宮島の仏さま・現地探訪(最終回)

この日記も、カクヨムでは別ファイルになります。
新しいファイルでも、よろしくお願いします。

2019/12/11、公民館活動で宮島の現地に行き、
仏さまを見学する、というイベントがありました。
午後13:30~16:30まで。
講師は仏像ナビゲーター、政田(まさだ)マリさん。
タイトルは、
「あなたの知らない宮島を知る・歩く」
第2回 『神の島 宮島の仏さまたち』。
今日はそのレポート(最終回)。

幸(さい)神社。境内と金(かね)鳥居(厳島神社の管轄にあるという印)
の間にある神社だそうです。金鳥居は町内への出入口。

千畳閣・五重塔。豊臣秀吉が、不動院恵瓊(ふどういんえけい)に作らせました。
ふきさらしで避暑地になっていたようです。
屋根に金箔貼ってつくったのはいいが、途中で秀吉が死んじゃったので、
お金がなくなり、恵瓊は建築を断念しました。837畳あるそうです。
1,000人の僧侶が入ってお経が上げられるように、という意図があるそうで。
いまは厳島神社の管轄。多宝堂もそうだとか。
千畳閣は、いまは豊国神社と名前を変えています。かつては芝居もここで興業されていました。

神社の中の経倉(けいそう)ということで、平家納経があったそうです。
大聖院は、祈祷寺。宮島は空っぽの神社で、もともとはこの神社に
お坊さんが山から下りてきて、お経を読んでいたのだとか。
(神社にお経……^^;)
大願寺は、それ以外。(大工や建築家が住んでいた)。
いまや宝物倉に平家納経がおさめられ、清盛の信仰の対象だった
薬師如来は、大聖院におさめられちゃった。
厳島神社の裏側には、仏教関連の施設もあったのですが、壊されてしまい、
森が植樹されています。

大願寺。山門の仁王も門も、廃寺からの廃物利用。
現代仏師、松本明慶(みょうけい)さんが作られたという、不動明王座像が
インパクトばつぐん。
弁天様の祀られた大願寺の入口には、
伊藤博文の手書きの板書がかかっています。
ここで勝海舟と木戸孝允が密談したのでした。
ここには釈迦三尊がいますが、禅宗の三尊とは違います。
(だれだったか忘れた……)

最後のあたりは、疲れてきたので、
早く帰りたかったです(笑)
終わったのは16:15ごろでした。
義母が、「かえってこーい」とTELしてきて、
主婦はつらいぜと思ったり。

また時間を作って、情報を整理しなくちゃ。
今回3日に亘ってレポートしましたが、
全体の感想としては、「面白かった」 でした。
政田さんの親しみやすいキャラクターがよかった。
歴史というと、身構えてしまいがちですが、
昔の人が身近に感じられました。
また機会があったら、参加したいものです。
公民館のみなさん、ありがとうございました。

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宮島の仏さま・現地探訪(その2/3)

2019/12/11、公民館活動で宮島の現地に行き、
仏さまを見学する、というイベントがありました。
午後13:30~16:30まで。
講師は仏像ナビゲーター、政田(まさだ)マリさん。
タイトルは、
「あなたの知らない宮島を知る・歩く」
第2回 『神の島 宮島の仏さまたち』。
今日はそのレポート2です。

宮島には、お墓はありません。死と血は穢れだから。
だから、現世で成仏をとなえる浄土真宗は、NGだった。
浄土真宗は、肉も食べるし、女も抱きますからねえ。
しかし明治時代から観光客を相手にしよう、という政府の方針転換により、
大正時代に浄土真宗の教場が出来、その後、「真光寺」というお寺が(昭和から)できました。
このあたり、遊郭もあったそうです。
幕府令により、城下には遊郭は御法度だったので、宮島に持ってきた。
で、宮島の遊郭は、番付けができるほど有名になったそうです。
町家通りは厳島神社のはしのはし。その端の方に遊郭があったとか。

不動堂。宮島さんの鬼門エリアを封じる意味で作られました。
昔は釈迦如来と三尊があったんですが、神仏棄却のあおりで
釈迦如来は破棄され、不動と毘沙門天が残りました。
弘法大師もここに関連したようです。
ここには、聖観音(しょうかんのん)の石像もあります(結構あたらしい)。
聖観音は、千手観音とかいろんな観音に変化するまえの状態で、
この観音様は、人に合わせて仏様が変化するとかです。
顔の上に阿弥陀様が載ってます。

乳地蔵。子どもに飲ませる乳がよく出るように、という願いを叶えてくれるお地蔵様。
遊郭があるから、子どもも出来ます。母親は、里に帰れないので、お腹が7ヶ月目に入ったとき、
出島して、地御前あたりで出産。(血が穢れなので、島で出産できない)。
75日経ったら、宮島へ戻れるそうです。
この辺は女人坂(にょにんざか)と呼ばれる狭い坂があります。

宝寿院(真言宗、本尊は阿弥陀如来)の千手観音。
手がほんとうに1,000本あるわけではなく、
25界(地獄から有頂天まで)を救う42本の手、
なので、かけ算して1,000本あるという計算。

誓真(せいしん)さんが作った井戸。(10カ所)。
現存しているのは4つだけ。
この誓真さんは、器用な人で、
宮島に山とある木材を使って工芸品を作りました。
そのなかには、しゃもじもあったということです。
ちなみに四国の人です。

休憩が入りましたので、まえに聞きたかったことを
質問しました。
「仏さまを大切にしていた民衆が、
時代が違うからって、あっさり仏さまを投げ捨てるって
どういうこと? わたしには理解できない」

答え。
「その当時は、明治天皇は神さまだったんです。
古事記の昔から神さまの血筋だと言われてたでしょう。
で、よく考えてみたら、仏教も外国の宗教じゃないかってコトで、
仏さまを捨てろってコトになったんです」

いまは、神仏分離の影響で、仏も神も別って思う人が多いみたいだけど
昔は違ってたんだよー
ということでした。

神仏分離の波をモロに浴びた、宮島の話も
たーっぷり聞かせていただきました。
これはネタのため、自粛(笑)

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宮島の仏さま・現地探訪(その1/3)

この日記も、カクヨムでは別ファイルになります。
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2019/12/11、公民館活動で宮島の現地に行き、
仏さまを見学する、というイベントがありました。
午後13:30~16:30まで。
講師は仏像ナビゲーター、政田(まさだ)マリさん。
タイトルは、
「あなたの知らない宮島を知る・歩く」
第2回 『神の島 宮島の仏さまたち』。
今日はそのレポート1です。

開催挨拶のあと、講座の趣旨説明と行程説明、注意事項などがありました。
地図を配られたんですが、見たところ 「かなりの距離を歩く」 というわりには
わたし的には、ちょっと不満でした(歩き足りなかった)。

13:55ごろ、曹洞宗のお寺、存光寺へ。
ご本尊は阿弥陀如来です。曹洞宗はご本尊は釈迦如来のはずなんですが、
禅宗のお坊さんが宗教改革して、宗旨替え。
それまでの宗教は、浄土真宗でした。浄土真宗のご本尊が阿弥陀如来。
地元の敬愛を配慮して、ご本尊は変えずにいたそうです。
……日本人らしいねえ。

阿弥陀三尊の話も出ました。 阿弥陀如来を中尊とし、
その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配するということで、
存光寺の仏さまたちも、三尊がバッチリ。
菩薩は如来のサポート役だそうです。

薬師如来の左手には、万能薬。サポート役は、月光(がっこう)・日光(にっこう)菩薩。
下の方に、12の神将(しんしょう:干支をあらわしている)が配されているのでした。

そこから徳寿寺(とくじゅでら)に行く途中にあったのが、大束富くじのモニュメント。
重さが違う木材の束を、くじで引いて運んだということです。
ハズレは重い木材。で、本来くじは幕府令により御法度だったんですが、
神社への上納金ということで、認めてもらったみたい。

徳寿寺へ参ります。1Fは外国人向けの着付け・和食のお料理教室。
入口から入ると、6地蔵(6道という概念から生まれた)が出迎えます。
地蔵さんは、欲や煩悩があるので格下ですが、身近なところで見守ってくれているのでした。
地蔵は菩薩のサポートをするということです。
徳寿寺の馬頭観音は、怖い顔でした。

徳寿寺には、ひとつの伝説があります。
40を超えた老夫婦(子どもなし)が、夢で光る竹を見た。お地蔵さまがそのなかに入っているという夢。
夫婦は同時に目を覚まし、同じ夢を見たことをお互いに言い合い、
山の中に入り込んでお地蔵さまを見つけ、お祀りしたところ、無事ご懐妊。
その子どもは藩主の主宰するお相撲大会のTOPお相撲さんになったそうです。
お地蔵さんは、信じれば信じるほど金色に輝くので、
金石(きんせき/こんせき)地蔵だというのです。
この地蔵さん、男女の縁切りのお地蔵さんだそうですが、
ギャンブルなどの悪縁を絶つのもあるそうですよ。

そのお地蔵さん、丸い鏡を持っていました。
よくあることなのだそうです。
化粧をしたり、服を着替えたりさせてる民間の人たち(大切にしすぎ)
なので、文化財になったのは、たった1体だそうです。

こういう話を聞くと、文化って結局、なんだろうと思っちゃいますね。
昔と変わらずに残るのが文化、って、頭かたすぎ。

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宮島学 勉強してきた! 12月5日

さて、今回は5日と11日に開催されていた
公民館の講座に参加してきた話をします。

第1回目の今日は、5日に開催されていた講座の話。
「江戸時代~明治時代の宮島を探る」、というタイトルです。
この講座は2年まえからありまして、今回は第2弾、だそうです。
前回は、わたしはスルーしました。
船に乗って宮島付近を巡回って、そんなヒマはありません!

今回だって、やっと2時間、時間をひねり出して参加したんですからね。
で、わかったこと。――宮島関連には、サイトがあります。

宮島学センターデジタルアーカイブサイト、
http://mjp.pu-hiroshima.ac.jp/mjarchive/

今回は、そのサイトを紹介しつつ、
宮島の意外な素顔を教えていただきました。

江戸時代には、木版画でそこまでやるか、というほど
細かいところまで描写された宮島。
しかし明治時代になると、神仏分離の波に襲われ、
神仏合体を平安時代からやっていた宮島も、
僧侶が追い払われたり、
神社のなかの仏教的遺産がすべて廃棄されたり
たいへんなドラマがあったのでした。

わたしにはイマイチよく分からんのだが
政府の圧力に対して、仏教徒たちは抵抗しなかったんだろうか。
だいじな仏教的なシンボルを破壊されたり、
廃棄されて、悲しくならなかったはずはないけれど。
政府の言うがままに、神仏を分離させてしまっている。
これがキリスト教徒だったら、
きっとすごい抵抗があったと思う。
天草の一揆を見よ。

神社の朱塗り柱を、「仏教的だから」 という理由で
砂で磨いてはがしちゃうところまで
徹底してるんだよね……。
それなのに、唯々諾々と受け容れてしまう。
仏教が平和的な宗教だって言ってもさ、
こんなことで生き残っていけるんだろうかと(余計な心配)

でも、明治の政府がどれだけがんばろうと、
神さまと仏さまが同じだという庶民の意識は変えられなかったのであった。
最近は、一神教の影響が如実に出てきて(RPGのせいだな)
多神教のゆるい感じがなくなってきたのが、
わたしには気になります。

11日の話は、18日以降にします。

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朗読会へ、行ってきた! (最終回)

2019/11/30、朗読会へ行ってきました。
全部で7話、朗読されていました。今日はその感想(最終回)です。

井伏鱒二 『遅い訪問』。(『夜ふけと梅の花 山椒魚』講談社文芸文庫)

あのポストが状差しというものだと初めて知りました。
それにしても、「私」ってセコい。
いくら失職したからって、古い学生証で図書館を利用するなんて。
娯楽のない時代だから、本を読むしかなかったんでしょうけど。
ともかく、その近くの学生のたまり場で、いろは順(時代だね)
に並べられた状差しを見た「私」 は、4、5年前の女からの手紙に
誘われて、ただで下宿してくれるというその場所へと赴きます。

井伏鱒二は、実は 『ドリトル先生』シリーズの翻訳で知っていました。
小学四年の頃だったかな。
「おじいさんが子どもだった頃」
という出だしを、いまだに覚えています。
やわらかな、やさしい語り口でした。
ドリトル先生は、知っているとおり、動物語の話せる人間のお医者さんです。
この「私」 は、失職して、ヒマを持てあましているようですが、
ドリトル先生は、忙しいったらないんです。
旅行ばかりしていましたねえ。

「私」 も、下宿先を訪れて、そこのおかみさんと
会話をするという展開になってます。
このおかみさん、どうも品がいいんですが、
ひとりっきりで子どもを亡くして、夫はいつ帰ってくるかわかんない。
だんだん、「私」 も、居心地が悪くなってきます。

なにしろおかみさんは、40代といっても美人さん。
青春まっさかりの 「私」 には、誘惑が多いかも。
それがまた、美人のおかみさんの態度が、
非の打ち所がないんですよねー。
惹かれてしまいそうです。
女の色香に迷う 「私」 のとまどいが、
ユーモアたっぷりに描かれています。

「ほんとにしばらくぶりでした!」
いや、初対面でしょう(笑)
苦笑しながらも、泥沼にはまりつつある 「私」 の
行く末が気になってしまいます。

玄関口のカマキリ虫の朗読を聞いて、
あの、タマゴを産んだらオスを食っちゃうという話を
連想しました。
それまで、のんきで、どちらかというと
お茶のみ話の延長みたいなストーリー展開だったのに、
このカマキリ虫のカギの話で、一気に
ゾッとする展開になりました。
このあたり、星新一に通じるものがある気がします。

女のこわさって、あるよね(自分も女ですが…… 笑)

ということで、今回で朗読会の話は、お終い。
来週は、宮島関連の話になる予定です。

お楽しみに!

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朗読会へ、行ってきた! (その6/7)

2019/11/30、朗読会へ行ってきました。
全部で7話、朗読されていました。今日はその感想(6/7)です。

星新一 『人形』。(『ノックの音が』新潮文庫所収)
星新一は、中学生の頃に、100冊以上は読んだかも……。
でもこの話はすっかり忘れていました。
呪いの藁人形をモチーフに、意外などんでん返しが待っているという、
星新一のブラックなユーモアが、この話でも秀逸です。

この 『人形』 を聞きながら、わたしはふと、
この主人公を 笑えない自分に気づきました。
人形のように、絶対安全だと信じていたものに
裏切られることって、日常でもあるからです。

たとえば、原発など、どうでしょう。
絶対安全だとという神話を信じた人々。
そしてその神話のもと、文明のもたらす栄華を享受していたわたしたち。
あれこれ、万全を期してみたつもりだったのに、
いざ 蓋を開けてみたら……。

文明生活に慣れたわたしたちにとって、
元の生活に戻ることは、ほとんど不可能です。
ちょうど、金庫に閉じ込められた人形のようなもの。
これさえあれば、どうにかなると、
老婆のささやきのような 文明の利器――
テレビやラジオ、冷蔵庫や掃除機など、
使い勝手のいいものにおぼれています。

ですが。
電気が切れたら、すべて、おしまいなのです。
そこから脱出できない主人公を、わたしは笑えない。
文明の袋小路に入り込み、
したり顔して、「コンピュータは便利だな」
とか、「メールアドレス教えて」
とか、いろいろ無理難題を友だちに言っている。

「だんなさんは、どんな使い方をするかな?」
老婆の問いかけは、かなり皮肉が効いている気がします。
便利だ、楽しい、交流の場に使える。
だけど、いつの間にか、それに振り回される。
「使い方をする」 のではなく、
「使われる」ことになってしまう。

リサイクルの難しいプラスティックゴミ。
処理する方法が、一般的じゃない乾電池。
生産するばかりで、後始末は放り投げる。
金庫の中に放り込んで、安心する。

星新一の笑いは、毒がありますが
わたしは個人的には、好きですね。

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朗読会へ、行ってきた! (その5/7)

2019/11/30、朗読会へ行ってきました。
全部で7話、朗読されていました。今日はその感想(5/7)です。

あまんきみこ 『さよならの歌』 (『秋のおはなし』 三省堂所収)
朗読者のとなりには、竹とんぼの絵が飾られている。
竹とんぼで遊んだことはないけれど、この話の主人公も男の子も、いかにも嬉しそう。
竹とんぼへの憧憬が、全編に漂っています。
おじいさんの歌の、「とんぼになって 飛んで行け」 という歌が、
リフレインになってこだましているのでした。
ここに出てくる男の子。主人公の『ぼく』とどこかであったことがあるのか?
と思いつつ、とんぼの歌を歌って竹とんぼを男の子に手渡す 『ぼく』 の心は、
どこにあるのでしょうか?

どこか懐かしい景色。一度も見たことがないのに、既視感のある風景。
日常という平穏な中にも、おじいさんが倒れてボケはじめているというストーリー展開に、
平穏な生活もまた、波風とは無縁ではないことを実感させられます。

とんぼになって飛んで行け。
この竹とんぼは、もしかしたら、魂のことでしょうか。
どこから来て、どこへ行くのか。
空の彼方へ消えていく竹とんぼ。
自分がどこから来たのかも分からないのに、
生まれただの、死んだだのと騒ぐなと言ったのは
一休さんでしたが、
それでも、死別の悲しみは、どんな人でもついてまわる。

おじいさんは、幸せに死んだのだと思います。
未来を信じる孫と、明日のないおじいさん。
とんぼの歌は、その家にとっての、鎮魂歌なのでしょう。
男の子の過去と、『ぼく』 の現在が絡み合い、
ふしぎな空間が広がっていく。

目の前に、野っ原が広がっていって、
あおい、あおい空に、真っ赤なとんぼが
つうっと寄ってきて、そのまま彼方へ消えていくようで、
人生って、短い。
と、ふと、思ってしまうのです。

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朗読会へ、行ってきた! (その4/7)

2019/11/30、朗読会へ行ってきました。
全部で7話、朗読されていました。今日はその感想(4/7)です。

朗読者のとなりには、提灯。

藤沢周平の『驟(はし)り雨』(新潮文庫所収)の朗読は、
冒頭が 芥川龍之介の『羅生門』を連想させました。
やはりどんな偉人でも、先人の足跡の影響は受けるんですね。

主人公は、過去に身重の妻を、病気で妻子もろとも失った過去を持つ盗人。
あらかじめ、盗みに入る家の下見をしに行くあたり、
ドキドキしましたね。
悪いコトって、自分が出来ないだけに、魅力的に感じます(笑)
この主人公は、禍福はあざなえる縄のごとし、ということを
知らない人なのです。
すごく、身近に感じます。

呪いたい人がいる。
その人は、なんと血を分けた妹。
息子がいるのが憎らしい。
わたしには、子どもがいないから。

自分がどれだけ幸せなのか、
客観的に見えれば明白だけど、どうしても引き比べてしまう。
自分はどれだけやっても、デビューできない。
「5回投稿してもダメだったら諦めろ」
という作家もいる。

嘉吉は、自分の不幸に目がくらみ、人のものを奪ってしまっている。
わたしも、自分の不幸に目がくらんでないだろうか?
他人の時間という財産を奪ってないか?

病弱な母と、いたいけない子と巡り会うことで、
嘉吉は自分が店に押し入ろうとしていたことを忘れ、
ふたりを助ける道を選びます。
ありがちな話だけど、やっぱり最後まで聞いちゃった。
人のために生きることで、生きる意味を感じる嘉吉のような人にとっては、
この母子は、まともな道に戻るきっかけになるのでは……。

人生って、何が起こるか分からないけど
けっきょく、終わりはいいもんだ。
希望を抱く終わり方でした。

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朗読会へ、行ってきた! (その3/7)

2019/11/30、朗読会へ行ってきました。
全部で7話、朗読されていました。今日はその感想(3/7)です。

中島たい子 「おしるこ」(『スタートライン』幻冬舎文庫所収)
朗読者のとなりには、法事に使う花束のアイテム。
おしること、どう関係があるかと思ったら、お墓の前にある
和風喫茶店のおしるこの話だったのですね。

亡き夫の月命日に墓参してきたアキコさん。
夫が入るのを嫌がっていたその和風喫茶店に入ります。
店先には、おしるこ 780円の表示。
高めですね。和風喫茶店としては、ふつうなのかもですが。

もう夫はいないし、いちど行ってみよう、ということで
入ってみたら、葬儀場とか斎場とか、とにかくいかにも
それもんの雰囲気と似ていて、どこか寒々としているので
アキコさん少々、がっかり。

このアキコさん、いくつぐらいなのでしょうか。
気持ちが初々しくて、まるで20代の大学生みたいです。
おしるこを、薄い、薄いと言いつつ飲んでは、
夫の回想にふける。
店の主人と会話を交わして、「なかなかいい店じゃないの」
と気を取り直したり、と思ったら
1,000円のおしるこに気分を害してしまう。
(なにかと一緒に頼んだら、780円ですって平然と店主。
これって、詐欺同然だよね! わたしだって怒るよ 笑)

夫は正しすぎ、まじめすぎて、ストレスが溜まって病気になった……。
というところが、似たところのある人を夫にしているわたしには
身につまされる話でした。
夫が自分を好きなのは分かってるけど、
ときどき、ほんとうのわたしじゃなくて、
幻のわたしを好きなんじゃないだろうか、と思うことがある。
理屈っぽくて、一生懸命すぎる夫。
でも、そんな男でも、わたしの夫。

死んだから、かわいそうな人だとか思わなくていい、ということ。
父を亡くし、そのショックから立ち直れず、
父がどんな人だったのか、わからないままに、
いつのまにか、「かわいそうだったんだ」 と心の中で処理しようとしていた
わたしに気づいて、ドキっとしました。
かわいそうとか思うのは、一種の驕りなのでしょう。

アキコさんが、最後におしるこで立ち直って、
自分を取り戻すところは、
笑いながらも涙が出ました。
そして、この話に救われた自分を発見したのです。

いい話でした。

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朗読会へ、行ってきた! (その2/7)

2019/11/30、朗読会へ行ってきました。
全部で7話、朗読されていました。今日はその感想(2/7)です。

夏目漱石 『夢十夜』 第六夜(『夢十夜・文鳥』ちくま文庫所収)
「こんな夢を見た」ではじまる夏目漱石の夢物語、第六弾。
朗読者の隣にある絵が、不思議でした。
人間の絵のようでしたが、なんの絵だったのでしょうか?

ともあれ、今回は、一度読んだことがある短編でした。
朗読しようとは考えもしなかったので、あらためて肉声で聞いてみると、
なかなか趣があると思います。

ヤマトタケルより仁王のほうが強いなんて。
天皇が絶対的存在になりつつあった明治の時代にあって、
神話的存在で、また、ヤマトという日本の名前までついている人物を、
仁王(金剛力士(こんごうりきし、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。
サンスクリットでは「ヴァジュラパーニ」と言い、「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)
を持つもの」を意味する。)
という、外国の神さまと比較するあたりが、
夏目漱石の畏れを知らぬ態度を感じさせます。

夏目漱石は、ほんとうに身近で分かりやすい文体・文章書きますね。
運慶の偉大さ、立派さとその評価に対する漱石の関心がよく分かります。
仁王といえば運慶、らしいですから……。
このように、ダイナミックな文章を書きたい、と漱石は願っていたのでしょう。
自分が築き上げた地位や名誉よりももっと、
もっと上に行きたい、と願う向上心がひりひり感じられます。

彫刻は、誰にでも出来ると言われて、真に受けて、
じっさいに木で彫ろうとがんばる 『自分』 が、稚気あふれていて楽しい。
ここで、常識を働かせて、
「門外漢なんだからムリに決まってる」
と思わないところが、漱石なんです。
なにごとも、挑戦してしまう。
逃げ出さない。ひとつ失敗しても、諦めない。
何度も、なんども、やりなおす。

ついに、「明治の木には 仁王がない」
と結論づけるあたりは、
「キツネとぶどう」というイソップ童話を思い出しました。
みなさんご存じのとおり、
おいしそうなぶどうが木になっているのを見たキツネが、
木に跳びつくけど、実にはどうしても届かない。
キツネはついに、「どうせ酸っぱいぶどうさ」
と負け惜しみを言う、というお話です。
漱石の負けず嫌いなところ、このキツネにそっくり。
だからこそ、一流なのでしょう。

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