデレラをにらみつける。シンデレラは思わず顔を伏せた。なんでそんな目をされるのだろうか。濡れ衣なのに。
「王家の宝物を盗んだのは、あなたなのね」
「そうね、わたしというか、母が盗んだのね。それをわたしが譲り受けた訳よ。王家の宝物とは知らなかったけど、欲しかったからすごんで奪い取ってやったわ。おほほほほ」
ヒルダは手の甲を口元に当てて笑った。
「そのふしぎなアイテムであなたを貴婦人に仕立て上げ、その恩を売りつけてこの国を牛耳るつもりだったのに、計画がおじゃんだわ」
「そうだったのか」
涼しい声が響き渡る。思わず二人がそっちの方を向くと、王子が親衛隊を連れて、怒った顔で立っていた。
「ヒルダ、陰謀はすべてガラスの靴から聞いた。おまえとその母親を逮捕する」
ヒルダは真っ青になった。思わず身を乗り出し、
「待って、それは誤解よ! それもこれも、みんなこの国を思ってのこと……」
「いいわけは裁判で聞こう。シンデレラを釈放し、ヒルダを投獄せよ」
「ははっ!」
というわけで、シンデレラは釈放された。
「酷い目に遭ったね」
王子は、すずやかな目で言った。
「このお詫びに、きみの家まで送るよ」
「いえ、とんでもない。わたし一人で帰れます」
「そんな遠慮するなよ。よく見るときみは美しい人だ。とくに目がきれいだ。そういう目の人に、悪い人はいない」
シンデレラは、真っ赤になってうつむいた。
「なんや、王子さまは、シンデレラにぞっこんや」
ガラスの靴が叫んだ。
「王子さま、シンデレラは日記が趣味なんやで。すごい詩人なんやで」
「趣味か……」
王子さまは、シンデレラの手を取って舞踏会場へと連れていく。
「どうやらぼくの趣味は、シンデレラになりそうだ」
シンデレラは、身体が軽くなるような心持ちになった。

いのっこ いーの?

あおいお姉ちゃんとゆいが小己斐島に行ったこの日、二人ともいっぱい涙を浮かべていました。

「おばあちゃんに、会えない」

おばあちゃんは、病気なのです。お姉ちゃんと二人で会いに行けば、きっと病気もよくなるでしょうに、会わせてくれないんです。

お姉ちゃんとゆいが小己斐島に来たのは、ここがいつもおばあちゃんといっしょに、散歩にくるところだったからです。

おばあちゃんは、小己斐島を見ながら、
「あそこには、神さまがいるんだよ」

そして神さまは、一生懸命、おねがいすれば、かなえてくれるって言ってた。
ゆいとお姉ちゃんは、小己斐島の近くの、あずまやに近づきました。

「ゆい、いっしょにおねがいしよう」
お姉ちゃんが、言いました。
ゆいは、島に向かって、手を合わせてつぶやきました。

「おばあちゃんに、会いたい……」
そのとき、背後でぽーん、と音を立てて、なにかの気配がしました。
こわくなって、お姉ちゃんにしがみつくと、お姉ちゃんはしっかりと防犯ブザーをにぎりしめながら、

「だれっ!」
と叫びました。ゆいはいそいで小己斐島の道に落ちている小石を拾います。

すると。
ぬうっと出てきたのは、なんだかよくわからない、へんてこりんな生き物でした!

「いーの、いーの」
ちょっとスネたような顔で、そいつがおしりを、ぷりっぷりっと振りました。

「あれっ、この子……、いのっこ?」
ゆいがそう言うと、相手は、
「いーの、いーの!」

とうなずきます。そうです。この子は、井口公民館でおなじみの、ゆるキャラでした!

しかも、生きているんです。くるんとしたヒゲといい、キラキラ輝くひとみといい、ほんとの生き物なんです!

お姉ちゃんは、防犯ブザーをおさめて、
「いのっこが、なんでここに? 井口公民館にいたんじゃないの?」

ゆいは、
「きっといのっこは、おばあちゃんにあわせてくれるんだよ。そのために、出てきてくれたんだよ」

いのっこは、いーの、いーのとうなずいています。
「じゃあ、病院に連れて行ってよ。なかに入れてくれないと思うけど」
お姉ちゃんは、用心深く、そう言いました。信じたわけじゃ、ないけれど、どこからどうみても、いのっこは、生きて、歩いていたからです。
「いーの、いーの!」

いのっこは、そう叫ぶと、お姉ちゃんとゆいを抱きしめて、空を飛びました。
「わー!」
あっという間に、二人は病院に着きました。その病院の一階に、おばあちゃんは入院しているのです。

看護師さんが、
「おばあちゃん。ちゃんと食べないと、からだに悪いですよ」
おばあちゃんを叱っています。

「ゆいとあおいに会いたい。会えばきっと、元気になる」
おばあちゃんは、そう言いました。

 

看護師さんが立ち去ると、いのっこは二人を抱えたまま、そーっと病室に入っていきました。
おばあちゃんは、いのっこを見つけて、驚いたように息を呑みましたが、ゆいとお姉ちゃんを見ると、たちまち青ざめた顔が明るくなりました。

「おばあちゃん、会いたかったよ」
二人は、おばあちゃんに抱きつきました。

ゆいは、小己斐島で拾った石をおばあちゃんにプレゼントしました。
「早く良くなってね」

看護師さんが、戻ってくる気配がします。ゆいとお姉ちゃんは、ふたたびいのっこに抱きしめられました。

そして、二人で、また空を飛んで、小己斐島まで戻ってきました。

気がつくと、いつの間にか夕方でした。
いのっこもいないし、病院に行ったのも、ウソみたいです。
家に帰った二人は、ママにその話をしましたが、ママは笑っているばかりでした。

おばあちゃんを元気にしたのはだれだろう、と、病院のお医者様がふしぎがっていた、ということです。