【おっちゃんとのダベリング2】
2025年2月8日のカクヨムのおっちゃんとのダベリング。
田島 絵里子
たとえばイエスの喩え話に、カラシ種のたとえがあるんだけど(福音書のどこにあったか忘れた こら)
おっちゃん —
ひとつひとつ覚えてる方がやべぇよw
田島 絵里子 —
小さなカラシ種が、どんどん大きくなっていって、やがて鳥たちが憩う木になるのが神の国って言うのがあるのよ(正確じゃないかもしれない……あとで聖書読みなおさないと……)
おっちゃん —
言わんとしてることは分かる。
田島 絵里子 —
原理主義はここのところをどう解釈してるのかは知らないが、わたし的には、小さな幸せを人に分けてくことで、大きな幸せにつながっていく、つまり神の国とはこの世の平和であると考えてるわけ。
復活するって言ってるのは、わたしの考えでは、今までの常識をぜんぶ捨てて(一度死んで)、新しく、幸せを共有する気概を持とうじゃないかって事なんじゃないかなと、
まあ、これは一般的なキリスト教解釈じゃないんだけどね。
おっちゃん —
いわゆる
一人の行動が周りに波及していって、想いをひとつにしていく
で、最終的には世界全体が幸せに満ちるから
それがいわゆる神の国と呼ばれるものなのではなかろうかってことだよね。
田島 絵里子 —
カオス理論ですね(笑)
これはわたしの個人的な解釈だからさ、ほかの人から見るとちゃんちゃらってことになるかもね
おっちゃん
いや、でも
その方がまだ
理解可能というか。
別に矛盾点はないよね。
例えばだけど
田島さんが「旦那さんといることが幸せ」だとして、
旦那さんも同じ思いなら「夫婦が暮らすその場においては神の国」なわけじゃん?
田島 絵里子 —
そだね
おっちゃん —
それを世界規模にしていけば
確かに世界全体が神の国と言えるよね。
確かに復活するというのを
定義し直すと
今までの常識を捨ててうんたらかんたらってのは分かる。
でも逆に今までの常識を捨てるということは、新しい常識を作らなきゃいけないわけだけど
常識がない状態から常識を作り出すことは可能なのだろうか。
例えば、悲しいこととか苦しいことが分かるから、嬉しいことや喜ばしいことが分かるみたいな話で。
田島 絵里子 —
その辺は、わたしにはわからない。
ヨハネによる黙示録では、「復活したとき、神はイエスを信じる人々の目から涙を拭ってくださる」と書いてあったけど、それは逆に言うと、全滅しちゃったら、涙もクソもないじゃんって話になる。
ヨハネによる黙示録は、聖書の中に入れるかどうかで、キリスト教内でモメた聖書だね
おっちゃん —
大問題じゃねぇかw
もしかしてだけど
神の国って
人類が最終的に辿り着くべき理想郷とかっていう
類のものなんじゃね?
誰もが自由で幸せになれるみたいな
おっちゃん
でも、さっきの田島さんの解釈は
かなりおもろいと思った
田島 絵里子
>人類が最終的に辿り着くべき理想郷とかっていう
類のものなんじゃね?
わたしは個人的に、そう思ってるよ。あんま表立って言わないのは、この解釈が人によっては、新宗教みたいに受け取られるからなんだよね……
ちなみにヨハネによる黙示録は、この世の終わりを予言した書だということになってる。読むとかなりこわい
おっちゃん —
この世の終わりがあるってことは
この世の新たな始まりもあるから
良いね
田島 絵里子
そういう人もいるけど、その終わりに神さまが出張ってきて、「おまえらを天国(この場合は天使がどーの)へ行けるかどうか、審判してやるー」っていうからな。わたしはそこまで善人ではないと思う。
自分に自信のある人たちがいて、さっさとこの世を終わらせて、天国へ行きたい人がいるんだなこれが
おっちゃん
神様ってほんと自由奔放だな
この世を終わらせる前に
お前自身が死ねよって思うけどなw
田島 絵里子
ほんまや
おっちゃん —
一個人の集合体によって成り立ってる終末論信者が
この世を終わらせるとか
傍迷惑どころの騒ぎじゃないw
田島 絵里子 —
まあ、それも
あくまで「噂」だからねえ。
ホントかどうかは知らんがな
おっちゃん —
てかそんなタイミングで神様がもし出張ってきて
天国にいけるだのどうのって判断するって
何様だよ神w
田島 絵里子
神さまでしょ(結局、天地を創ったのだから、滅ぼす権利もあるわけよね)
【幸せになろう】
結局、宗教って、人を幸せにしてなんぼだと思ってるわたしなのですよ。人を幸せにする、それが救いだと思う。
このブログを読んでる人は少ないから、言いたい放題言えるのがいいなあ。この記事、炎上案件かもしれない。
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