夫の日本一周ツーリング旅行後編

準備期間

それから数ヶ月間、正人は準備に没頭した。バイクを長距離ツーリング用に買い直し、ルートを決定し、宿泊先を調べた。生成AIとの格闘、荷物の準備、そして母への説明。すべてを終え、ついに出発の日を迎えた。

北海道編:旭山動物園とマヌルネコ

9月22日の夜、正人は舞鶴からフェリーに乗った。翌23日、北海道に上陸し、一気に旭山動物園へ。

「マヌルネコがいるから」

正人が半年前から楽しみにしていた動物だ。最初は姿が見えず諦めかけたが、帰りにもう一度通りかかったら、ようやく姿を現した。

「感極まってベンチで休んでたら、70代のおばさんに話しかけられてさ」

正人は得意げに、マヌルネコが原始的な猫で家猫とは別系統であることなど、詳しく説明したという。元IT講師の教育者魂が発揮された瞬間だ。

ジンギスカン唐揚げを食べ、旭川ラーメンの店で1時間待ち、メルヘンの丘を訪れた。しかし天気が崩れ始め、雨の中を網走まで走ることになった。

網走への道:雨との戦い

「バイクには屋根がないからね。雨の中を走るということは、ひたすら濡れ続けるということなんだ」

夜遅く、網走のホテルに着いた正人は、部屋中に衣類を広げて扇風機で乾かしていた。疲れた声だったが、どこか誇らしげでもあった。セコマでカツ丼と池田ワインを買い、なんとか一日を終えた。

悲惨な北海道二日目

翌24日も雨。青い池や富良野のフラワーランドに行きたかったが、十勝山脈では濃い霧と雨で視界が10メートルほどしかなかった。

「でも、諦めきれなくてさ。せっかく来たのに、何も見ずに通り過ぎるのは悔しいじゃない」

正人は涙目になりながら進んだという。これが北海道3日目まで続き、旭山動物園の晴天以外はずっと雨だった。

函館:五稜郭とラッキーピエロ

25日、苫小牧から函館へ。五稜郭タワーから星型の城郭を眺め、ラッキーピエロでチャイニーズチキンバーガーセットを食べた。

「チーズポテトがね、本当に美味しかった」

満足そうな正人の声が電話越しに伝わってくる。この日、青函フェリーで本州へ渡った。

青森:廃業寸前のホテル

26日、青森市の宿泊料金が高く、十和田湖の方まで行った正人。真っ暗な山道を走り、やっと見つけたのは来月廃業するホテルだった。

「壁紙が剥がれてて、床がギシギシ鳴るんだ。でも布団はちゃんとしてた」

値段は2500円。正人の逞しさを感じた。

盛岡から中尊寺へ

27日、盛岡で冷麺を食べ、道の駅で真っ白い巨大な犬三匹に出会った。サモエド、ピレネー犬、スピッツ。正人は可愛いもの好きだから、きっと目を輝かせていたのだろう。

28日は最も楽しみにしていた中尊寺へ。金色堂の美しさに感動し、弁慶餅を食べた。

「今日は本当にいい日だった。見たいものが全部見られたし」

充実感に満ちた声だった。

新潟から兼六園へ

29日、土砂降りの中を新潟へ。AIが言った「ワインディングが楽しめます」は、この天気では楽しめるわけがない。ワークマンで雨具を買い足した。

30日、ようやく天気が良くなり、兼六園へ。日本三名園の美しさに感動し、二時間かけて散策した。その後一気に福知山まで300キロ以上走った。

四国編:淡路島から徳島へ

10月1日、福知山を出発。淡路島を通って徳島へ向かった。高速料金を節約するため、一般道を選ぶ。

「とにかく、ひたすら貧乏旅行」

2日、明石海峡大橋を渡り、鳴門の展望台へ。恐怖のエレベーターで降り、海峡を一望した。昼は鳥鯛ラーメンを30分並んで食べた。

高知:坂本龍馬との出会い

3日、桂浜で坂本龍馬の銅像を見た。正人が最も尊敬する歴史上の人物だ。しかし、またしても雨。

「小雨に打たれる龍馬も、また風情があったよ」

昼は鰹のタタキではなく、珍しい鍋焼きラーメンを選んだ。泊まったホテルには昭和30年代のトランジスタラジオと黒電話があり、現役で動いていた。

四万十川と栗1キロ

4日、四万十川沿いを走り、道の駅で栗を1キロ買った。日本最後の清流の美しさに感動し、三崎港でロードバイクの人と話した。生しらす丼を食べ、フェリーで九州へ。大分に着いたら、また土砂降り。400キロ以上走って、死ぬような思いで宿に着いた。

九州編:都井岬の野生馬

5日、ついに晴れた。高速を使って都井岬へ。正人が一番見たかった野生馬。ビジターセンターの跡地で、お父さん、お母さん、子どもの三頭の一家族を見つけた。

「他の人は見れてない。俺だけ見れた」

それが正人には何より嬉しかったのだろう。そのあと佐多岬で最南端到達証明書をもらった。

最終日:帰還

10月6日、帰還の日。九州から広島まで、高速を使って一気に帰った。

夕方、玄関のドアが開いた。日焼けして少し痩せた正人が立っていた。顔には疲労の色が濃く出ているが、目は輝いている。

「ただいま」

16日間、4900㎞以上。還暦を過ぎた夫の、日本一周の旅が終わった。

「おかえりなさい」

私は笑顔で答えた。

エピローグ:旅の後

翌日、正人はスマートフォンの写真を見せながら、旅の話をした。マヌルネコ、雨に煙る北海道、五稜郭、中尊寺、兼六園、坂本龍馬、四万十川、そして野生馬。

「日本って、本当に美しい国なんだって実感したよ」

正人の声は、しみじみとしていた。

「雨ばかりで大変だったけど、それもまた思い出だ」

「また行きたい?」

私が聞くと、正人は少し考えてから答えた。

「実は、推し神がいるんだ」

その言葉に、私は次の冒険を予感した。

 


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