2009/12/06 石の上にも三年 

 どんな仕事も、最低三年は続けないと基礎は身につかないそうです。
それをことわざで言うと、「石の上にも三年」。
どんな冷たい石でも、三年も座ってたらあったまってくる、という意味なんですが、わたしの場合、基礎を作るまでの時間が異様に長い。。

 普通の人なら三年でモノにできるだろうに、六年経ってもぜんっぜん創作の基礎ができてない……。
矛盾なく作るのが、なかなかできないんですよね……。

わたしには一つの信念があって、ノンフィクションよりフィクションのほうが難しい、という信念です。
ノンフィクションは、適当に自分の視点とか入れるだけで、素材勝負のところがあります。手間がかからないと思ったのです。
そしてフィクションのほうは、現代小説よりもファンタジーのほうがレベルが高く、難しいと思ってました。
現代小説は、ノンフィクションの延長線上にあるので、それほど苦労はしないだろうと思ってたんですね。

 でも、四十五を目の前にして、フィクションもノンフィクションも、同じように大変だってことがわかってきました。
ノンフィクションは、当事者がいるので、下手なことは書けないですよね。
フィクションのほうは、つじつまが合わないとシラケてしまいます。
よほどひねった設定で、「それはあり得ないだろう」というストーリーでも、技巧を凝らせば楽しんでもらえる。そしてわたしは、その技巧がへたくそなのでした。

 六年もやってるのに、進展がないなあと絶望感に駆られます。
まあ、途中で病気になったり、体力や気力が続かなかったり、いろいろしてるから、仕方ないんだけどね……。

 なので、石の上にも三年どころか、石の上にも十年くらいかかってしまいそうです。
おまけにわたし、典型的な快楽主義者で、楽しいことしかやらないって性格だからな……。

 最近TRPGのセッションをするようになって、創作上のコツみたいなのも、なんとなくわかってくるようになりました。
盛り上げ方とか、敵の設定とか、困難の乗り越え方とかいろいろです。
究極的に言って、お話ってのは、主人公の苦労話。
このエッセイも苦労話の一つとして、もっとおもしろいモノになるはずなんですが……。
まあいいや。石の上に十年居座ってやりましょう。いつか一人前になれるはずだもの。

 

 


 二〇〇九年十二月七日 マジックをしたことが、ありますか?
 クリスマスや忘年会でイベントと言えば、定番はカラオケやマジックということになります。浅岡家に嫁いで以来、その手のイベントにはほんとうに縁がなく、親戚同士でカラオケに行っていた時期もありましたが、それも飽きてしまって、最近ではトランプが正月のイベントになってます。

 そんなわたしも小さい頃は、パーティに出席したことがあります。といってもクラスメイトのパティには一度も招かれなかったし、学校のクラブのパーティもなかったし、教室でパーティのイベントがあったわけでもありません。
教会のイベントに、参加したのです。

 そのころわたしは中学生ごろで、たしか手品がかなりはやっていた時期でもありました。手品の種が安価で、身近に売られている時代だったと記憶しています。
わたしの演目の手品は、ステッキの中身が花になるという、超簡単な手品でした。
ステッキの柄をひっぱると、しゃらーん! 花束がでてくるという、誰でもできるマジックです。
それを手に、意気ようようと教会のイベントへ。

 ここで、長老派の教会のイベントがどんなものなのか、ちょっと説明しておきましょう。まず、長老が中心になって、教会の児童館に、きらきら光るツリーやモールが、室内に飾られます。児童館はだいたい三十畳ぐらいあるでしょうか。一見したところ、ちょっとした会議室のようにも見えますが、いすは子供向けで小さいし、テーブルも足の短い長机が並んでいます。東側と西側に出入り口があって、舞台に出る人は東側の入り口から幕下に入り込み、緞帳のおりている中を上手から下手の方へ移動します。
緞帳は赤黒い色をしていますが、メリー・クリスマスと書かれた雪色の文字が飾られており、その前に幼児用のいすがずらりとならべられているのでした。

お昼の立食パーティが終わると、さっそくイベントが始まります。
イエスが生まれるまでの紙芝居をするもの。
民話の演劇をするもの。
ピアノ演奏をするもの。
歌を披露するもの。
毎度おなじみ、ビンゴゲーム。
いす取りゲーム「フルーツバスケット」。
考えてみると教会のイベントといっても、結構お金のかかった、おもしろいイベントでした。

わたしの手品のほうですが……。まったく、ウケませんでした。
そりゃあまりにも簡単すぎたのと、話術が巧みじゃなかったからです。手品ってほんと、難しいです。もう、やらないと思うけど、懐かしい思い出です。

 


二〇〇九年十二月八日 最近見た夢を教えてください
 最近、どんな夢を見ましたか?
 わたしは、みょーな夢ばかり見ています。

 たとえば、若かりしスーパーマン(ことクラーク・ケント)が、地下の世界で友達を作るんですが、その友達というのが身長十五センチの小さいひとたちの群衆で、地上世界を侵略しようとしているんです!

 そうとも知らずクラーク・ケントは、その小さいひとに、地上に出るための秘訣を教えてあげようとします。高校の友達(それがみんな、パンクな連中)と一緒になって、地上に出るための機械(戦車)を作ってあげたりしています。

その機械を作るのに、「ちょっと待っててくれ」ってクラークが言うのも、小さいひとたちが「ちょっと、の時間が長すぎる」(住んでいる世界が違うので、時間の流れ方が小さいひとのほうが早い)という会話をしているのですが、ご丁寧にもぜんぶ字幕つき(笑)

 そうして、とうとう、機械が完成し、小さいひとたちが地上に侵略を開始しました。
クラークはそれを見て、機械をぶっ壊そうとする……
というところで、目覚ましが鳴って、おしまいになりました。

 変な夢ばっかりですね!
字幕付きで、音声が英語ってところがまたなんとも……(笑)
海外ドラマの見過ぎかなー。

  宇宙を創造する夢を見たり、宇宙船が分裂する夢を見たり、いろいろ突拍子もない夢を見るんですが、予知夢は見たことがありません。

母が亡くなったとき、その数日後に真っ白の和服を着た母が、夢の中で渡しと見つめている夢を見たことがあります。
「死んだ後でも、きみのことが心配なんだよ」
と夫は言います。そうなのかな、と思うと、嬉しいんだか迷惑なんだかよくわからない感情が胸の中でうずまいたものでした。

 今の、クラーク・ケントの夢を夢占いにかけてみると、
「価値観の違う人たちや夢主が日頃から感じている違和感のようなものをあらわします。
また、これまでと違う生活状態や非日常的な人間関係を暗示します」
とネットに書いてありました。ちなみに戦車が出てくると、ストレス状態だそうです。
ついでに書いておくと、母が出てくるのは、保護を必要としている状態や、ストレスにサラされている状態を指すのだそうです。
わたしって、いつもストレスにさらされてるの?! ほんとかねー。


 

二〇〇九年十二月九日 好きなゲームはなんですか?

最近、近くのショッピングモールに行く機会があって、そのショッピングモールでは毎年、シールを集めて応募すると、いろんな商品をもらえることになっているので、応募してきました。
たとえば、今年は、シール3枚で応募するブロンズコースでは、iーPod nano8GBや、流行のタジン鍋、電設のマンゴーチーズケーキからシネマ鑑賞券、お買い物券、任天堂のDSiまで、ずらりと並んでます。

 ちなみにシール5枚で応募するシルバーコースでは、うるおいエアリッチ、テレビ地球儀、デジタル液晶テレビ、デジカメ。
シール10枚で応募するゴールドコースでは、流氷を見る四日間の旅ファミリー旅行券、阿蘇のロイヤルコテージ二日間のファミリー旅行券(レンタカー付き)、東京への旅とカニを食べる京都のお宿炭平宿泊二日間コースが用意されています。

 シールは、初期は二千円未満からですが、それ以降は千円単位でお店ごとに一枚ずつもらえます。
わたしと義母は、無印良品や百円ショップに行って、化粧品などを購入して、四千円分のシールをゲットしたので、三枚シールをもらえました。シール三枚はブロンズコースに応募できます。

それで、ブロンズコースにあるDSiに応募しようかなーとか思いつつ、応募箱のまわりをウロウロしていました。すると義母が、そこの箱に表示されている、国産牛のすき焼き肉(530g)に素早い目を走らせ、
「このすき焼き肉にしよう!」
ときっぱり言い切ってしまいました。肉は義母は好きじゃないんですが、夫が肉が大好きなのです。それに、すき焼きってずいぶんやってないし。
ゲームもやりたいけど、肉もいいなー。
と思ったので、肉の方にふらふらっと応募してしまいました。

 とはいいつつもDSiのほうには、「トモダチコレクション」というソフトもついてきていて、これがけっこう楽しそうなので、やってみたいなーと思ったりも、しています。
わたしの好きなゲームは、オンラインゲームだったら「女神幻想ダイナスティア」ですが、オフラインのDSソフトだったらそうね、美文字ソフトかな。
美文字ソフトは、いちいち、「あれがダメ」「これがダメ」って言ってくるのはいやだけど、きれいに書いたらちゃんとほめてくれるのです。でもこのソフトで字がきれいになったって実感は、あまりわいてきません……。

 お金持ちじゃないので、一個五千円とかするソフトをたくさんは買えません。
ほんとは、ソードワールド2.0ノベルゲームってのをやってみたいんですが……。
お金持ちに早くなりたいわたしなのです。


更新 二〇〇九年十二月十日 あなたのケータイ予測変換聞かせて!
 と、自分で書いていてアレですが、ケータイメールをやったことがありません。
 そもそも、相手がいないんで……(笑)
 ケータイ予測変換って、どんなものなのか、多少のことしか知らないんです。

 パソコンで文字を打っていると、時々、文字打ちの最中に文章が出てきて、「これからこの文字を打つんですか?」ってかんじになるんですが、ケータイ予測変換もそんな感じなのかな。

 たしかに、いちいち同じことを書かなくてすむから、便利といえば便利だけど……。
少々、文章というものを、舐めてないかなと思います。
考えずに先を察してくれる機能があるということは、脳を使わなくなるので、脳が退化しやしないかとも考えたりします。

 こないだテレビで、日本語の読み書きができない若者が増えているっていう報道をしていました。文章を、まともに書けない人がいるのだそうです。
たとえば、「ぼくがこの本を面白いなと思ったのは、目次でした」
という文章を、平気で書いちゃう人がいる。
それをいうなら「目次を読んで、興味を引かれたからです」と書いた方がすっきりしますよね。
そりゃ、わたしもまともな文章を書いてないって言われることもあるけど、こういう文章は書きません。
それもこれも、ケータイの文字打ちのせいだっていう学者もいます。

 ケータイメールでは、文字数が限られているので、少ない言葉で刹那的なやりとりをすることになります。説明不足になりがちなんですね。

 ケータイ予測変換だって、自分の考えを先回りしてくれるんだから、文章を考えようって気になることは、普通の人はたぶんないんじゃないかなと思う。
最近はやりのツイッターという、全角百四十文字のつぶやき系ブログがはやったりするのも、文章をまともに書けない人が多くなってるからかもしれません。

 文章を書けない、ということは、考えることが出来ないってことです。
わたしも、文章を勉強してよくわかったんですが、書くという行為は考えることと同意義なんですね。
これをこう書いたらわかりやすいのではないか。
こう表現したら、もっと端的に言い表せるのでは。そう考えつつ、文章を書く。
それができないなんて、不幸です。
だから法律でメールに税金をかければいいのに、そうすれば考えて文章を書くようになるだろう、と思ってしまうわたしなのです。 

(当分エッセイは中止します)。