#03:裏切りと沈黙
3)裏切り・沈黙・存在価値
2010年頃、名古屋の短大交流LINEにも参加しました。
短大ではESS(英会話クラブ)に入っていましたが、広島に来てからはもう話題もないだろうと仲間からは連絡を断ち、ひとりの部員と交流を始めました。その人を仮にZさんと呼びます。
Zさんは、結婚して障がいのある息子を生みました。彼女の誘う交流LINEや、名古屋で行われる女子会にも参加しました。身近なご近所の話、名古屋の名物ナナちゃん人形のしぐさの面白さ、健康に関するトリビア、話題は尽きません。こんな貴重な体験をありがとうと、よせば良いのにZさんの息子の相談に乗ることにしました。
最初は、たしかに話すことはありました。しかし、自分の障がいなど、悩みごととなるとやはりハードルが高かったのでしょう、メールのやりとりは途絶えがちになってきました。
Zさん「ごめんごめん待っていてね、いま彼、落ち込んでるところ」
わたし「うん、判るよ。気が向いたらメールお願いね。ちょくちょく連絡ちょうだい」
ところが1年経っても音沙汰なし。しかもZさんは、すでにあちこち、あたっていました。こんな広島という遠地にいる人間を頼るより、名古屋にいる身近な人がいいというのは論理的に言って正しいでしょうが、それならなぜ、そもそもわたしに、息子さんのことを相談したのでしょうか。
そうこうしているうちに、高校の友だちに電話しても「忙しい」「こんな時間に電話してくるなんて非常識」と言われ、「じゃあ、どうすれば?」と聞くと、「あなたみたいな人と仲良くする人なんて、いないわよ」と言う言葉が返ってきました。
もしかしたら、そうかもしれない。わたしは、頼ってきた人を切り捨てた人間だ。友だちとして、失格なのだろう。
例の漫画家さんからも、「わたしと付き合いたいんだったらお金、ちょうだい」と言われました(おととし)。
誕生日に花を贈った当初は、猫が花を喜んでいる写真を送ってくれたこともありましたが、それも40年つづけば飽きが来る。彼女に甘えすぎて、やってはいけないこともしたのかもしれません。
最近ではネット上で、こんなこともありました。問われるままに自分の過去の傷を打ち明けた詩人から、「あなたの都合でそれを打ち明けたんだ、あなたとは軽いチャットで済ませたい」というお返事。
わたしの、何が悪かったのでしょうか。
短大の交流LINEから脱退しました。名古屋の話題を見てもついていけないし、広島の話題を振っても既読スルー。正直、こういう付き合いなら今所属している合唱サークルのシニア友のほうがまだマシです。しょっちゅう会って顔も合わせられるから。
Zさんと漫画家さん、詩人さんとは交流を断ちました。募金を募ってきた人のサイトには、一度しか行っていません。勝手すぎるかもしれないけれど、わたしにもプライドというものがあるんです。
人生の半分以上をネットに費やしてきました。
いま、ネットに投稿する人々の多くが、この「沈黙」でうまくやっていることに気付きます。
「真実に傷つけられて起ち上がることが出来ない人」もいる。
わたしも、それで「病」を得た。
それが、どうした。
発言しなければ、忘れ去られてしまう。
沈黙した父は死に、理解者はだれもいない。
みんなはこの世界に、なにを残すのだろう。
4)結論として:不死鳥のように
このサイトの目的は、わたしが小説家になるためのトレーニングジムです。
最終的な目的は、「心に残る作品を創る」こと。何度も読み返すに耐える作品を作っていく。それがファンタジーだったら言うことないけど^^;; ファンタジーって言うと「小説家になろう」的なイメージが強くていけませんねえ。
今後とも、気のついたことなどを綴っていきます。ま、雑文になろうかと思いますけれど。
以上、40年間、ネットとサイトを見つめてきたわたしなりの経験談でした。
☆来週いっぱいは、創作活動のためお休みします。
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