何のために勉強するのでしょうか

中学生の時期は、自分が興味を持ったことや将来やりたいことを見つける時期でもあります。勉強をすることには、多くのメリットがあります。以下にいくつかの理由を挙げてみます。

1) 将来のために役立つ知識や、スキルを身につけることができます。高校や大学進学、就職や起業、社会人としての活躍に必要な知識やスキルを中学生のうちに身につけることができます。

2) 読み書きや計算能力が身につき、日常生活や社会での活動に役立ちます。例えば、外国語を勉強することで海外旅行や留学、グローバルなビジネスに役立ちます。

3) 勉強を通じて、自分の興味や関心を深め、自己成長することができます。自分が興味を持った分野について深く学ぶことで、将来の進路や夢に向けた準備ができます。

4) 勉強をすることで、自己管理や努力する力、人間関係を築く力を身につけることができます。そういう能力は、社会に出てからも必要なスキルであり、中学生のうちから身につけておくことが大切です。

以上のように、勉強には将来に役立つ知識やスキルを身につけることや自己成長することができるメリットがあります。ですので、中学生のうちから学校の勉強に取り組むことは大切です。ただし、勉強だけに限らず、趣味やスポーツ、人との関わりなど、自分の興味や関心に合わせた活動も大切にしてください。

もちろん、勉強の目的はそれだけではありません。学習の本質は、自分自身のレベルアップにあります。「やりたくない」気持ちに打ち勝ち、自分でなにかをやってみる。結果を出すためになすべきことを考え、実行していく。

今やるべきことは、目の前のコトから逃げずに真正面からぶつかっていくことです。神の試練です。きついかもしれませんが、それを乗り越えた先には楽しい未来が待ってますよ。

 

最近、授業や部活がつまらないです。

中学生の時期は、自分自身を発見し、
自己肯定感を高める重要な時期です。
しかし、学校の授業や部活動については、
自分にとってつまらないと感じることがあるかもしれません。
ここでは、中学生のあなたが自分自身をより深く理解し、
より良い方向に進むために、いくつかのアドバイスを紹介します。

まず、つまらないと感じる授業や部活動について、なぜそう感じるのかを考えてみましょう。
あなたの興味や関心事に合っていない場合もありますから、
自分が興味を持っていることに関連する本や
ウェブサイトを読んだり、興味を持つ人々と話をしたり
することも有効です。

また、自分自身の興味を深めるために、新しいことに挑戦することも大切です。例えば、新しいスポーツや芸術活動、音楽、読書などに興味を持ってみましょう。
さらに、自分自身の強みや長所を発見することも重要です。それには、自分が得意とすることや好きなことを知ることが必要です。そうすれば、自己肯定感を高め、自分自身の可能性を見つけることができます。

最後に、自分自身に対して優しくなることも大切です。つまらないと感じることに対して自分自身を責めたり、自分を責めたりすることは避けましょう。代わりに、自分自身に対して肯定的な言葉をかけ、自分自身を奮い立たせることが必要です。自分の可能性が見えなくても、自分も神さまに愛されていると思うことで、自分のいいところが見えてくるかも知れませんね。

総合的に、自分自身を発見し、自分自身の可能性を見つけることが大切です。新しいことに挑戦し、自分に対して優しくなり、自己肯定感を高めることで、より良い未来に向けて進むことができます。

他人があなたの人生を楽しくしてくれるとは限らないのです。神は自ら助けるものを助ける。自分で楽しみを見出しましょう。

 

すぐイライラしてしまいます。

わたしもイライラする人がいます。
合唱サークルの人なんですが、やることなすこと
トロいし、頭も良くないし、話す言葉もハッキリしない。
会話が成立しないことも多いから、
その人はサークルから浮いています。

イライラするので、わたしはその人に当たったりしますが、
そうしたあとで、かならず居心地の悪い思いを抱きます。
イエスは愛を説いた人ですから、
そういうわたしの行動は、クリスチャンらしくないと言える。

自分のわがままで自己中心的なところを実感するから、
イライラするのだろう、と自分で分析しています。
あなたもそうかも知れません。
ちょっと相手の立場に立てば、イライラなんかせずに、
「もっとハッキリしゃべってよ」
とか、
「おはよう」
とか言えるはずなのに。

自分の思いどおりに行くなんて、世の中そんなに甘くない。
ままならないのが世間という社会なんです。
だから、人間はお互いに話しあい、
理解し合うことが必要です。

ツンケンした言い方ではなく、
自分の考えること、感じることを
しずかに冷静に語ってみる。
要は自分が納得する方法で
解決していくしかありません。

少し天の助けは必要でしょう。
愛の力はふしぎなもので、
強い男も泣かせるし
オンチも歌を歌わせる。

自分を助けてくれる神を信頼しましょう。
イタズラをしている男の子が許せないのなら
それを、おだやかに諭してみる(年上だと思って)。
話がわからなかったら、
「それはどんな話なの? 教えて!」
とフレンドリーに語りかけてみる。

わたしは、トロいその人を見ても、
最近はこう思うようになりました。
相手は、自分ではないのだから
自分を基準にしてアレコレ言うのは間違ってると。

わたしの義母は、5歳の時から家事をしていましたが、
トロいわたしの家事を見ても何も言わなかった。
他人を変えるのはムリです。
自分の認識を変えましょう。

やりたくないのにリーダーに……

前述したように、わたしは学級委員に推薦されました。
高校二年生のころです。
わたしには、ふざけてるとしか思えませんでした。
自分がリーダーに向いているとは、
とても思えなかったからです。

わたしは反発し、どうせダメだろうと
生徒会長に立候補。
「DO YOUR BEST!」
とピースサインで叫んだら
ドッとウケて70%の支持率。
まさかウケるとは思わなかった。
衆愚政治そのものだな、と
暗澹たる気持ちになりました。

その事実に絶望し、仕事もいい加減にしました。
それが原因で副会長がグレて問題を起こし
新聞沙汰になってしまったのです。
今おもうと、もっと自分が自覚すれば良かった。

リーダーとして期待されている、と
前向きに捉えられたなら、
やることはいっぱいあったはずです。
学校行事を、もっと面白くするアイデアを募るとか
校則をより学生に近づけるとか。

しかし、そんなことはいっさいしなかった。
だから、わたしが生徒会長だったことは
その当時の生徒たちに聞くと
「びみょー」
だと言われてしまうことでしょう。

リーダーになったなら
平凡な日常が輝いたはずでした。
もっとしっかりした人間になって
人生も、ずいぶん違ってきただろうと思います。

失敗して元々、という考えで、前向きに
リーダーをしていたら、
思い出がこんなに暗いものにはならなかった。
だから、あなたがリーダーになるという貴重な体験を
手にできたのなら、
自分に出来ることを考えて、
せいいっぱいやれ、と助言したい。

「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、
冷たくもなく熱くもない。
むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、
わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」
聖書 新共同訳

中途半端でいると、神さまに認めてもらえません。
やらなきゃと義務感でやるのではなく、
楽しんでやってみてくださいね。

ちゃんと授業を受けているのに成績が悪いです。

中学生で授業を受けているにもかかわらず、
成績が悪い場合、いくつかの原因が考えられます。
以下は、その原因と対処法の例です。

1)集中力の欠如:授業に参加しているが、授業に真剣に耳を傾けていない可能性があります。この場合、授業に集中することができるよう、以下のことを試してみることができます。

授業中にスマートフォンやタブレットを使わないようにする。
他の生徒との会話を控える。
先生が話していることに注意を集中するために、ノートを取ることを試みる。

ヨハネの黙示録 3:15-16 新共同訳
「わたしはあなたの行いを知っている。
あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。 熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」
中途半端はよくありませんよね。

2)勉強方法の問題:生徒が正しい勉強方法を知らない場合、授業を受けても成績が上がらないことがあります。この場合、以下のことを試してみることができます。

時間割を作り、毎日一定時間勉強する時間を設ける。
教科書を読み、理解できない箇所はノートに書き出し、
先生に質問する。
参考書やインターネットを利用して、自分で調べ学習する。
テスト前には、復習を行い、知識の定着を図る。

3) 学習能力の問題:生徒が授業の内容を理解できない場合、教師に相談することが大切です。先生が直接的な指導を行い、授業に追いつくことができます。

4) ストレスや不安:家庭環境やプライベートの問題によって、ストレスや不安を感じることがあります。この場合、家族や友人、カウンセラーに相談することが大切です。

以上のような対処法を試してみて、授業の理解度や成績を向上させてみてください。

学校のルールに納得できません

納得できないルールがあるなら、
それを変える側に回るのも
ひとつの手です。
もちろん、学校側の反発も予想されますが。

たとえばわたしが中学生だった頃は、
靴下はワンポイントは不可で白一色。
髪留めの色も黒か茶でしたし、
スカートも膝下十センチだった記憶があります。
みんな不満だったけど、
がまんしていたみたい。
高校の内申書に悪く書かれたくなかったからですね。

わたしはルールは必要だと思っていたし
いじめっ子たちのためにルールを変えるなんて
考えるのも馬鹿らしかったですが
いまから思うに、イエス・キリストは
それまでのルールをすべて変えてしまいました。

それまでのユダヤ教指導者たちは、
自分たちがいちばん偉くて自分たちに従うのがいちばんだ、
と驕っていましたが、
イエス・キリストはそれを批判し、
自ら虐げられた人々のもとへ足を運んで
さまざまな奇蹟を行いました。

そのせいで指導者たちから嫌われて
十字架に架けられてしまいましたが
彼は知らぬ者のいない
偉大な人になりました。

ルールを変えるのはたいへんです。
なぜなら、ルールを作るには
それまでの経緯があったからです。
無法地帯だった頃には
強盗も殺人も平気だったかもしれない。
けれどルールがある事で
それを未然に防げる効果もありますね。

無意味なルールだってあります。
靴下が真っ白でなければならない意味なんて
ほとんどありません。
学生のうちは清潔であればそれでいいのだと
わたしは思います。
でも、その当時は納得していました。

わたしみたいにすぐ納得するわけにはいかない人は
前進し、革新し、変化をしていく勇気がある、という人。
つまり、ルールを変える素質があるってこと。

文句を言う前に、学級委員とか
生徒会に立候補して、
学校を変えてしまいましょう。
校則は学校のためにあるのではないのですから。

友だちの前で失敗してしまいました

友だちの前で失敗したこと、
わたしもあります。
高校2年の時に
学級委員に推薦されたんですが
「生徒会長に立候補します!」
と言って、ほんとに立候補し、
70%の支持率で当選してしまいました(滝汗)

それからマジに改心し
生徒会長らしいことをしたか。
ぜんぜんしませんでした。
あきれた会の人たちは、みんな辞めていきましたが
わたしはひとりで生徒会を切り盛りしていました。
ひどいものです。
厚顔無恥な性格なのでしょう。

その失敗から学んだことは、
推薦されたことをウザく思った
自分がバカだったことでした。
ありがたく、リーダーとして
采配をふるい、
新しい改革の風を
呼び起こしていれば良かったのに。

聖書にも、神の言葉を
敵地ニネベに伝えるよう命じられたヨナという人が、
失敗をしています。
「おれはヤダ」
と言って、ニネベとは逆方向の舟に乗って
逃走を計りますが、

クジラに飲まれて3日間そのお腹で過すハメに……。

クジラに吐き出された土地がちょうどニネベで、ヨナはそこで
命じられた仕事を仕方なくするハメになりました。
そしたら、意外とはかどったんで、
ヨナは、「こんな簡単な仕事を回すな」
と神に文句を言ったとか言わなかったとか(滝汗)

失敗をしたなら、それをギャグにしたり、
すなおにそれを認めるのも、
若い内だから出来ること。
中学生のうちから、失敗に慣れておけば、
おとなになってから、

「しまった! 一生の不覚、もう世の終わりだ」

と絶望して自殺する、ということもありません。
うちの父なんか、
自分の失敗を直視する勇気が無くて、
自殺したようなものです。
わたしにも責任は多くあるけど
失敗を失敗として、父が率直に語ってくれたら
わたしも対処の方法があったのにと
口惜しくてなりません。

たった1度の失敗ですべてが終わりになるような
ヤワなおとなになってほしくない。
ピンチはチャンスです。
失敗は成功の母と言うではありませんか。
些細なことを気にしないことです。

もっと自分を認めてほしい

自分を認めてほしいあまり、
ついウソをついたことはありますか?
わたしはあります。
エッセイ大賞の投稿作品に、
自分の本心とは違うことを書いたのです。

当然、ボツになりました。
仮に採用されても、それはホントの自分ではなく、
ウソで飾った自分。
そんなもの、認めてもらって
ほんとに嬉しかったかどうか。

神の前に誠実であれ、とキリスト教は教えますが
旧約聖書の登場人物は、ウソを言ったり
裏切ったり、人を殺したりと、
こんなのアリかというぐらい、人間的です。

でも、こんな欠陥だらけの人間が出てくる聖書でも、
彼らは、いまやるべきことをみんな一生懸命、やっているのです。
もちろん嫌になれば逃げることもある。
のちの英雄王ダビデなんか、
当時の王サウルの手から、何度も逃げてます。
だけど、最終的には、
神さまの采配により、なるようになってしまいます。

そうやって王になったダビデでも、
部下の妻に横恋慕して、部下を最前線に送って殺し、
奥さんをモノにしたりします。
100%妻に認められたいダビデだったかもしれませんが
妻からは、嫌われたかも知れません。

誰にでも好かれる人なんて、
この世には存在しません。
誰にでも好かれようとすれば
「八方美人」と言われるでしょう。
認める人に認められたら、
それで充分ではありませんか。

自分のやるべきことを、一生懸命やる。
勉強でも、部活でも、楽しいゲームでもなんでもいいですが、
中途半端はよくありません。
半端な人間というのは、ラクに生きられるかも知れませんが
おとなになったら、
「つまんない」
というのが口癖の人間になることでしょう。

だれも認めてくれなくても、
神さまは見ています。
その御心がかなう時期が来れば、
だれかがあなたを認めてくれる。

わたしだって、この日記も、
ひとり、ふたりぐらいしか読んでくれてませんが
「小さなことに誠実なものには
大きなものが任される」という
聖書の言葉を信じています。

ボーとすることが多いです

わたしは、中学の時にいじめられていたので
読書ばかり。
それ以外は、ボーッとしていました。
だから、家庭科で裁断をミスって
前身頃を裏表に作ったりもしました(汗)

親にこんな話をしても、理解されないと思ってましたし
先生は無関心だとばかり思ってました。
唯一の例外は教会の長老でした。
聖書の研究をしているときに、ボーッとしていると
だいじょうぶなのかという目で見られていたものです。

客観的に見て、当時は、反抗期真っ盛りだったのです。
ほんとうなら、一番いいのは、先生に最近こうなんですと
相談することだったはずです。
ま、親は自分の過去を忘れてるけど
先生は、だいたい、同じ年頃の生徒たちを
長年見てるから、適切な処置が出来たはず。

日記をつけるのもいいかもしれません。
自分が最近どういう状況になっているのか、
第三者の視点で見ることが出来ます。
その際、マイナスのことを書くのではなく、
いいことしか書かないようにしてみる。

人間は、進化の過程で危険や悪いことを察知し、
対処する能力を発展させてきたので、
ともすれば、いいことはなおざりになりがちです。
ボーッとしていると思って、
注意力散漫だなあ、なんて日記に書いていたら
そんな記事ばかり目に入って来てしまいます。

いいことや、小さな変化に気をつけて
日記につけていると、
だんだん、ボーッとするのが
なくなっていくんです。

今日の日付、曜日、天気。
うれしかったこと、今日の帰宅途中であったこと。
ボーッとしていても、
なんとなく、見えてくることがあったりします。

おとなになっていく途中には
注意散漫になることが多々あります。
わたしなんか、
「もうすこし頑張りましょう」
って成績表に書かれたぐらい
ボンヤリしていました。

しかし、辛抱強く日記をつけていったことで、
多少は、以前よりは集中力が
ついたような気がします。
1日の最後に今日の発見を
2行ぐらいにまとめて書くのもアリですね。

身体的特徴を笑われました。

身体的特徴をバカにするようなことを言うなんて、
良くありません。言われた方が嬉しくて飛び跳ねたくなる
なんてことは、あり得ないからです。

言われたことに対して、どうすることもできないってこと、
けっこうありますよね。
わたしみたいに足が短かったりすると
若い頃にどんだけ牛乳を飲んでも
ムダだったことを思い出します。

そういうとき、「わたしには、別のなすべきことがある!」
と考えたものでした。
わたしの場合は、それは合唱部での大事なパート
アルトを一生懸命することであり、

教会では、プロテスタント(長老派)の
聖歌隊に参加して、やはりアルトを辛抱強く
続けることでした。

わたしには、「こんなふうになりたい!」という
具体的な指針はありませんでしたが
児童文学を読んでその主人公になりきって
その行動を見倣ったこともあります。

そうすることで変化があるとは
期待していませんでしたし
実際、中学時代には
疎外感を抱えて生きていたものでした。

考えてみれば、合唱部でどれだけ活躍しているか、
努力しているかをアピールすれば、
少しは違っていたかも知れません。
アピールする努力をしないで言われるだけ言われて
落ち込んでいたわたしなんです。

おとなになって、振り返り、
中学時代の自分に助言できるとしたら、
バカにされたからってなんだ! と言いたい。

前に言いましたが、
神さまからのお気に入りだったヨブは
神さまの気まぐれでひどい目にあってます。
しかしヨブはどんな目にあっても、
自分を失うことはありませんでした。

あなたには、あなたの人生があるのです。
欠点は、長所の裏返しなのです。
わたしはたしかに短足かもしれません。
しかしそれは、夫にとっては
チャーミングな魅力になっています。

小さいことにこだわることはありません。
あなたには、あなたの長所がぜったいにあるはずです!
まずは視点の転換をしてみましょう。