コロナ闘病記(02)

熱が低いのだから入院せず、わたしたちは隔離療養になる。ただし。
「ホテル療養はムリ」
市はそう説明しました。希望者が多くて用意できないんだってさ。ところが県の説明では「ビジネスホテルで療養をお願いします。十八日の夜八時半から、中区のKビジネスホテルを用意します」、とのこと。
YESかNOか、ハッキリせんかい!

入院したら、カクテル療法というものを施してくれるそうです。夫は、わたしの持病を心配して、環境が変わったら病気が重くなると気を揉んでいました。なので、入院よりも療養を選んだのだと説明してくれました。
わたしは以前、メラノーマで入院したことがあるから、心配しすぎだと思うんだけどねえ。ホテル療養になったため、カクテル療法はナシ。

そのうち県の配送車がうちの前にやって来て、二人組のワイシャツ組がお迎えでごんす。FBIみたいだわー。

夫の持参したボールペンで療養生活への同意書にサインをしたあと、掃除機の吸入口みたいな空気清浄機が運転席から蛇行しているのを眺めていました。自宅から中区のKビジネスホテルまでは、車で一時間程度です。

真っ暗な街を行く配送車のなかを、下着とパジャマ、着替えをバッグに詰め込んだわたしと夫は、ひたすら中区へと向かいます。ホテル側が用意している備品や、持って行かなくちゃならないものについては、市のHPに資料があるのでそれを見ながら準備しました。

コロナでいちばん気になったのは、食事と洗濯なんです。そんなにたくさん、下着を持ってないし、クリーニングも洗濯機も使えないっていうからねえ。食事もおいしくなかったら、療養生活は地獄だぜ。

義母をひとり残すのも気がかりです。心臓が悪いからね。とつぜん具合が悪くなったら、助ける人がいない。それに、夫もわたしもコロナだから、義母もコロナになっている可能性がかなりある。

ホテルまで送ってくれる車の中は狭かったけど、乗り心地はとてもよかった。Kビジネスホテルについたとき、三階で受け付けてくださいと言われ、エレベーターに乗って三階へ。

三階では、ガラス張りの受付が待ち構えていて、健康観察についての説明を受けました。

自宅療養より、ホテル療養のほうが、食事の用意や買い物をせずに済むからラクでいいなと思っていたんですが、いざ用意された部屋へ行ったら、部屋は狭いし壁に穴が開いてる。えらいところに来てしまいましたよ。まあ、清潔だからいいけどさ。

 

コロナ闘病記(01)

二〇二二年一月十一日  ことの起こり

あーあ、あんなところへ行くんじゃなかったよ。でも行かなかったら一生、後悔することになるからなぁ。というのもね、免許センターへ行って来たんですよ。一月十一日に。

そろそろわたしも誕生日、免許の更新に来なさいとの警察のお達しです。広島でもオミクロンが席巻、一〇〇人ぐらい罹患者が出てるって聞いてたけど、このまま免許更新をスルーしてたら免許が取り消されちゃう。仕方ないから出かけましたよ。

田舎にある免許センターは感染者も少ない。一〇〇人ぐらいの罹患者なんて、屁でもない! 車の運転は、わたしにとっては必須事項なんだ。

わたしはゴールド免許。優良運転者ということで、それほど更新時間がかからない。ささっと済ませて、あとはラクラクと思ってたんだよね。甘かった。

免許センターは、ロータリーの中心で廃車モニュメントが逆立ちになっているみょうな施設でした。更新に来ていた人たちは、ざっと三十名から四十名ぐらいかな。平日だったので、主として中年が多かったようです。

朝八時頃から順番を待って、それから手続きをして午前中かかって帰宅しました。
その五日後、つまり十六日ごろから軽い咳が出て来たので、風邪を引いたのかな、とうっとおしくなりました。

免許センターめ、うらむぞ~。

今日は日曜だから、と、十七日(月)に近所の内科へ。熱は三十六度七分でした。ところがいざ、PCRをチェックしようとしたら検査は必須じゃなかったみたい。「検査、やりますか?」って聞かれちゃいました。このご時世に、自由意志を尊重してくれるのはありがたいが、だいじょうぶかな。

念のためにチェックしてもらいました。つばを試験管に入れて、結果が出るのは翌日だという。どうせたいしたことはない、と思っていたら、夫も咳と熱で様子がおかしい。そこで翌日、同じ内科へ行って夫の抗原検査したら、「陽性」。わたしのPCR検査も「陽性」。どうしよう! コロナにかかっちゃった!
夫は、市の保健センターと県の保険所に電話しまくりました。今後どうなるんでしょう。入院? 自宅療養? ホテル療養?
ウジウジしながらお上の沙汰を待つのでした。

不正出血

2022/01/11、ガンの疑いがあるということです。
8日から不正出血が続きまして。
10日なんか、あふれるほど出血して
翌日はめまいに苦しめられました。

あまりのひどさに11日、婦人科にかかったんです。
まずは超音波で子宮をチェック。
「筋腫がありますが、見たところ
アヤシイものはありませんね」

で、生検を取ることになりました。
「実は2ヶ月ぐらい前に、ひどいめまいがして
命の母を飲んだんです。
それが原因かな?」

というと、ドクターは
「ありえん!」

命の母は、女性ホルモンに似た働きはするけれど
生理になるほどの量はないというのが
常識のようです。
しかしわたしは、昔から薬が効きやすいんですね。

いま飲んでいる薬も、
ものすごく微量なんですが
眠くてたまらんことが多くて。
それと、ケガをしてヨーチンを塗ったら
それだけで完治したという実績もありますし
30年ぐらい前に鼻の手術では
予備麻酔で爆睡したこともあります。

27年前には足に破傷風の疑いもありましたが
ふつうの3分の1の薬の量で
治ったこともある。

調子に乗って、肩が凝るのも構わずに
パソコンを打っていたら
肩を壊して大変だった……
ドクターストップがかかったりしてね。
いまは、「根を詰めないように」
と言われています。
書くのが生きがいだと言うことが判って
諦めているようです(汗)

それはともかく。
肩こりの治療のために
鍼の先生にかかったとき、
出血がひどいって話をしました。

「2年間生理がなかったのに
突然、また、ドバッと出たんだよね」
とわたしが言うと、同世代のその鍼の先生は、

「あー。わたしもそういうことあるよ。
人間の身体って、まだ解明されていない部分が多いから
西洋医学でもわかんないことって、ある」

中医学でも手に負えない場合は、どうしたらいいんでしょうか……
何はともあれ、25日になったら
生検の結果がわかります。

2022/01/12になっても量が落ち着かなくてね。
ヨガのリーダーに、事情を説明して
ヨガをお休みさせていただきました。

ガンだったら手術だな。楽しみだ(こら)

カラーパターンと人格(キャラクター)

ネ友が、大辞林を眺めながら、
(引用開始)
「一斤染め」と「薄色」・「ローズピンク」と「紅梅」・「丁子色」と「駱駝色」等等
見分けがついていない色の名前がゴロゴロ出てくるのです。
(引用終わり)

それが老眼のせいかもしれない、と嘆き、
カラーチャートを眺めて、区別がつくかどうか、
みなさんもトライしてみては?
とサジェスチョンしています。

わたしはコンピュータ技師として、
コンピュータ上では、無限に近いほどの
色が描き出せると言うことを
聞いたことがあります。
とくにMacでは、それが可能らしい。
スティーブ・ジョブズは
絵とか色とかに、こだわりがありましたよね。

コンピュータ上でこれだけ色のパターンが繰り広げられるなら
人間の性格も、精神も、
コンピュータに移植できる――
とする、物書きさんを知っています。

人間の感情パターンは決まってる。
だから、パターンさえ踏まえれば
どんな人でも機械に精神が載せられるとか。

まあ、AIの書いた小説が
第一次審査に通るような時代ですから、
そう遠くない未来には、
人間と同じ感情を持った機械が
現れてくる可能性は
ありそうな気もします、が。

感情を持った人間同志さえ、
いじめたり、傷つけたりしてる。
この上機械まで入ってきたら、
かなーりややこしいことになりそうだ……

感情なんてややこしいものを
機械が持つのがいいことなのかどうか。

フィクションの世界では、
ロボット化した人間は、感情を持たないことが
多いように思います。
しかし、ロボット自体を見てみると、
『ドラえもん』みたいに
どら焼きが好きでネズミが苦手だったりする。

フィクションを超えた現実が
未来に待っていそうな予感がします。

機械の感情が人間そっくりになったら、
人間の存在意義ってなんだろうね。
感情を持った機械って、
どう扱えばいいんだろう……
いろいろ考えちゃう。

今日より若い日はないけれど

どっどうどどうど どどうど どどう
青いくるみも吹き飛ばせ
すっぱいかりんも吹き飛ばせ
どっどうどどうど どどうど どどう

宮沢賢治の有名な、
『風の又三郎』冒頭からの引用です。
この、どっどう……の部分は、山から吹き下ろしてくる風を
そして、青いくるみ、すっぱいかりんは
未熟な若者を差して言っている、と
聞いたことがあります。

宮沢賢治は、若さというものに対して
あまり好意的な感情を持っていなかったのでしょうか。
たしかに若いと言うことは
未熟ということでもありますし
食するには少々、困難な場合もあります。

このあいだ、なにげに家事をしながらTVを見ていたら
「最近のお年寄りは、
昔よりもずーっと、
貫禄がないっていうか
『軽くなった』よね」
という女声が聞こえてきました。

わたしは、少し驚きました。
若いままでいいよね、という含みは、そこにはありません。
年齢を重ねたら重ねただけの
重厚さ、それが人間にあってほしい。
その人は、そんなふうに思っているのです。

今日より若い日はないと
一生懸命、若作りしているシニアたちに対して
『重厚さ』がないというのは、
思いやりがないのではなかろうかと
わたしは気がかりになりました。

若くなければ、健康でなければ
人に迷惑をかける。
家族の負担になりたくない。
だから、若いままでいたい。

シニアの願いは、そこにありますし、
世間的には、そういうシニアを応援する
風潮になっています。

わたしは眉を寄せながら、その言葉を脳裏で反芻しました。
もし、彼女の言うことが正しくて、
青いくるみのまま、年を取ってしまい
どっどうどどうどと風に吹かれて
時代に流されてしまうのが
いまのシニアだとしたら……?

熟さないまま年を取る。
精神年齢の低いまま、
年を取っていく。

どうなんだろう。それって、
周りを不幸にするかもしれない。
駄々っ子の親をなだめて
思い通りに動かして
財産を独り占めにする人もいるから
世の中は侮れないと思った一瞬でした。

 

はじめてを応用する力

ルワンダなどの途上国で、
一部の恵まれた人たちが
キラキラひかるビルの白い部屋で
一心にプログラムを開発している姿を見て、
ネ友が感動して言いました。
「おれに欠けているのは、意欲と好奇心、
そして応用力だ!」

その人は、プログラムの基礎は習った。
社会に出てみた。
習っていないことがボコボコ出てきた。
「判らんから出来ません」

そうやって脱落していくことって、だれしもあると思う。
向いている仕事だったら
なんとか工夫する力も湧いてくるけど
イヤイヤやってる仕事だったら
習っていないことがストレスになる。

社会では、「習ってないこと」の方が多いし
自分で自分に付加価値をつけていかなきゃ
放り出されることは多いと思う。

実はたらさわみちさんに、
Ingressのミッションメダルを依頼したとき、
わたしは、神社の写真と猫を送付して、
「たぶん、みちさんには神社の絵はご無理では」
などとひどいことを言ってしまいましてね。

ところが、みちさんは、画像処理と
マンガのコラボレーションを見事に決められて
苦手をクリアしてしまわれました!

マンガの仕事を50年以上続けられていけているのは、
こういう、無理難題でもなんとか工夫して、
一定のレベル以上のものを出していく、
そのプロ根性があるからだと
感心しましたし、敬服もしました。

夫も、初めての仕事が多くて困ることが多いと
こぼしていましたが
「そういう仕事こそ、やりがいがある。
〆切りの中で、トライ&エラーで少しずつ、積み上げる。
完成したときの達成感は半端ないね」
と少し自慢そうでした。

水を得た魚というのは、向かうところ敵なし。
やったことがない、ダメだったということで、
意地悪をされたり、ひどいことを言われたりすることも。
でも失敗を恐れていては
いつまでも底辺のままですよね。

底辺から抜けるには、想像力と応用力が必要。
『赤毛のアン』になってみようかな。
「わーっ! 歓びの道だわ!」
リンゴ並木の脇で『歓びの歌』を奏でるオーケストラ……
独唱パートはわたし。
ありえん(汗)。

男は日常が好き、女は……

男と女の違いについて、Facebookで触れていた記事がありました。
男は日常が好きなのだそうですが
女性は違う。
どこが違うかというと、たとえば
俵万智の有名な句があるそうで。

「『この味がいいね』と君が言ったから 1月6日はサラダ記念日」

なるほど女性ほど、「記念日」にこだわる連中はいないかもしれない。
結婚日が近づくと、「結婚記念日」
誕生日なら「誕生パーティ」
「クリスマス」に「ケーキ」はもちろん、
「節分」には「恵方巻き」を必ず買う。
ハロウィーンの時には「ゾンビの恰好」をして街を練り歩く。
恋人同士だったら、「付き合い始めて何日目」という記念日を口実に
彼氏にごちそうをおごってもらおうと画策する。
春夏秋冬、イベントの時期には、家族中・友だち同士などで
盛り上げようとするのが女性。

その一方で、男は日常が好きという。
紀貫之の『土佐日記』からこっち、
異世界ものを扱ったライトノベルでも
日常ものが人気です。
『異世界食堂』なんか、うちの夫は録画までして見てましたっけ。

なぜ、女性は記念日が好きなのか。
コミュニケーションの手段として絶好のネタだから。
記念日ともなれば、
ふだん交流が滞りがちな友だちとも連絡を取って
リモートで酒盛りもできる。

だけどね、女性だって日常は好きだよー。

たとえば……
具体例を挙げようね。

平安時代の日本の代表的日記には、
菅原孝標女がしたためた
『更級日記』とゆーものもある。
これは、『源氏物語』にハマって青春時代を過した
オタクな女性が記した日記として有名です。
日記だから、日常が語られているんです。
男だけが日常が好きってわけではない。

もうひとつ、『枕草子』という、平安時代の日常を
随筆にしたためた清少納言もいます。
女性の方が、日常が好きかも知れない。

「群ようこ」「向田邦子」「岸本葉子」……
女性のエッセイストが多いのは、女性の方が日常への
アンテナが鋭いからかもしれない。

しかしわたしは、日常は好きだけど
記念日には無関心。
結婚記念日でお祝いしたことなんか、いちどもないぜ(笑)
わたしはもしかして、心が男性なのか?!

マスクとは絆を生む趣味

冬真っ盛り。
駐車場の車から冬の影が落ちています。
街には花ひとつなく、空はどんよりとして気分もゆううつ。
毎日同じ事の繰り返し、メディアはいつもコロナ、コロナ。
若者に10万円あげるという政府の報道がありました。
あげてもいいけど、そのまえに職をなんとかしてやってほしいです。
リモートで首キリする企業もあるらしい。ひどい。

それはそれとして、ある人から、
「あんたよくこのご時世で、ゲームできるねえ」
と妬ましい目で見られてしまいました。
その人は、毎日が変わらないことに飽き飽きしているのですが、
ゲームをするほどのいわゆる「技術力(スキル)」がなく、
かといって、とくに趣味もないので、暇で仕方ないのです。

わたしは、気の毒になりました。
たまたまわたしは、夫からゲームのことを教えてもらったから
毎日のようにそれで楽しめてますが、
独り身だったらきっと、その人とおなじように、
暇を持て余すだろう。

外に出るのも、コロナでおっくうになってしまった。
どこもかしこも、閉鎖・閉店・ライブも中止。
カラオケだったら
ひとりで歌うのはさびしすぎる。

わたしがもし、その人になったらと思うと、
いてもたってもいられない気持ちになりました。
情けは人のためならずって言うでしょう。

「じゃあ、たとえば、マスクをして近所を歩くのは?」
わたしが言うと、その人はジロリとわたしをにらみます。
「外でなにをしろっていうのよ。毎日、同じ道を歩くのは
つまんないわよ」
「あら、そんなことないよ。注意して見れば」
わたしは反論します。
「たとえば、どんな色のマスクを、どんな人がしているとか見てると、
暇がつぶれることもある。人によってマスクへのこだわりが見えてきて、
面白いよ」
ボーッと生きてるわけにはいかない。人生はたのしまなくちゃね。
その人は、それ以来、マスクの話でわたしと盛り上がるようになりました。
マスク観察は、人とのつながりができた趣味ってところです。

豪快な料理とは、○○○である

男の料理は豪快だ、とネ友が書いていました。
それによると、カレーひとつ作るにしても、
材料はてきとーに切り、水もてきとーに鍋に入れ、
具材もてきとーに煮込んで、てきとーにルーを入れるので、
スープカレーみたいになっちゃうらしい。

「男は細かいことは、気にしないのだ!」
と言ってるその人。カレーのことをこんなに詳しく書くなんて
チマチマしている証拠だ(笑)。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)。
自分もそういうところはある。

夫は豪快に料理をつくりません。
インスタントラーメンとか、カップヌードルなどを作ったり
たまに手作りソースを作ったり
ポン酢醤油を作ったりします。
インスタントラーメンなどの場合は、タイマーとにらめっこ。
手作りソースやポン酢醤油の場合は、レシピとにらめっこ。
そこには「豪快さ」はみじんもありゃしません。
彼は自分のことを、「セコい」と称し
それが褒め言葉だとしてよろこんでます。
まあ、個人の自由だけど。

義母の場合、たまに料理を作るときは、目分量です。
牡蠣とほうれん草のグラタンを作るとき、
牡蠣の下準備は、義母の仕事です。

牡蠣の下準備:
塩水で洗う。すすぐ。キッチンペーパーの上に載せて拭く。小麦粉をまぶす。
熱したフライパンの上のバターで焼いて、下準備OK。

ここにも「豪快さ」はありませんが
目分量という点では、男の料理といっしょです。
義母は5歳の時から家事をしていたので
手際はものすごくいいのでした。

わたしの場合は、レシピ通りにする場合と
目分量の場合と
勝手にレシピを変える場合があります。
レシピ通りや目分量の場合は
失敗することはありません。わたしも主婦歴30年、
いつまでも同じ事を繰り返してたらアホです。

問題は、レシピを変える場合。
酒・醤油・砂糖という項目を見たら、わたしは迷わずめんつゆを使います。
……そして、焦がしたり、味が濃すぎたりして失敗します。
わたしには応用力がないのか……TT

 

日本人の聖書は、絵本だ!

ネ友の日記より。
「おれが、友だちといっしょに温泉に行ったとき、
『日本人の聖書は、ぜったい
絵本【くまのプーさん】
だよな!』 と力説したら、友だちが
温泉の湯をぶっかけてきやがった!」

さらに言います。

「だれがなんと言おうと
日本の大人の10人に8人は、
【くまのプーさん】を読んだことがあるし
いまだに何度も繰り返して
読んでいるに決まってる。
日本人の聖書とは
【くまのプーさん】だ!」

わたしはいまだに、【くまのプーさん】を
読んだことがないし
アニメで見たこともないのです。
アニメ版は、原作を大幅に変えているという話もあるから
原作の絵本も読んでみたい。

しかし、聖書と言うほどのものなのかなぁ。
聖書には、紀元前13世紀からの歴史があると聞いたことがある。
口伝も含めれば、5,000年の歴史があるとも。
(その証拠がギルガメシュ叙事詩だけどね)。

【くまのプーさん】なんて、せいぜい1世紀ぐらいでしょう。
いっしょにして欲しくないなあ。
日本には、ちゃんと歎異抄とか
平家物語とかいった
歴史あるお話もあるんだし。

作家志望の人の中には、外国人のすることなすことに
あこがれるあまり、
「日本人は覚醒しなければならない!」
とマジに言う人がいますが
なんに覚醒するのかわからん。
そもそも覚醒の必要があるのかもわからん。
その人、アニメの見過ぎなのではと
思ったりもする(ガン○ムとか……)

どうも最近の風潮が、古来の日本の古典をバカにしているようで
ちょっと気になります。
べつに崇めたてまつれとは言わんが
もう少し、古えの日本をシッカリ把握しろよな(頭に来てる)

たしかに日本人は、数が減ってきてるし
このままだと、異文化のほうに吸収される危険もある。
同質化するより
お互いに理解しなければと
外国の人は言うけれど
お互いのことがわからないからこそ
間(ま)を取って接するという文化が
日本にはあったはずなんだけどな。
ネ友にはそれが見えないのかも知れない。