日本人は多神教徒と呼ばれますが、近所の神社の祭神すら知らないことが多いのが現実です。有名な神々、例えば武将が信仰した八幡神や学問の神・菅原道真はいますが、小さな社の神はほとんど知られず、スーパーの都合で稲荷神社が移転する例などから、日本の神は「人の都合のためにある」という柔軟な宗教観が見て取れます。
明治時代に神仏分離が断行され、天皇の祖先を神とする「天皇=神」説が国教の基盤となりました。これは本居宣長の思想にルーツを持ち、キリスト教の影響も指摘されます。が、江戸時代の神道思想は排他的でなく、仏教や儒教と共存する寛容さがありました。
一方、キリスト教は「信じない者は救われない」という排他的な教義のため、先祖崇拝を重んじる日本には根付きませんでした。江戸時代の農民が「ご先祖様を地獄に送る神は信じない」と宣教師を言い負かした逸話が象徴的です。戦時中はキリスト教が弾圧される暗い歴史もありましたが、明治天皇が信仰の自由を認めたことで、日本は柔軟性を保ってきました。
現在もキリスト教は普及せず、逆に神道が海外で注目されます。日本の宗教観は排他的な一神教にならず、多様性を維持しています。
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