金曜日のエモさと、ふとした「祈り」
金曜日の午後のラジオ。ユーミンの番組で、「エモい」という言葉が飛び出したんです!夫が笑って言った。「70代なのに、柔軟だなあ。オレはとても使えない。お母さんは、『エモい』って言葉知ってる?」後部座席の義母が噴き出した。「それぐらい、知ってるよ」テレビから流れてきたらしい(笑)。読書ばかりしているわけでもなさそうだ。85歳の義母もまた、柔軟な思考を持っていることに驚く!
祈りってなんだろう?
ふと、「祈り」という言葉が頭をよぎりました。私自身、キリスト教二世として育ったので、幼い頃から自然と祈りの言葉に親しんできました。でもね、意識的に「祈り」をテーマに書き始めるまで、その本質について深く考えたことはなかったんです。
誰かの願いって、きっと同じ形
最近は、「祈り」を宗教的なものとして捉えるのではなく、「誰にでもある願い」「心を支える言葉」として表現することに力を入れています。それは、特定の信仰を持つ人だけでなく、日々の暮らしの中で何かを願うすべての人に響くように…という思いからなんです。たとえば、ユーミンの歌に感じる「エモい」という感情もまた、ある種の祈りなのかもしれません。「この瞬間が永遠に続きますように」「大切な人が幸せでありますように」といった、言葉にならない願いの形。
ブログで綴る、小さな灯台
ブログでは週1回、短い祈りのような文章を発信します。読者の誰かの心の拠り所になれば、と願いながら。それはまるで、小さな灯台のように、暗闇の中で迷っている人々に光を届けるようなイメージなんです。義母が「エモい」という言葉を知っていたように、意外な場所で共鳴する何かがあるかもしれない!
願いのエッセイストとして
そんなこんなで、いつか「願いのエッセイスト」と呼ばれたら嬉しいなと思っています。ちょっと照れくさいけど…これからも、心に寄り添うエッセイを綴っていきたいです! 読んでくれてありがとうね♪
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