宮崎駿「君たちはどう生きるか」感想

感想

この映画の核心は、世界の秩序を司る「大おじさん」から、若き後継者である真人へと世界の支配権を譲り渡そうとする重大な場面にあると思う。この瞬間こそが物語の転換点となっているのだ。

というのも、大おじさんの寿命は確実に尽きかけており、もはや時間的な猶予は残されていない。世界を継承できる血筋の人間が真人ただ一人だけであるという切迫した状況にもかかわらず、真人は自身に課せられた重責である世界の継承を、強い意志を持って拒否するのである。この決断は、物語全体を通じて最も重要な転機となっている。

世界の危機

そのため、世界は崩壊の危機に瀕することになるのだが、真人が世界の相続を拒んだ理由は深く考えさせられるものだった。彼は、一見すると純粋で完璧に見える世界の中に、根本的な悪意や歪みが存在していることを感じ取ったのである。この洞察は彼の繊細な感性と鋭い観察眼によるものであり、表面的な調和の下に潜む闇を見抜いた結果としての決断だったのだ。

自分自身の中にも悪意や歪みを感じているからこそ、自分のこめかみを傷つけていじめっ子のせいにする自分が許せないし、母が死んだ直後に妹と関係を持ってしまう父や、継母も許せない。自分の中の、そんな醜さを知っているからこそ、世界を拒否したのだった。

時代は終戦直前の物語。

まさに日本という国家そのものが大きな転換期を迎えていた終戦直前の時期と重なるように、世界の継承の儀式は思いがけない形で頓挫することとなった。真人は、決して触れてはならないとされていた神聖な領域に侵入してしまった。そんな真人への処分をインコの王が不満とし、暴力で台無しにしたことで、長い時をかけて準備されてきた儀式は一瞬にして水泡に帰してしまったのである。この出来事は、単なる偶然というよりも、古い秩序が新しい時代へと移り変わっていく必然的な流れを象徴しているようにも見える。

新しい時代がやってきた。崩れた純粋な世界(悪意を含む)をつぐのは若き君たちなのだ。さあ、どうする。

 

それが、この映画、「君たちはどう生きるか」のテーマなのだとわたしは感じた。

 


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