そのコンピュータ専門学校は、新聞社と企業がお金を出し合って技術者を育てるというのがうたい文句だった。当然、今で言う「婚活」の場ではない。
なのに、その学校で彼と出会い、結婚することになったのだから、出雲の神はなにを考えていたのだろうか(汗)
一九八五年六月一日は、映画の日で鑑賞料が半額だった。彼、田島正人は、「映画を見に行こう」という。わたしにとっても、生まれて初めてのデートである。それなりに、期待した。恋愛だろうか。はたまた、推理だろうか。あるいは、日常系ほのぼのだろうか。
彼は、大阪梅田までわたしを引っ張ってくると、胸を張ってこう言った。
「初デートは、アメリカSF映画の『ターミネーター』にする」
ターミネーター。英語で言うと、『端末の人』。医療関係でターミナル医療は、末端医療。この映画のタイトルはつまり、「終わらせる人」。
なにをどう、終わらせるんだろう。いや、その前に、初デートがSFでいいのか。
「やだよぉ。見に行きたくない」
わたしはきっぱり言った。
「ホラーだよ。夏場にピッタリじゃないか」
彼は、あきらめない。
「どんなストーリーよ」
抵抗しても無意味ぽかった。ちょっと興味も湧いてくる。
「未来から来た暗殺者が、平凡な女性をつけ回して殺そうとするのを、未来からの使者が救う話」
ざっくり、そういうストーリーだという。
へー。時間SFか。それならアリかも。
十代のころに筒井康隆の『時をかける少女』を読んで以来、洋モノ和モノ問わず、時間SFは見逃したことがない。ポール・アンダーソンの『タイムパトロール』、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』、グレゴリー・ベンフォード『タイムスケープ』といったタイトルが、脳裏を駆け巡った。
というわけで、わたしはホラーの時間SFを、正人といっしょに楽しんだ。シュワルツェネッガーのニンニクのような筋肉を見てポカンと口が空くのを感じたが、さほどホラーには感じなかった。正人もそうだったようだ。
「あれは法螺だね」
そんなジョークが飛んで来た。その当時はジョークだったが、映画に出て来たAIは実現した(意志は持っていないが)。人間のたゆまぬ努力はすさまじいと思わざるを得ない。
正人の努力もまた、同じだった。わたしがまったく化粧しないので、彼は一計を案じたのである。

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