創作と創造物

わたしが子どもだった頃、現実という退屈な話より、
フィクションの方がずっと面白いよ、と主張する
作家のエッセイを読んだことがある。(その作家の名前は、忘れた)。
ファンタジー好きなわたしは、一も二もなく賛同した。
宇宙モノが流行っていた時代だったが、
その頃から、わたしは異世界ものにハマっていて、
「地に足が着いてない」
と、人から批判される日々が続いていた。
母の実家の伊勢で、生まれ故郷(東京)の言葉を話して、
「あんたどこの人」と問われ、
「地球人です」 と答えていたのも、この頃である。

大人になって、会社に勤めるようになってくると、
世の中は、ままならぬものだと実感してくる。
引きこもりになる人の気持ちも、徐々に分かってくるものだ。
夜遅くまで働かされて、スズメの涙ほどの給料をもらう。
仕事をこなそうにも、実力が伴わない。
こんなハズじゃなかった。
男と女が同等だ、というのは、一部業種にしか通用しない
寝言にしか、過ぎなかった。
現実が見えてくると、ファンタジーへの没入も、
ひどくなっていく。子どものように純粋すぎて、病を得たりもする。

そして30年経った。
最近、自転車でジムへと通っているのだが、
その道の途中に、さまざまな草木がある。
季節ごとに変化していくその様。
スイカズラは、白い花を誇り、
アサガオは、カリンの隣で花火のよう。
世界は、驚きに充ちていることに、今さら気づいた。
ファンタジーは、本の中にあるのではない。
現実こそ、ファンタジーである。
という気持ちが、生まれてきていた。

高畑勲は、ファンタジーが日本の世界を席巻していることを危惧して、
「現実を見ろ!」
と、警鐘を鳴らしたそうだが、
あらゆるものが 色んな言葉をしゃべりだしている昨今、
(エレベーターとか、風呂とか、空気清浄機とかが、しゃべってる……)
現実がファンタジー化していることは、みな、無意識に感じているはず。
今までは、一部の人だけが、
現実への驚異を抱いていたのだが、
最近は、そうでもないのかもしれない。

以下は、わたしの個人的な考えであるが
ファンタジー好きな人は、他人の創造物で一喜一憂するよりも、
神の創造物の内側で生きる方が、
生きていくことに価値を見いだすかもしれない。
「人はパンのみに生きるモノにあらず
神のひとつひとつの言葉によりて 生きる」
と、イエスは言っている。
逆に言えば、気づかなかった日常の価値も、
ひとつひとつ、確認しつつ生きることもまた、
「生きる」ことにつながるのではないか。

それにしても、「生きる」って、なんだろう。

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