ところ変われば……(シリーズFBエッセイ)

『ところ変われば……』その1
サザエさん(アニメ版)を見ながら、こう考えた。
時代が変わるって、大変なことだ。
サザエさんの時代設定は、昭和20年代から30年代。当然、その頃の価値基準が幅をきかせています。サザエさんは、主婦業をたのしんでおり、サラリーマンのマス夫は忘年会シーズンになると、同僚と飲みに出かけて同僚のハダカ踊りに笑い転げます。
「一億総活躍時代」で、サザエさんのような生活をしていたら、
「社会に寄与していない」
と言われるかもしれない。マス夫さんの友だちのハダカ踊りを見て、眉をひそめる人間もいるでしょう。
しかし、サザエさんは普通に主婦をしており、仕事をしていないと責める声は、聞いたことがありません。マス夫さんの友だちについては、時代だからと笑ってしまうほどです。
また、当時『一億総白痴化させる』と言われたテレビも、堂々とあります。
昔みたアニメですが、カツオはこれを見過ぎて、サザエさんから、勉強しなさいと叱られるシーンがありました。今で言うなら、ゲームに眉をひそめるPTAさんといったところでしょうか。でも、みんな笑ってる。
専業主婦のサザエさんが、なぜ、ここまでウケているのか。わたしなりに、考えてみました。
明治・大正時代には、女性もりっぱに社会で働いていました。仕事はいっぱいありました。子守もありましたし、乳母の仕事もありました。掃除の手伝い、井戸水で洗濯をするなど、家事の手伝いもありました。しかし機械化や省力化がすすみ、女性独自の仕事は、ほんとうに限られるようになりました。その代わり、男性独自の仕事にも、女性は進むことができるようになりました。(女医や事務員など)
それとともに、社会は孤立化、他人への無関心が幅を利かせるまでになりました。
人間は、群れで生活するものです。そうやって、進化してきた経緯があります。しかし今では、成長した子どもが、親と生活するのは珍しい。それが原因で『オレオレ詐欺』などというものまで、出現する始末です。
古荘 英雄さんの論を借りますと、

 

そう、いまだに専業主婦の大家族で人気があるということは、逆に日本人はというか、あれは人間生活の根源である、永遠に三世代くらいで暮らし続けることこそが人類の原型ではないか?
つまりそれくらい根源的であるからサザエさんは今でも続いているのでしょう。

 

サザエさんは、現代に失われた大切ななにかを、守り続けている、と言えるでしょう。
しかし、もしかしたら、その大切ななにかは、取り戻すことが出来るかもしれない。
災害や異常気象がつづいています。お互いに助け合わなければ、生き残れない時代になりました。サザエさんのように、ほのぼのとした日常は描けないかもしれない。けれど、新しい時代の、介護士やケースワーカーなどの第三者を含んだ暖かい生活というものもまた、もしかしたら、(非常に難しいでしょうが)アニメ化されたりする日がくるかもしれません。
絵心がないので、わたしにはムリ。

『ところ変われば……』その2
いつだったか忘れましたが、テレビをボーッと見ていたら、
こんな放送がありました。
「『源氏物語』は、海外の一部では、児童ポルノを助長させると解釈されている」
その原因は、源氏が子どもを育てて、自分の妻にしちゃうというストーリーのためである、というのでした。
そっちょくに言って、驚きました。
時代背景や、国の文化を配慮せず、自分の価値観でものを測る。
わたしもそういう面はありますが、外国にもそういう方がおられるんですね……。
ちょっとばかり、めまいがしました。
たしかにわたしには、源氏物語の「もののあわれ」は、わかりにくいかもしれません。
しかし、母を求めて女性遍歴をする源氏や、女性たちのキャラクターなど、
ちらと読んだだけでも、じゅうぶん心をうつ物語だと思っています。
聖書にも、ルツ記という、生活の手段を奪われた女性たちの苦労話が載っていて、時代や民族性を超えた、普遍的ななにかがわかります。
古典には、国籍や時代を超えたものが、たしかにあるとわたしは、考えます。
世界で一番古くて長い物語ですし、同じことの繰り返しも多いですから、江戸時代にも完読したひとは少なかったらしい『源氏物語』。
たしかに欠点はあるでしょうが、言うに事欠いて児童ポルノって、難癖をつけるにもほどがあります。
国が違えば、価値観が違うのは当然でしょう。
その国の事情をキッチリ把握して、きちんと読んでくださらないと、はじまりません。
日本人がこんな事情を知れば、なんでも外国のマネをしたがる人が現れて、
「ほらみろ、『源氏物語』なんて退屈でいかがわしいお話なんだ」
ということになり、冒頭すら読まずに色眼鏡で見ることになります。
自分に自信を持ってほしい。
……まあ、わたしも、『源氏物語』は、少ししか読んだことないけど。

『ところ変われば……』Vol3
聖書と英語について、お話しします。
新約聖書は、ギリシャ語(コイネー語)で書かれています。なので、英語に翻訳するときは、苦労したのは間違いありません。文脈から言ってこうだろう、とか、手探りでなんとか翻訳し、英語自体にまで聖書の思想が拡張しました。
その根拠として、たとえば、このような英文法が、実際に世の中には存在します。
He has been dead for two years.
彼は死んでから、ずっと2年間死んでいる。
解説
聖書的解釈では、Soul(魂)は永遠不変で、それがBody(肉体)の中に宿っている。
人は魂が天国へ行くのが理想。Bodyは細胞の状態が終わった時点で、お墓に入る。
この訳では、bodyの寿命が切れた状態が、ずっと2年間続いている。
(背景には、この世の終わりでの復活、という思想もあるでしょう)
欧米での生死観が、まるで違っているから、こういう発想になります。
これは別の単語、Please,surpriseなど、受動態として使う単語にも現れます。
具体例を挙げます。
いま、目の前に素敵な人がいるとする。あなたはその人に、興味を持つ。その人がいるからワクワクする。いなくなったらガッカリする。
みんな、自分が~する型です。
しかし、英語圏の人の考えでは、あなたの心の中に興味の種を植え込む人がいるんです。相手に興味を持たせる存在が。さて、だれでしょう。
やっぱり神さまですね。「神さまが自分に興味を持たせた」になるんです。
「赤い糸で結ばれている」だれが結んだのか? 神さまなんですよ。
ふだんからこういう考え方をする英語圏の人には、神さまが「~させる」という感情が、非常につよい。だから感情表現は、ひたすら「させる! させる!」です。
ひとくちに、英語を学ぶと言っても、これほどの差があるのです。
哲学は難しいですが、こういうところから攻めるのも、異文化理解ということにつながるかもしれません。

 

 

 

『ところ変われば……』とりあえず、最終回

サザエさんは、時代を超えることができるか

『ところ変われば……』で下手くそなエッセイを書いたとき、
質問がありました。
サザエさんは、昭和30年代からちっとも古びていない。
マス夫さんやサザエさんの、ほのぼのとした日常がウケている。
それは、なぜでしょうか?

わたしなりに、考えてみました。
たぶんそれは、以前FBで紹介した、『ルツ記』と関係があるかもしれません。
ストーリーは、以下の通りです。
ナオミという女性が、出稼ぎで外国に行き、夫と息子を両方亡くしました。
外国人の嫁に、わたしは帰国するから、あなたたちとお別れです、と告げるナオミ。
そんなのいやです、と泣く嫁たち。
長男の嫁は説得されて帰りましたが、次男の嫁、ルツは納得せず、
すべてを捨てて、あなたの国へ参ります、と宣言します。

そして、ナオミの国で、ルツは、幸せになるというストーリー展開です。

この聖書のストーリー展開で、ナオミとルツの会話は、
訳はひどいもんですが、わたしとしては胸がほのぼのします。
サザエさん的な雰囲気が、わたしには感じられます。
カツオがおとーさん相手に、お小遣いをせしめるために、
交渉力を発揮するシーンを連想させる、
ナオミのルツへのボアズ・アタック作戦伝授シーンは、
わたしにはツボでした(笑)

ほのぼのとした日常は、どんな世界でも、あり得る状況だと思います。
時代や国籍を超えることが、できるんです。(と、思い込んでます 笑)
なので、おそらく、サザエさんは、今後も残っていくのではないでしょうか。
コミュニケーションの妙や、交渉の仕方など、
昭和30年代から学ぶことは、山ほどありますしね。

宮島の仏さま・現地探訪(最終回)

宮島・仏様たちを見に行く 2019年12月11日

着手 2019/12/13 完成 2019/12/13

 

パート4

幸(さい)神社。境内と金鳥居(かねとりい:厳島神社の管轄にあるという印)

の間にある神社だそうです。金鳥居は町内への出入口。

 

 

遊郭の女たちは、境内のなかには入れず、金鳥居のそばまでが通行許可範囲だったそうです。

 

 

 

 

 

千畳閣・五重塔。豊臣秀吉が、不動院恵瓊(ふどういんえけい)に作らせました。

ふきさらしで避暑地になっていたようです。

屋根に金箔貼ってつくったのはいいが、途中で秀吉が死んじゃったので、

お金がなくなり、恵瓊は建築を断念しました。837畳あるそうです。

千畳閣なのに千畳ないじゃん、と思っていたら、

1,000人の僧侶が入ってお経が上げられるように、という意図があるそうで。

いまは厳島神社の管轄。多宝堂もそうだとか。

千畳閣は、いまは豊国神社と名前を変えています。かつては芝居もここで興業されていました。

 

神社の中の経倉(けいそう)ということで、平家納経があったそうです。

大聖院は、祈祷寺。宮島は空っぽの神社で、もともとはこの神社に

お坊さんが山から下りてきて、お経を読んでいたのだとか。

(神社にお経……^^;)

大願寺は、それ以外。(大工や建築家が住んでいた)。

いまや宝物倉に平家納経がおさめられ、清盛の信仰の対象だった

薬師如来は、大聖院におさめられちゃった。

厳島神社の裏側には、仏教関連の施設もあったのですが、壊されてしまい、

森が植樹されています。

 

 

大願寺。山門の仁王も門も、廃寺からの廃物利用。

現代仏師、松本明慶(みょうけい)さんが作られたという、不動明王座像が

インパクトばつぐん。

弁天様の祀られた大願寺の入口には、

伊藤博文の手書きの板書がかかっています。

ここで勝海舟と木戸孝允が密談したのでした。

ここには釈迦三尊がいますが、禅宗の三尊とは違います。

(だれだったか忘れた……)

 

最後のあたりは、疲れてきたので、

早く帰りたかったです(笑)

終わったのは16:15ごろでした。

義母が、「かえってこーい」とTELしてきて、

主婦はつらいぜと思ったりしました。

宮島の仏さま・現地探訪(その3/4)

宮島・仏様たちを見に行く 2019年12月11日

着手 2019/12/13

 

パート3

 

宮島には、お墓はありません。死と血は穢れだから。

だから、現世で成仏をとなえる浄土真宗は、NGだった。

浄土真宗は、肉も食べるし、女も抱きますからねえ。

しかし明治時代から観光客を相手にしよう、という政府の方針転換により、

大正時代に浄土真宗の教場が出来、その後、「真光寺」というお寺が(昭和から)できました。

このあたり、遊郭もあったそうです。

幕府令により、城下には遊郭は御法度だったので、宮島に持ってきた。

で、宮島の遊郭は、番付けができるほど有名になったそうです。

町家通りは厳島神社のはしのはし。その端の方に遊郭があったとか。

 

 

この山辺の古径は、宮島でいちばん古い道です。

 

 

 

 

不動堂。宮島さんの鬼門エリアを封じる意味で作られました。

昔は釈迦如来と三尊があったんですが、神仏棄却のあおりで

釈迦如来は破棄され、不動明王と毘沙門天が残りました。

このお寺には、ちゃんと名前もあったのですが、いまは不動堂と呼ばれています。

弘法大師もここに関連したようです。

 

ここには、聖観音(しょうかんのん)の石像もあります(結構あたらしい)。

聖観音は、千手観音とかいろんな観音に変化するまえの状態で、

この観音様は、人に合わせて仏様が変化するとかです。

顔の上に阿弥陀様が載ってます。

 

 

乳地蔵。子どもに飲ませる乳がよく出るように、という願いを叶えてくれるお地蔵様。

遊郭があるから、子どもも出来ます。母親は、里に帰れないので、

お腹が7ヶ月目に入ったとき、

出島して、地御前あたりで出産。(血が穢れなので、島で出産できない)。

75日経ったら、宮島へ戻れるそうです。

この辺は女人坂(にょにんざか)と呼ばれる狭い坂があります。

 

車がやたらと行き来していて、歩きにくいったらなかったね。

 

宝寿院(真言宗、本尊は阿弥陀如来)の千手観音もありました。

手がほんとうに1,000本あるわけではなく、

25界(地獄から有頂天まで)を救う42本の手、

なので、かけ算して1,000本あるという計算。

 

 

誓真(せいしん)さんが作った井戸。(10カ所)。

現存しているのは4つだけ。

この誓真さんは、お坊さんだそうです。器用な人で、

宮島に山とある木材を使って工芸品を作りました。

そのなかには、宮島のお土産になった、しゃもじもあったということです。

ちなみに四国の人です。

 

休憩が入りましたので、まえに聞きたかったことを

質問しました。

「仏さまを大切にしていた民衆が、

時代が違うからって、あっさり仏さまを投げ捨てるって

どういうこと? わたしには理解できない」

 

答え。

「その当時は、明治天皇は神さまだったんです。

古事記の昔から神さまの血筋だと言われてたでしょう。

で、よく考えてみたら、仏教も外国の宗教じゃないかってコトで、

仏さまを捨てろってコトになったんです」

 

いまは、神仏分離の影響で、仏も神も別って思う人が多いみたいだけど

昔は違ってたんだよー

ということでした

宮島の仏さま・現地探訪(2/4)

宮島・仏様たちを見に行く 2019年12月11日

着手 2019/12/13

 

パート2

そこから徳寿寺(とくじゅでら)に行く途中にあったのが、大束富くじのモニュメント。

重さが違う木材の束を、くじで引いて運んだということです。

ハズレは重い木材。で、本来くじは幕府令により御法度だったんですが、

神社への上納金ということで、認めてもらったみたい。

 

 

聞けば聞くほど、江戸時代って窮屈な時代だったんですね。

くじぐらい、認めてあげたっていいじゃんか。

神社もうまく立ち回ったものです。

くじの一部を巻き上げちゃってる(笑)

そう言えば、吉凶占いくじも、神社の収入なんだね。

 

 

徳寿寺へ参ります。1Fは外国人向けの着付け・和食のお料理教室。

 

宮島が外国人に人気なのが、よくわかります。

わたしの知り合いは、

「広島には観光施設が、原爆資料館しかない。

広島城はコンクリートだから

観光価値がない。

おりづるタワーが出来る前に、ハウステンボスをプロデュースした

H.I.Sの社長が

広島市長に頼まれて、広島にランドマークを作ることになったんだけど、

その費用をソフトバンクの孫さんが50億円も出すと聞いて市議会の連中が反対した。

孫さんの名前が出るのが嫌だというのだ。

それで、おりづるタワーが藤田さんによって作られたのだが、高いタワーではなかったし

入場料も高いので、だれも入らない」

 

原爆で全てを喪ったから、古いものがないんですよ。

東京タワーみたいなタワーがあればよかったのにと知人は言ってました。

 

個人的には、個性的なタワーがなければ観光客は来ないよ、と思ったり。

 

 

脇道にそれちゃった。

 

 

 

入口から入ると、6地蔵(六道という概念から生まれた地蔵さん)が出迎えます。

ひとつひとつ、おじぞうさんに名札(名前)が付いています。

Wikiによると、六道には下記の6つがあるそうです。

 

    天道(てんどう、天上道、天界道とも)

人間道(にんげんどう)

修羅道(しゅらどう、阿修羅道とも)

畜生道(ちくしょうどう)

餓鬼道(がきどう)

地獄道(じごくどう)

 

この6道のすべてにお地蔵さんがいて、ひとりひとり見守ってくれているのでした。

地蔵さんも欲や煩悩があるので格下ですが、身近なところで見守ってくれているということでした。

「ホテルのビュッフェで、おいしいものを食べたい? わかるよ、わかるよ」

とか、

「おしゃれしたい? わかるなー」

とかうなずきつつ、悪い方に向かわないように、してくれているそうですよ。

 

地蔵は菩薩のサポートをするということです。

 

 

徳寿寺の馬頭観音は、怖い顔でした。

 

徳寿寺には、ひとつの伝説があります。

40を超えた老夫婦(子どもなし)が、夢で光る竹を見た。お地蔵さまがそのなかに入っているという夢。

夫婦は同時に目を覚まし、同じ夢を見たことをお互いに言い合い、

山の中に入り込んでお地蔵さまを見つけ、お祀りしたところ、無事ご懐妊。

その子どもは藩主の主宰するお相撲大会のTOPお相撲さんになったそうです。

お地蔵さんは、信じれば信じるほど金色に輝くので、

金石(きんせき/こんせき)地蔵だというのです。

この地蔵さん、男女の縁切りのお地蔵さんだそうですが、

ギャンブルなどの悪縁を絶つのもあるそうですよ。

 

そのお地蔵さん、丸い鏡を持っていました。

よくあることなのだそうです。

化粧をしたり、服を着替えたりさせてる民間の人たち(大切にしすぎ)

なので、文化財になったのは、たった1体だそうです。

 

こういう話を聞くと、文化って結局、なんだろうと思っちゃいますね。

昔と変わらずに残るのが文化、って、頭かたすぎ。

宮島の仏さま・現地探訪(その1/4)

宮島・仏様たちを見に行く 2019年12月11日

着手 2019/12/13

 

パート1

 

この宮島の島民は、大河ドラマ 『平清盛』 を誘致するために、

清盛の銅像を建てたりしていたようです。

次の大河ドラマは明智光秀の『麒麟がくる』だそうですが、

京都府亀岡市、福知山市などの8市町、兵庫県2市や福井県1町では、

大河ドラマの放送にこぎつけるまで12年かかったそうです!

 

大河ドラマって、影響力おおきいんだねえ。

視聴率の高いのは戦国時代のドラマだという話を聞いたことがあります。

400年近くまえのことだから、好きなことが言えるのだろうと考えます。

フィギュアの織田さんの気持ちも考えず、

織田信長をウツケだの魔王だのと言っている媒体があったりするので、

有名人が先祖にいると、気持ち的にいろいろあるだろうね。

昭和の話がテーマだった、「いだてん~東京オリムピック噺」では、

現在生きている人を忖度して、「配慮しています」なんて字幕が出ていました。

 

閑話休題。

宮島の話に戻ります。

 

存光寺は、三匹の親子猫を飼っています。ネズミ対策。

いまは冬なので、こたつで丸まっているのだとか。

看板に表示されている絵がカワイイ。

 

ご本尊は阿弥陀如来です。曹洞宗はご本尊は釈迦如来のはずなんですが、

禅宗のお坊さんが宗教改革して、宗旨替え。

それまでの宗教は、浄土真宗でした。浄土真宗のご本尊が阿弥陀如来。

地域の人たちは、浄土真宗を信じていましたので、

急にご本尊が変わると戸惑います。

地元の敬愛を配慮して、ご本尊は変えずにいたそうです。

……日本人らしいねえ。

 

ご本尊が違っていても、信仰する気持ちは違わない。

この姿勢は、日本人独特のものかもしれません。

 

そんなにおおらかな信仰のあり方が、

明治時代でガラっと変わるんだから、

天皇の影響力、はんぱねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿弥陀三尊の話も出ました。 阿弥陀如来を中尊とし、

その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配するということで、

存光寺の仏さまたちも、三尊がバッチリ。

菩薩は如来のサポート役だそうです。

 

薬師如来の左手には、万能薬。サポート役は、月光(がっこう)・日光(にっこう)菩薩。

下の方に、12の神将(しんしょう:干支をあらわしている)が配されているのでした。

 

講師のマリさん曰く、

「薬師如来には、夜勤・日勤の看護師と、12人の医師がついているのです。

いつでも病の悩みを受け付けます」

 

なかなかユニークな視点です。

 

薬師如来というのは、病気平癒の仏様です。

これが、看護師を従えているというイメージが、

わたしには新しかったですね。

カトリックだったら、アズボガ・ヤーウェ(天使。力を持って病を癒やす)

という名前が、病気などを癒やす呪文になるそうです。

 

 

サイゼリヤと日本の将来

今年の八月二十日に、名古屋の友だちといっしょにサイゼリヤへ行きました。今日の昼食もサイゼリヤ。義母と行くのは、三年ぶりぐらいでしょうか。
オサレ~な雰囲気の店で、メニューも、イタリア料理なので、ちょっとばかり、高級なイメージ。なのに、安い。
そんなサイゼリヤにも、人手不足の波が押し寄せ、名古屋市中区では外国人が給仕しておりました。広島の西部では、まだまだ、そこまで行っていないかもしれず、名古屋の方が、都会です(方言は、『だがねー』だけど!)

ところで、人手不足が日本の将来を奪っている、とする雑誌の記事を見たことがあります。80年代の人手不足のときは、ドイツは移民で、日本は「工場の無人化」で対処して、日本車をバンバン売った。
現状、日本は外国人を受け容れることによって、AIなどの技術を磨くチャンスを棒に振っているというわけですが、すでに外国人は、重要な労働力になっているのでした。
外国人を労働力としてではなく、人間として見て欲しい、という声もあります。
企業の裁量ひとつで、どうにでもなる弱い立場の人たち。日本に夢を抱いていたのに、差別されて苦しんでいる人たち。
日本人も、変わらねばならないのでしょう。
方言で苦労しているであろう、かれらの身になって、話す機会があったら、仕事や家庭、健康などの相談に乗ってあげられるといいな、と思ったりもします。

ダイエットと外国人

スポーツセンターに行く途中、
自転車で学校の前を通り過ぎると、
白人男性に話しかけられました。
「おはようございます!」
日本語です!
目が青いのに!

その前の日には、黒人女性から、
「おはようございます!」
と叫ばれました。
黒い目がキラキラしています。
その外国人たちの背後では、
学生たちが物珍しそうに、
わたしを眺めているのでした。
どうやら、その学校の先生のようです。
学校はたぶん、中学か高校でしょう。

行く途中で学生に出会うのは、登校時間とかち合うためです。
8:30までにスポーツセンターへ行っていた9月ごろは、
意外と学生さんと遭遇することがありました。
スポーツセンターは、7月・8月・9月一杯までは、
8:30から開所します。
それ以外の10月から6月一杯までは、
9時から開所になります。

8月14日からスポーツセンターに行ってます。
帰宅途中の景色も、さまざまに変化しています。
スイカズラの咲くしゃれたマンション。
ゴールデンリトリバーを連れて、散歩しているおじさん。
空ではカモメが舞い飛びます。
神社の前には、「ここは横断しちゃいけません」
と書かれた横断幕もあります。

大きな公園が途中にあって、そこでは海賊船のジャングルジムも。
夏休みの時には、幼稚園児たちが
足に水浴びをしていました。
公園に立ち寄って、ハリポタ魔法同盟をやってると、
「みてみて」
少年の声に振り向くと、バッタ型にした草を見せてくれました。
くだらねーので無視してやったぜ(笑)

ダイエットも、もう3ヶ月目に入ろうとしています。
なにか、知りたいことがあったら、答えられる範囲でお答えします。
ご意見など、よろしくお願いします。

教育と弁当

台湾の子が、朝日新聞に、昼食に持参する弁当を学校で温めないのは変だ、という投書をしていた。台湾では弁当を蒸す機械が学校にあるそうだ。
電子レンジでチンして食べるのはコンビニでおなじみだが、学校では冷たい弁当しか食べたことはない。台湾人から見れば、子どもが気の毒だと言いたいのかもしれないが、別な角度から見ればそうでもない。
弁当を温めることを前提にしたら、キャラ弁などのカラフルな弁当よりは、温めやすい弁当になる。母親としては、手間がまた増える可能性もある。子どもの方も、学校生活がそれで充実するかどうかわからない。いじめは相変わらずあるだろうから、温める機械をめぐって、陰湿なやりとりがある可能性だって否定できない。学校がつまんない人には、苦痛が増えるだけだ。
とはいえ、温かい弁当というのは魅力的だ。冷たいご飯を口にするより、口の中でほろりと甘みが感じられて、ひとときでも学校生活が豊かになるだろう。問題は、そんな機械を入れる器量が、教育委員会にあるかどうか。教育改革の叫ばれる昨今、柔らかな発想と柔軟な対処という言葉は、教育界には存在しないのだとわたしには思えてならない。

秋の雨

季節外れの秋霖(しゅうりん)がやってきています。
九州では豪雨で冠水するところも出てきたようです。
このあいだ、ドラえもんで人間が液体化したり気化したり固形になったりする薬の話を放送していました。
人間がだらーんと液体になる。
逆に、雨が自由に気化したり固形になったりしたら、便利でしょうね。
手を振っただけで冠水がすべて蒸発して雲になる。
なんだか夢のようです。

世の中には、毒の水を飲んで死んだ妹を持ちながら
それでも生きるためにその水を飲む人もいます。
日本で水を持て余しているかと思うと
外国では乾きで水を欲している人たちもいる。
適度に水を分配するってこと、できないのでしょうか……。
自分自身を蒸発させてイタズラをしまくるのび太を見ながら、
ドラえもんの世界では、なんのために身体を気化させたり
液体にさせたりする薬が発明されたのかと
疑問を感じたりします。
わたし、マジメすぎ? (笑)

ドラえもんは、SFというよりはファンタジー寄りです。
国民的マンガということで、日本アニメの代名詞みたいになってます。
昭和の幸せな時代のアニメ。
平成ではちびまる子ちゃんが国民的マンガになるんでしょう。
令和ではなになるのかな?

突然雷が落ちるように、災いもやってきます。
人為的なテロ活動もありますから、今後のアニメ界も、油断がなりません。
雨降って地固まるになるようにお祈りしています。