二〇一〇年一月二十五日 尾道・瀬戸田町・今治湯浦温泉旅行
 日曜月曜と夫が休むことができたので、二十四日、二十五日と温泉旅行に車で行って参りました。
 十一時頃に尾道に到着。駅前駐車場に車を駐め、「二代目尾道ラーメン たに」 で食事。
 尾道ラーメンは、こちらでは有名なのですが、はじめて食べます。
   
 尾道ラーメンは、魚で取っただしと豚の背脂を醤油ベースで味付けしたものです。チャーシューとネギが入ってました。
 お店のおばさんが小太りで、ちょっと親しみを感じてしまい、
「おばさん! 写真とらせて!」
 とお願いしたのですが、恥ずかしがって拒絶されましたので、あるのは店内写真のみです。
 わたしたちはミニラーメンセット。サラダ付きで、直径十五センチぐらいの小さなラーメンどんぶりにはいったラーメンでした。
 夫は日替わりラーメン。串カツにサラダやご飯付き。ラーメンは普通のラーメンどんぶりです。 
 おいしかったんですが、義母は「博多ラーメン『我馬』(がば)のほうがおいしい!」
 と主張。
 量的にも物足りず、そばの福屋のパン屋に入ってジャガイモとベーコンのチーズパンを一個ずつ、スイートポテトパイ一個を半分つして義母と食べました。太る〜。
  外に出ます。
 しまなみ交流会館に向かいます。
 二階がお休みだったので、今日は日曜なのに休むとは、と言っていたら一階はやってました。そこの学生バイトらしい二人の少女たちから地図を貰って、彼女たち言うところの「レトロな商店街」(夫:「さびれてるってことだろ!」)を見に行きます。さびれてるだけかなあ、だとしたらちょっと引いちゃうな。
 するとその道の途中で、尾道の観光巡回バスらしいんですが、珍しいタイプのバスを発見。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 乗って尾道を行き来できるのでしょうが、自分であれこれ発見するのが好きなので、このバスには乗りませんでした。
 千光寺が有名なので、商店街を通ったら千光寺にロープウエイで向かう予定です。
 でもわたし、千光寺って聞いたことがないんですけど。
 古寺めぐりも有名なためか、道の途中で西洋人を発見しました。
 こんなところにまで来るとは……。暇な奴らだ。(人のこと言える? 笑)
 写真説明:(以下の写真は、とくに説明文がない限り、夫が撮りました)
寂れた商店街入り口
 ・実家の商店街ほど広くないが、シャッターが閉まっている店がいきなり目についた。道行く人々は年寄りが多い。
 
寂れた商店街(中ほど)
 ・三十分ほど商店街を歩く。紳士服、魚の行商、銀行、仏壇、履き物店などにまじって、銭湯をアレンジした土産物屋もあった。途中に尾道の盛衰を紹介した写真パネル場もあった。義母はその写真のバスを見て、「鼻が出てる。懐かしい」と言い、子供の頃に新しいバス(現代のバス)を見て、「鼻ぺちゃバス」と言っていたと告げる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ちょっとした「昭和時代へのタイムスリップ」感覚を味わいつつ、先に進んでいきます。
 昭和といっても、三十年代ごろ。まだ情緒が豊かだった頃の話ですね。
 
 目についた商店をいくつかご紹介します。
 めずらしい景色を撮ってみました。
 まずは銭湯を改築したおみやげ店。
 大和湯というのがそのまんまなんですが、中身は全然違います。
 ちょっと拍子抜けでしたが、懐かしい雰囲気でした。
 写真を撮っていたんですが、ファイルが壊れていました……なので写真をご紹介できません。すみません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 目についた商店その2
 
・ウバ車というが、売っているのはババ車(年寄りの歩行補佐用の車)だけである。
 少子高齢化の波が、ここにも。
 
 文房具店が懐かしい雰囲気。
 ほかに、本屋も古いタイプの展示をしていた。
 
 映画に使われていたという商店街の店がどこにあったのかは不明。
 宣伝すれば儲かるのに(笑)
 いや、「出る杭は打たれる」かもしれないな(苦笑)。
 
 時代に取り残されたテーマパークという雰囲気の商店街でした。
 それなりに楽しかったです。
 又行きたいとは思いませんが(笑)
 
 さて、次です。
 写真上部二つは招き猫資料館(一軒)。
 まるで民家みたいで入りづらかったです。
 
 一番下は招き猫の石像。尾道は猫の街でもあるそうだ。海が近く、漁師たちの持ってくる魚が目当ての野良猫が多いと夫は言うのです。
 結局、この資料館には入らなかった。
 なんだか敷居が高すぎた……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ロープウエイで千光寺へのぼりました。
 千光寺で目が出るだるまを購入(一個五百円)。
 直径一センチから三センチほどの小さなだるまで、傾けると目がとびだしてくる。仕事運がよくなるそうだ。全部で二個(夫とわたしのぶん)。わたしが作家になれたらいいのにな。写真の赤い方がわたしのだるま。白いのは夫のだるまである。
 千光寺では、読経の声が響いていました。
 帰りに、とてつもなくでかい数珠を、まるで除夜の鐘のように鳴らしている人々を見た、と夫は言っていたけれど、わたしは見逃しました。
 
 
  写真:千光寺で目が出るだるまを購入、家で携帯電話(夫)とおしゃれリュック(わたし)につけて撮影。
わたしが撮影したのでピントが甘い……(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・千光寺から続く「文学のこみち」を下りながら、緒方洪庵、正岡子規などの詠んだ句が石碑に彫られているのを観察。途中、志賀直哉と林芙美子などの碑も見かけたので写真に撮りました。
 テレビドラマ「仁」のおかげで名前しか知らなかった緒方洪庵について知ることが出来た義母は、少し疑問があるようです。
「緒方洪庵は関西の人で、無理矢理江戸に連れてこられたって言ってたけど、尾道に来たことがあるのかしら?」
 夫は、「たぶんあると思うよ。緒方洪庵は蘭学者でもあったから、長崎に勉強に言ったとき、途中の中継地点である尾道には来ているはずだ。でも、句を詠んだことがあるとは知らなかったな」
 緒方洪庵の句は、以下の通りです。
「軒しげくたてる家居(いえい)よあしびきの山のおのみち道せまきまで」
 石碑には、こう書いてあります。
「名は章、備中足守の人で医学に志し江戸に下って坪井信道、宇田川玄真らに師事し長崎に於いて研修すること三年二十九歳の時大阪で開業して洪庵と号した。名声甚だ高く生徒、患者は門に満ち大阪を通る大名も必ず診察を受けたという。足守藩の侍医となりついで幕府の侍医を目背られ法眼に叙せ文久二年(一八六二年)の初夏尾道に来遊したときの作である。」
 階段が急でしかも石段だったため下りにくかったです。
 義母は足が痛くなったと言ってます。
 途中で志賀直哉の家がある、と言うので探してみたんですが、下りの階段の途中から周りを見る余裕がなくなり、志賀直哉の家がどこにあるのかわからなかったです。
 志賀直哉の碑も建ってましたが、以下はその碑の引用です(孫引きです)。
(引用開始)
「六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく、ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。
 其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の灯台が光り出す。
 それがピカリと光って又消える。
 造船所の動を溶かしたような火が水に映り出す。(暗夜行路より)」
(引用終わり)
 その碑文(説明文)を眺めつつ、尾道の絶景を見下ろします。志賀直哉は、ここから「暗夜行路」の構想を練ったのだろうか? といろいろ 当時の面影を偲びつつ、尾道の街を観察。ごみごみしていて、文学的には思えないな、と結論づけたりします。
 
 写真:文学のこみち
 
  夫は「江見水蔭(えみ すいいん)」の句も写真に撮ってます。
「覚えきれぬ
 島々の名や夏がすみ」
 石碑の文と同じ文句が、説明碑文にも載ってました。
 江見水蔭ってどんな人なんだろう? 
 Wikiによると、
 (以下引用)
 文学作品を皮切りに、通俗小説、推理小説、冒険小説、探検記など多岐に渡る分野に作品を残し、硯友社、江水社、博文館など数々の出版社で雑誌の編集発行に関わった。代表作に小説『女房殺し』、『地底探検記』、随筆『自己中心明治文壇史』、翻案戯曲『正劇 室鷲郎』など。
(以上引用)
 なのだそうです。聞いたことないけど、句は共感できますね。夏がすみじゃなくて冬がすみなんだけど。
 
 歩いて商店街を抜け、入り口に置かれた林芙美子像に気づき、写真に撮りました。
 
 ・写真:林芙美子像。ファンのかたごめんよ〜。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 瀬戸田へ。瀬戸内海をしまなみ街道で渡ります。シトラスパークが目的地。途中の島々が美しい。海の中の船が、軌跡を白く波立たせています。瀬戸内海がきらめいていて美しい。緑の島々。赤茶けた山や緑の山。レジャーボート。ミニスーパー。学校。みかんを取ったあとの木々。はっさくかもしれないけど、大きな実のなっているみかんの木もあります。
 
 シトラスパークに2時半頃到着。
 がらんとしてます。日曜日なのに、人がいない……。景色はいいけど……(写真)入場は無料。
 柑橘類が安く買えるか、と期待しつつ入ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真:だれもいないシトラスパーク
 
 パビリオンへ。パビリオンの中には柑橘類の展示が。臭いライム?(写真) 仏手柑(ぶっしゅかん)という珍しい柑橘類も鑑賞。
 でも、それだけ。それ以上はなし。香りの館もつぶれていたし、直売店も中の店はなし。
 
 入り口で売られていたのはスイートレモン。インド原産の、甘いレモンだそうな。
 
 
 
がっかりしてホテルアジュールへ向かう途中で案内看板を発見し、平山郁夫美術館へ。喫茶店で休憩。三時頃だったので、「ガトーフロマージュ」というチーズケーキセットを頼んだ。チーズがたっぷり入っておいしかったです。900円だが入場券の添付割引があって10%引きでした。
 しばらくシトラスパークでがっかりした、という話で盛り上がり、ハコものさえ作ればいいという政府の姿勢に怒りをぶつけておりました。問題はサービスという点に夫と義母が賛同。
 やすんだあと、さまざまな絵を見る。椿の絵が印象的でした。小学四年であのレベル。すごすぎる。ところが平山は、「何をどう書いていいかわからない」という時期があったというのです。正直さにびっくり。そして、こんなすごい絵が描ける人でも、スランプがあったのかと思うと、身近に感じました。なかなか上達しない絵や文章でも、すぐあきらめてしまわないでがんばってみよう、と思うようになりました。やったるで。
 
  写真:買った絵はがき。アメリカの友達に贈る予定。
 
  四時頃ホテル「アジュール」に電話して、到着が遅れる旨を伝えます。食事は六時にセッティング。夕日がまぶしい。車があまり通ってません。島々がきれいで盆栽みたい。
 今治に出る。渋滞になる。眼鏡の三城、ドコモ、さびれた酒店、なぜかどんと構えているトンカツ屋、胃腸科の病院、栗タルトのお店、ガスステーション、喫茶店(オーガニック)、石鎚神社まで五キロの看板、吉野屋、「わからない」が言えるパソコン教室の看板、モスバーガー、眼鏡市場などが目に入る。トンカツ屋はともかく、年寄り臭いという印象。
 とうとう四国に入った。陸続きで四国まで来れたと実感するな、と夫談。四国にも三菱自動車のディーラー店がある。テナント募集のコンビニ跡。薬屋(メディコ21)、お城のような民家、田んぼ、今治市東消防署(シャッター閉じている)
 
 やがて湯浦(ゆのうら)温泉の文字が目に入ってくる。4:02分到着。
 
 6時の食事時までシトラスパークについて語りあいました。日本ではTDLとUSJが成功を収めており、JALのホテル稼働率はこの二つがTOPであると夫は言うのです。サービスとノウハウはアメリカの方が上かな。と夫が言うので、
「宣伝力はTDLが一番だね」、とわたしが言うと、「そりゃ、経験値が違うもの!」と夫。そもそも施設を作ったとき、海沿いで拡張できるように作ったところが勝因だったのだ、と言うのでありました。
 
 5:50食事。写真はその食事のメニュー。レストランで食事をしたのだが、その途中のエスカレータでブック・クロッシングの宣伝をしていた(公式ゾーンのようです)ので、食事が終わったあとにラウンジへ行って「ルパン」関係のポプラ社の本を三つゲット。わたしの持っているBC本を、こちらに送ることにしました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 食事はタイづくしでした。タイの刺身、タイの塩焼き(脂がのってておいしかった)、タイのお吸い物、タイの釜飯。
 この近くにタイの取れる来島海峡があると夫は言います。海峡の海流で、身が引き締まっておいしいと評判なんだって。ここでも夫はシトラスパークについてがっかりした、と繰り返します。よほどショックだったみたい。ここまでひどいとは、わたしも思ってなかったけど。ビール(中生)を一杯飲みました。おいしかった。
  平山美術館の近所の果物屋さんで、シトラスパークが三回つぶれた話を聞いたことを夫に言いました。税金の無駄遣いだと思います。ぜひ、仕分け事業でつぶしていただきたい、と知事にお願いしたいです。
 
 帰ってすぐに風呂に入り、疲れて八時頃から爆睡。喉が渇き、二時頃起きました。義母いびきひどし。再び眠ります。新潟の男の子と東京の男の子がBC(ブック・クロッシング)する夢を見ました。
 
 6時頃起床。風呂に入り、七時ごろ朝食。メニューはバイキング(写真)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
           夫は「ひと皿で全部取れ!」と言うのですが、わたしは二皿になってしまいました。
 
 8時頃までじっくり食べる。8:40頃出発、かきめし鯛うどんの看板を義母が見つける。鯛麺なら知ってるという。鯛の出汁で作ったソーメンなのだそうだ。鯛うどんなんておいしいのかと首をかしげている。
 そのまま出る。
 
 朝食中に「天空の城ラピュタ」のテーマがかかっていたことが、車内で話題に。宮崎駿が原作をアレンジする能力について、いろいろ話をすることに。ダイアナ・ジョーンズは原作を変えても気を悪くしなかったし、宮崎駿のおかげで本もずいぶん売れたという話になりました。映画化されるにあたって、それほど原作者と駿の間でモメたりしなかったようだという夫。原作者は映画でもうけるより、本が売れることを由しとしたのだと夫は言っているんですね。駿の好みそうなのは「獣の奏者」エリンだが、あれはNHKがアニメ化したからなーと言うので、「たぶん、原作者が宮崎さんを嫌ったからじゃないの?」と勝手なことを言っているわたし。だって上橋菜穂子さん、エリン関係の紹介をしていた書評テレビの中で、「子供の頃だけが特別なのはおかしい」とか、「努力することが大事で、肝心なときに超越者が現れて解決するのはおかしい」と言っていたもんなー。宮崎駿は、この二つは譲れないだろうし、(トトロとか「神隠し」の神々とか、超越者が出てくるアニメを作ってる)上橋菜穂子も、おかしいって気持ちのままでアニメ化されたくはないだろうと思うのです。
 その点、ナルニアのC.S.ルイスと指輪物語のトールキンが対立した話を連想させる。ファンタジーへのアプローチの仕方がちがっているため、二人は決別したそうな。だから一口にファンタジーといっても、「予定調和」型と、「努力型」との二つがある……ということになっている、とわたしは本やテレビなどで聞きました。ほんとかどうかは知らない。
 
 来島海峡でトイレ休憩。シャッターの絵がかわいかったので写し取ります。KURUSHIMA KAIKYO OHASHIと書かれたほうのシャッターは、人がいたので撮れなかった。四国でのガソリンは132円。広島では119円で、高いなーと思います。栗タルトに代表される夏目漱石の「坊っちゃん」のお菓子は、あまりおいしくないんですよね。ただ、鯛はおいしかった。四国では、すり身をつぶした薩摩揚げを「天ぷら」といい、天ぷらうどんというと「じゃこ天」が入っているのだそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     
 瀬戸内海の橋がぴかぴか光っています。ネオンのよう。船に警告するためですが、義母はふしぎがっている。知らなかったもよう。来島海峡第一大橋を抜け、おのみち映画資料館に向かったが、雨が降ってきたためそのまま自宅へ帰りました。11時半ごろ広島に着き、そのままエッセイと写真コラージュをして、その日の内に完成させました。。

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