縁の神は座敷わらし 05


 大阪の水はわたしの肌には合わず、吹き出物がずいぶん出てきていた。寮の部屋には姿見などの鏡がなかったので、客観的に自分を見る機会もなかった。また、コンパクトなどを買う気にも、ぜんぜんなれなかったので、化粧っ気もまるでなかった。

 

 前述したように、化粧して欲しい彼は、事務のお姉さんに、わたしに化粧の指南をしてくれと頼んだ。そこで事務のお姉さんの家におじゃましたのだが、そのとき彼女のしてくれたふしぎな話が印象に残っている。


「そこの仏壇に、写真があるでしょう。絶対落ちないところにあったんだけど、それ、わたしの祖父よ」


 お姉さんは、仏壇の奥に、しっかり座っている渋面(じゅうめん)のじいさんの写真をしめしつつ、真顔で言い切った。


「その祖父が死んだ時、その写真、仏壇から転がり落ちた」

 ピカと雷光が走った。
 ドッと雨が降った。

 聞いたのは、どちらもちょうど梅雨の頃だった。テレビドラマにもならないふつーのホラーではあるが、ふつーの人が真顔でそれを話すと怖いものがある。

 幼少のころからわたしはテレビを禁止され、ラジオも買ってもらってなかった。

 興味のあるジャンルはファンタジーとSFであり、本屋へ行っても料理本には見向きもしなかった。ファッション雑誌なんか歯牙にもかけていない。


 自分の顔があばただらけだということについて、まったく意に介さなかった。


 この原因の一つには、自分の読んだ小説の中に、外面ばかりつくろって中身がからっぽの人間が描写されていたこともあっただろう。

 その女性は男どもに大人気で、プロムやパーティに誘われていたのだが、いざ、スマートな男の前に立つと、まったく話が噛み合わず、あっさり男から振られてしまう、という内容だったと記憶している。


 人間、外見より中身よ。


 というのが、わたしの当時の信念であった。

 そのくせ勉強が出来たかというと、それもダメだった。コンピュータ専門学校でも落ちこぼれである。

 だが、化粧をしてもしなくても、自分でいることに変わりがないというこの姿勢を見て、正人も考えを改めた。ありのままのわたしを受け容れてくれたのである。


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