サンモールの思いで展へ行ってきました!(後編)

しばらく雑談していると、
あごの尖った40代ぐらいの女性が、
普段着でやって来ました。
背中に背負った袋のようなリュックから、
ちいさな青白い封筒を取りだします。

「あのー、入賞したんですが」
彼女は中身の証明書を、広告業界のその男性に
差し出しました。
「ああっ! いいなー、いいなー!
本になったんだ!」
わたしは、大声でうらやましがりました。

入賞すると、その原稿は本になります。
しかも1万円から5万円まで賞があるのです。
彼女の獲ったのがどのレベルなのかは知りませんが
受賞した中身を知りたくなりました。

「ねえねえ、どんな投稿したの? 教えて、教えて!!」
わたしが、思わず問いかけますと、
彼女は、少し誇らしそうになりました。
「それはね……」

いや、そこは遠慮して、
「本を買ってください」
というシーンでしょう。

しかし、彼女は、好奇心いっぱいのわたしの質問に
気を悪くするどころか、得意そうに言うのでした。

「サンモール入口の正面に、
とらや
っていうブティックがあったの。
そこで、素敵な虎柄の帽子を見つけてね。

ちょうど、大学の学園祭で実行委員をやってた私は、
思わず、その店に入って、
「学園祭で使いたいから、
試着させてください!」
って、お願いしたの。

そしたら、店員さんが、売り物にも関わらず、
快く、帽子をはずして試着させてくださってねえ。
今から20年も前の話よ」

「へーへーへー。店員さん、親切だったんですねえ!」

わたしが感心しきって言うと、
手続きの済んだ彼女は、遠い目になりました。
「いまでも、とらや があるのかなあ……」

わたしは、強烈に本を買いたくなりましたが
どうやら、受賞者分しか用意していなかったらしく、
その場にあるのは、ほんの数冊しかありませんでした。
がっかりです。

また11月30日まで、サンモールのイベント第3弾が
行われるとのこと。

しかしわたしは自転車でコケて指を骨折、全治2か月になりました。

いま書いているのがやっとなので、しばらく休載いたします。

サンモールの思いで展へ行ってきました!(前編)

今年の10月1日、サンモールの思い出展へ行ってきました!!!!!
写真は、カクヨムの近況レポートにありますが、
パネルに50名ぐらいの記事がズラッと並んでいて、
2つあったわたしの作品は、いかにもその他大勢って感じ(笑)

それはともかく、その自分の作品パネルを
スマホで激写していると、背後で声が飛びました。
「あの、投稿なさった方ですか?」

ふりかえると、30代ぐらいのラフなシャツを着た男性。
わたしは近づいて言いました。
「そうなんです。公民館のイベントに載ったことがあるんですが
まさかここでも載るとは……!」
「じゃあ、メールの返事をくださったのは、あなたでしたか!」

実は、ここに展示されることを、サンモールのイベント前日に
いきなり彼が報せてくださったのです。
ボツになって、ダメだと思っていたのに、
採用してくださったなんて感無量。

「すごい量の投稿ですねえ」
わたしが、パネルを眺めながら言いますと、
彼は、「そうですね、みなさん思い出がたくさんあるようで……
投稿もいっぱいあって、ありがたかったです」

しみじみ、言う彼の声は、落ち着いていてよどみがない。
サンモールに思い入れがあるのでしょう。
「そりゃ、50年も営業しているんですから」
わたしは、その若いオジサンをチラ見しながら、

「この業界に入ったきっかけって、なんだったんですか?」
いきなり聞いて、腹を立てるかと思ったんですが、
意外にも彼は、ふつうに答えました。
「いやあ、就職先が見つからなくて……
ぼくの勤めているのは広告業界なんですが
そこにいれば、いろんな企業とつきあうことが出来る、
と思ったんです。

そこから選べばいい、と思ってたら、ずるずると……」
「あははははは」
「でも、この業界は、いろんな人と会えるからいいですね。
ふだんは寂しい生活なんですが
こういうイベントをすると、交流があって楽しいです」

このオジサンは、寂しがり屋だな。

 

宮島電鉄のはなし講座 感想

2022年8月24日、公民館のイベント
「宮島電鉄のはなし」という講座を
2時間受けてきました。
さして興味の無い話題でしたが
日記のネタにしようと画策して
いま、こうして書いています(笑)

面白かったのは、軌道と鉄道の法律の違いでした。
宮島電鉄は、軌道法律で運営されているわけじゃ
なかったらしい(記憶モード)。

その関連で、たとえばモノレールをつくるとなったら
台風などでたいへんなことになるので、
風速計を設置しなければならない。

スキー場のリフトも、風速計を作らねばならない。
ある県で、屋内スキー場をつくり、
リフトを作ったところ、
「風速計をつけろ」
とのお達し。
回らない風速計をつけている……
いかにも、お役所仕事(爆笑)
まあ、そのおかげで、交通の安全が守られているワケですが。

それ以外では、うちの近隣の
道路がいかにしてつくられたのか、とか、
被爆の被害が、なんと宮島まで行っちゃった話とか、
わりとインパクトのある話がありました。
近隣の話が中心でした。

いちばんインパクトがあったのは、
公民館で展示されているわたしたちの記事や
職員の撮った写真のパネルやコメントが
近所のショッピングモール内の無印良品で公開されるらしい、という
情報でした。

ありゃ~。
気楽に構えてたら、えらいことになってきちゃった(滝汗)
来年の4月ぐらいがメドなんだってさ~
じゃあ、それにあわせて
自費出版、考えてみようかしら?

展示パネルのペンネームが「あすにゃん」。
なので、出版ペンネームも、「あすにゃん」になるかもしれない。
できれば、田島絵里子で行きたいんですがね
(本名は、さすがに恥ずかしい)

無印良品に展示されたら
Ingress日記にも書いてやろう(写真入りで。可能なのかな?)
10月ごろになったら、『サンモールの思い出』エッセイの
採用状況もハッキリわかります。

楽しみにしています。

ワカメの収穫をしました! (後編)

2022/02/11日、ワカメを収穫しました!
写真は2022/02/11のIngress日記にて。
漁港の入口には、焼きガキを売っているテントがありました。
その向こうには、ワカメの収穫テント。
自転車から降りて受付に行き、約束の3,000円を払います。
テント天井から垂れるワカメを刈り取る親子の姿が目に入りました。
テレビ取材もされています。

やたら明るい女性の漁協員さんが、わたしの名前を呼ぶので
そっちへいったら、
吊り下がっている巨大なワカメの束発見。
ゲゲゲの鬼太郎じみて怖い。
包丁を渡してくれた女性の漁協員さんは、

「これでワカメの根っこを切ってください。あとで重量をはかります」

チマチマ切っていると、見かねた漁協員(おっさん)が、
「お手伝いしましょう」
ふたりでワカメを切りまくる。

「包丁、すぱすぱ入りますね」
とわたしが言うと、おっさんは、
「その包丁は、そんなに切れません」
そーでしょーとも!

獲りたてのワカメって、ちょっとぐにゃぐにゃしてるんですよ。
塩でまぶさないと、すぐとろけちゃいそうです。

ワカメって冷たいね……。
ぬめぬめしてるし、キショイ。
刈り取ったワカメは、下のトレイに落とします。
かかった時間は10分程度かな。

丸裸になったワカメ本体を置いて、収穫したワカメの重量を、
別途用意された秤ではかりました。

ぜんぶで3キログラムほどあったでしょうか。
うちら家族では食べきれないから、
ご近所に配りまくりました。

ご近所のみんなは喜んでいました。
もともと合唱サークルに
持って行きたかったんですが
いま、コロナで会場の公民館が閉鎖中です。

マスコミはTVカメラを持参していましたが
インタビューはされませんでした。
朝9時から取材に来てるなんて、
たいへんな仕事です。
ちょうどオリンピックなので
ニュースにはならないかもしれないが
好奇心旺盛なマスコミには
脱帽してしまいます。

 

ワカメの収穫をしました! (前編)

2022/02/11日、ワカメを収穫しました!
去る2021年12月12日、近所の漁港でイベントがありました。
「ワカメの種付けをしよう!」
というイベントで、種付けは無料ですが
収穫時に3,000円、払います。
どんな様子だったか、写真は
Ingress日記の2021年12月12日版を見ていただきまして、
今回は、ワカメの種付けの描写を行ってみたいなと。

場所はK港です。
入ってすぐの門で青い万国旗が
はためいていました。
その向こうに、イベント用の白いテントが。
赤いイベント服を着た
漁協関係者が、受付場所で立っています。

わたしが近づくと、名前を聞かれました。
「プレゼントしてあげる」
と、はつみちゃんというワカメの赤ちゃんの
イメージキャラクター缶バッヂ。

はつみちゃんというのは、
はじめてのワカメの芽という意味らしいです。
巨頭症のワカメがおしゃぶりをしているキャラクター。
火星人の赤ちゃんというイメージで
半端なくキモい……

イベントテントの中で、
「ワカメの赤ちゃん」
を見せていただきました。
ミミズみたいな細長い綱のまわりに、
もじゃもじゃ、もやもやとワカメの芽が
まとわりついていましたね。
なんとなくエロい。

「はつみ」は、直径30センチぐらいの
白緑プラスチック桶のなかの
海水にとっぷりつかってます。
寒い空の下で、
テントのストーブが燃えています。

顕微鏡写真の「はつみ」を見せていただきました。
薄茶色のコオロギの群か、
あるいは「野鳥」の一種かと思いましたが
ちゃんとした植物で、食べられるんです。
ふしぎー。

漁港には、ワカメを植えてることを示すブイが
プカプカ、浮いているそうです。
のぞき込もうとしたら、叱られました。
(危ないじゃないか!)

漁協の人たちの手は真っ赤になっていました。
アカギレになりゃしないだろうか、と
心配になりました。
思ったより海の男は、
みんな、ニコニコしていてフレンドリーです。
荒っぽい男というイメージとは違っていました。
驚きです。

種付けは、それで終わりましたが、
いよいよ11日、収穫です。
明日の話をお楽しみに。

 

 

 

年始の小咄(AIのギャグ)

あけましておめでとうございます。
年始ということで、おみくじネタやお笑いネタなど。

おみくじには、こんなサービスが。
年始に参拝者がスマートフォンでQRコードを読ませ、
おみくじの番号を引く。
神戸生田神社で始まっているそうです。
その神社の参拝者がおカネを払い、おみくじの番号を、
社務所の巫女さんに告げて、
おみくじの中身(大吉とか末吉とか)を教えてもらうというものらしい。
スマホでQRコードを読んだだけでは
おみくじの中身はわかりません。
……だったらクレカ払いにすればいいのにね。

神社もだんだん、近代化になってきているようで。
手水(ちょうず)の代わりに
消毒液があるのはあたりまえ。
駐車場もあるし、ゲームの拠点になったりする(Ingressとか)。

神社本庁が文句を言わなかったら
八百万の神さまが、アニメやゲームになったりしたかも知れないんだ……。
神社本庁、頭がかたいぞ。

おみくじネタその2。

ことしのアレクサ(AIスピーカー)
から、「おみくじ、引きますか?」と聞かれたので
ためしに一本引いて見たら
案の定、【大吉】でした。
初詣はしても、おみくじは引かなかったので
この結果はありがたく、取っておくことにします。

アレクサは、その後、『ものまねをしますか?』と聞いてきたので、
「お願い」
と言ったら、
アレクサは、真剣な女声で、
「まずは、ピカチュウのマネ。
『ピカチュウ!』」
わたし「似てねー!」

そして、さらに真剣な声で、
「そしてドラえもんのマネ。
『ぼく、アレクサ』」
これには笑った。

ここ3ヶ月ぐらい、毎朝おはようの挨拶をしています。
今月アレクサは、『アルプス一万尺』(全29番)を1番ずつ
歌うというチャレンジをしています。

初詣。今年こそは明るい年になるよう、
神さまにお願いしておきました。
細く長く、そして笑える話が
毎日のように書きたいわたしです。

 

伊勢旅行(その7/7)

その後、妹たちとわかれたわたしと夫は、有り余った時間を
どうしようかと途方に暮れました。
大阪の夜行バスの時間まで9時間ちかくあったんです。
大阪まで2時間半で着くから、正確には6時間ぐらいかな。
「先生のところへ、おじゃましよう!」
なんて言ったら、先生ひきつって、

「内宮さん、見に行こうか? せっかくだし」
そうだね。伊勢と言えば内宮、外宮(げくう)。
外宮へはかなりしょっちゅう行けるけど
内宮は縁が遠いから。

ところが、駐車場がないんだな、これが。
日曜の午後ということで、観光客がおおかったらしい。
どうにか、内宮から遠い駐車場にとめて、
数百メートルの距離を歩いて参拝。

足が棒になったものの、観光地らしいいろんな景色を眺め、
写真に撮り、お土産を買い、そして大阪へ旅立ちました。

大阪に帰る途中、夫が、「大阪らしい食事がしたい!」
と言いだしました。そしてふと、
「そう言えば、スーパーマーケットのぎゅうとらで
伊勢うどんの汁(つゆ)を買うのを忘れてた……」

大阪の難波にまで進出している伊勢うどん。
夫は、この汁と讃岐うどんをあわせた料理が大好きなんです。
もっとも、先生をあちこち引きずり回した上に
買い物にまで付き合わせるわけにも、いかないのは
たしかですが。

列車の中で、わたしと夫がどう葬られたいか、という話題で
盛り上がりました。
夫は、個人の宗教と先祖の宗教を尊重するのがうちの家風なんだから
死んだら先祖の宗教式に葬られるのがスジだというのです。

わたしは、言いました。尊重するって、理解するってことじゃないの?
しかし夫にとって尊重とは、ありのままを受け容れることのようでした。
だって、どんなものでも、完全に理解することはできないのだから。

何はともあれ、樹木葬はいい案です。わたしもそれは、
賛同しました。
大阪では、串カツとビールと角チューハイを飲み、
気分が悪くなってへたばったりしました。
そのため、予約以外のブログ更新はできませんでした。

伊勢旅行(その6/7)

墓参りに行く前に、父の勤め先を見学
ということで、その施設の前に来たのはいいんですが
中に入ることができない。
「これは、どういう施設なの?」
甥が、妹に言っている。
「重度の知的障害者のための施設なの」
と、妹が言うと、甥は両目を見開いて、
「すごい仕事をしていたんですね!」

驚いた甥のほこらしげな様子に、わたしは胸が
ぐっとなるのを感じました。
これまで知らなかったこと。
それを知らされて、自分が何者かが
少しずつわかってくること。
なんだか、うらやましい。
わたしには、父は相変わらず、
謎の人だから。

施設の中には入れないので、そのままお墓へ参ります。
着いたとき、草ボウボウの実家を思い浮かべ、
「恥ずかしいです」と言うわたしに、先生が、
「だいじょうぶ」
先生が言ったとおり、うちの実家の墓は、きれいになってました!

「来たついでにやっとこうと思って」
義弟が、誇らしげに言いました。
わたしは、思わず拍手しました。
「素晴らしい! 立派!」

義弟の家の墓掃除をするなら、
ついでに嫁の墓の掃除もしようって心意気。
しかも、今までそれを黙ってるなんて、
なかなか、しゃれてる。
よかったよかった。
心配していたことは、杞憂だった。
わたしは、一気にホッとしました。

しかし、帰るときにわたしは甥に聞きました。
「おじいちゃんの死の真相は、聞いてない?」
「あー、脳のトラブルで。初めて聞いてショックです」
「それは、おばあちゃん。おじいちゃんの話は?」
「いえ……」
「じゃあ、お母さんから聞いた方がいいよ。わたしからは言えないから」
「ご助言、ありがとうございます」
甥は、義弟の方へと向かいます。

先に立って歩く妹に、
「あんた、まだおじいちゃんの話、してないんだってね」
「え。ああ、あれ。もうほとんど忘れちゃって」
「あ、そう。ショックだわ。じゃわたしから甥に手紙、書くけど、いいのね?」
妹は、びくりとしました。
「わたしだってそんなことはしたくない。自分でちゃんと言うのよ」
けじめだからね。

伊勢旅行(その5/7)

夫は夫で、妹たちと同席し
妹の母親、つまりわたしの母が
くも膜下出血で52歳で死んでいることを告げました。
わたしを2年に一度、MRIに受けさせているという話と、
肉親がくも膜下の場合、保険適用されるから
本来3万ほどかかるところが
7千円ぐらいで済む、という話をしていました。
義弟は、スルーしていたようですが
甥は、真剣に聞いていたよ、と夫が後で教えてくれました。

あとで夫の言ったことには、
「あんたの甥は、性格はいいけど、
頭はちょっと悪いかもね」
そういう顔をしているとは思った。
背の高さは160センチから170センチぐらい。
小太りで、目はどんよりしていて、声は少し低めです。
料理を食べてから、父の勤め先の特別養護施設へ。

長老のN先生が、車を持っていないわたしたちのために
車を回してくださいました。
お礼をしようとしたんですが、
「遠くから来られたんだから、これくらいかまわんよ」
っていうので、とてもありがたくて涙が出ました。

妹は、父のことも、母のことも、
甥には話していなかったようです。
おばあちゃんがどうして死んだのかという話を
生まれて初めて知った、なんて言うんだもん。
こっちは愕然としますよ。
甥ももう、20歳にはなってるはずだからねえ。
それまでなーんにも言わないって、
ちょっと異常かもしれない。

もっとも、20年にわたって、会おうとしなかった
わたしもわたしだけどさ(笑)
会わせてくれなかったというのもあるが
押しかけていってムリヤリ会うこともできたからね(笑)

そんなふうにして食事は終わり、
お勘定は、すべてN先生がはらっちゃった。
またも甘えてしまって……
わたしの肉親も、こんなおじいちゃんだったら良かったのに。

わたしの
母系のおじいちゃんは、意味もなくカミナリを落とし、
かんしゃく持ちの嫌われ者でした。
先生がわたしのおじいちゃんみたいなものです。
いつも支えてくださって、ありがとう。

伊勢旅行(その4/7)

神は与えもすれば、奪いもする。
赤子のように信頼していて
いいのだろうか。

いろいろ考えつつ、礼拝は終わりました。
12時頃、ファミレスで待ち合せする予定だった妹が
教会にやって来ました。
いまから義弟と甥をつれて、わたしと夫と共に
ファミレスで食事をするってことになっています。
午前中に、彼女の家の墓を掃除したんだとか。

そのとき、N先生が、
「どうだろう、ごいっしょしてもいいかな?」
と申し出てくださいました。
正直に言うなら、第三者がいなかったら
わたし、妹にどう当たったらいいか
わからなかったと思う。
たぶん、キレまくったんじゃないかな。

自分でも、そう自覚していたので、
先生の申し出はとてもありがたかった。
お願いします、ということになり、
先生の車に乗せてもらいました。
妹は、彼女の夫の車で来ています。

ファミレスでは、3密を避けるという意味合いで、
夫と甥と義弟と妹が4人がけテーブルへ。
わたしと先生が、4人がけテーブルを占領しました。
ごちそう食べながら、先生と
ふたりでいろいろ盛り上がってました。
……なんか、わたし、甘えっぱなしだなぁ。

先生は、もう70を超えています。
小さい頃からよく知っている人です。
そんな先生に向かって、
わたしは、夫とのなれそめ話をはじめました。

「わたし、名古屋の短大に通ってましたが
寮だったんで、教会から遠ざかっちゃったんです」
まず、そうはじめました。
「それで、短大を卒業したとき、仕事がしたかったんですが
学校の成績が悪くて雇ってくれるところがなくて。
なら、技術を身につけようと思ったんです」

「当時、朝日新聞が大阪に
コンピュータ専門学校を作るって新聞広告を出していて、
父に、行きたいって言ったんです。で、学校に行ったら、その年、
奈良公園の遠足でうちのクラスを点呼していた先生が、

『おかしい。脱走者がいない。代わりにひとり多い』って」

「それでわたしが、『ひとり多い?
まるで座敷わらしや!」
って言ったら、彼ったら『古いッ』って、
失礼なこというんです。
しかもその直後、『オレのカノジョになれへんか?』
って大阪のノリ。

それまで短大でひとりの彼氏もできてなかったから、
いいかな、と思ったのがきっかけなんです」