なおみの聖書物語:天地創造&アダムとイブ編
みなさんは、一週間が七日なのはなぜなのか、考えたことがありますか?
聖書には、ちゃんと理由が載ってます。神が天地創造に費やした時間が六日間で、日曜日から創造をはじめ、土曜日はお休みされたのでした。具体的には、まず一日目に混沌(闇と水)の世界に、光をもたらし、昼と夜が創造されました。二日目は水が上下に分けられて天と地が創造されました(雨は上に水が存在するため降るとされる)。
そんなふうにして、太陽や月、植物や動物などが創られ、最後の金曜日に土を捏ねた神はそれに息を吹き込み、人間が創られました。その人間を神は、土(アダマ)から創ったのでアダムと名づけられました。(そのあと土曜日に休まれたので、それに因んでユダヤ人のいるイスラエルでは、土曜日はどの店も休んでしまうそうです。これを安息日と言います。食料品とか買えないから不便ですね……)
実はこのあたり、実話で面白いエピソードがあります(ホントかどうかは知らないけれど)。西洋の大航海時代、その当時いちばん権勢を誇っていたスペインが、アンデス地方からじゃがいもを持ち帰ってきました。それを見た宗教指導者は真っ青になりました。というのも、聖書にじゃがいものことが載っていなかったのです。聖書には、「土の上で実をつけた植物を創った」と書いてあるのに、じゃがいもは土の中で実がなる! 悪魔の実だ! というわけ。
実際に食べてみたら、毒などなかったので、騒いだ人たちは大笑いされてしまった、ということでした。
話を戻しますと、アダムはひとり、楽園エデンで過すことになります。 人がひとりでいるのは良くないと、神はアダムの肋骨から女を創り、妻として与えました。アダムは彼女をイブと名づけました。
神は言いました。「ここにある木の実は、全部取ってかまわない。ただ、命の木の実と善悪を知る木の実だけは、食べたら死ぬよ」
楽しく暮らすアダムとイブ。無邪気に遊ぶイブの所へ、神の留守をねらって悪魔がやってきました。そして、たくみに誘惑します。「死ぬことはありません。それどころかこの実を食べたら神のようになれるよ」。
で、イブはその実を食べ、アダムにも勧めたので、ふたりはバッチリ、自分たちがハダカだと知りました。思わずイチジクの葉で局所を隠しますと、神がやってくる気配。
隠れたふたりを見た途端、神は、人間が自分を裏切ったことを知り、怒ります。そして、二人を楽園からエデンの東へと追放し、苦労して仕事をするだろうと予言するのでした。しかし、アダムとイブの末に、救世主が現れ、悪魔を打ち砕くだろう、とも言うのです。
ジェームズ・ディーンの「エデンの東」のタイトルは、このアダムとイブの物語がもとになっています。西洋古典では、よく「原罪」ということを言うんですが、神のようになりたがるおごり高ぶりが罪である、という考え方と、セックスそのものが原罪である(局所を隠したことから)という考え方がありますね。
なんで善悪を知る木の実を創っちゃったのかなあ。人間が善悪を知ったら、トラブルしかないと思ったのだろうか。と個人的に思ったりもする今日この頃。