ITリーダー顛末記

 二〇〇三年に、広島市でIT技術を持つボランティア講師を募集していた。それまでにわたしは体調を崩して仕事を辞め、十年以上ずっと家に閉じこもっていたので、夫が、
「スキルがあるんだったら世の中に役立てればいいのに」
 とためらうわたしを力づけてくれた。
 そういうわけで、わたしはITリーダーとして三日間、S公民館でボランティア講師をすることになった。
その当時はインターネットが普及し始めた時代であった。市としては、IT立国をめざす国の政策もあって、インターネットのさらなる普及を推進したかったらしい。わたしに、ネットのことを生徒に教えて欲しい、と市から要請があった。わたしは一応HTMLも使えるので、その程度ならたいしたことはないと軽く請けおった。
 しかし、いざ、やろうとしてみると、これはなかなか難物であった。
 映像媒体がほとんどない時代である。YOUTUBEやニコニコ動画など存在しない時代。文字ばかりならんでいるインターネットをやって、なにが楽しいのかと受講者たちをしらけさせるわけにはいかない。
 つぎに、パソコンの文字うちを練習させなければならない。ネットの検索方法を教えることは無論やらねばならない。検索の基本となる、文字うちができなかったら、インターネットはつまらない、とわたしは痛感していた。事前調査によると受講者は三人で、そのうち一人は五十代の女性であるという。タイピングなどやったことはない超初心者ばかり並んでいるのだ。教える側としては、楽しくてためになる授業をしたいので、受講者が苦痛になりかねない文字うちの授業をどうするか、頭を悩ませるところである。
 最後に、どの程度まで授業が身についたか、確認する必要があった。
 やりたくないとは思ったものの、講座の最後でテストをすることにした。
そして、インターネット上で楽しいサイトを見つけて、そのサイトで教養を深めてもらい、また、遊べるサイトを見つけてマウスに慣れてもらい、文字うちは俳句をわたしが読み上げて、その俳句をパソコンに投入してもらう、ということを思いついた。
 俳句なら短いし、気軽に始められる。ついでにいうなら、教養にもなる。
 遊べるサイトはマウスをクリックしたりドローしたりすると、絵が変わったり動いたりするサイトを選んだ。(当時は子供向けのサイトとして、そういうサイトがあったのである)。
 また、検索の楽しさを知ってもらうために、NHKでやっていた「みんなのうた」関連のサイトを紹介した。スベスベマンジュウガニという、名前だけ聞くとなんだかよくわからないけどおもしろいカニを紹介することにしたのだ。
 そして無論、インターネットの歴史も紹介することにした。米ソの冷戦時代にできた、アメリカのアーパ・ネットというのが基本にあること。その当時は汎用コンピュータという、大きな冷蔵庫みたいなコンピュータが主流で、そいつに核ミサイルがつっこまれたら首都機能が途絶えてしまうので、コンピュータをあちこちに分散する必要があり、それがインターネットの基礎的な技術を養うことになったのだ。
 そんな話を実際にやってみたのだが、どの程度まで理解してくださったのか、わたしにはわからなかった。別にネットの歴史なんて教える必要はなかったかもしれないのだが、せっかくインターネットに興味を持ってくださっているのだから、知っていることはできるだけたくさん教えてあげたかった。
 それだけでなく、みんなの興味を引きそうなサイトを紹介し、顔文字など、実際に役立ちそうなサイトも、ネットにあることを教えてあげた。
「これ、楽しい! 孫に教えたらきっとよろこぶわ!」
 顔文字サイトを見ながら、五十代の女性が大きく顔をくしゃくしゃにして笑いながら、楽しそうにネットを検索している。
「ネットって、いろんなのがあるんですね!」 そう言ったのは、わたしと同い年ぐらいの女性である。今回受講してくれたのは、女性が二人、男性が一人という構成だった。男性は、必死で検索に挑戦している。
 受講者には、サブ講師として、スキルのあるボランティア講師がついて、受講者の手助けをする。今回、受講者が楽しいサイトやスベスベマンジュウガニのサイトにたどりついたのも、このサブ講師のおかげである。
「こういうサイトにたどりつくために、ぜひとも文字うちに挑戦していただきたいのです」
 わたしが言うと、みな、身を乗り出して文字うちに挑戦してくれた。単調なキーボードの練習でも、俳句を読み上げてそれをパソコンに入れるという試みがおもしろかったらしく、わたしの口元に注視が集まる。
 数々の俳句を打ってもらい、キーボードの練習ソフトがあることを紹介。
「買いたいんですが、おすすめは」
 と聞かれて、
「市の要請で、特定のソフトの紹介はできないんです」
 と答えなければならないのは、無念であった。
 こうして楽しく授業が終わり、テストもみな、成績がよく、
「日数が物足りない。続きをぜひやりたい」
 という声があがったので、サブ講師たちと一緒に、サークルをひらくことになった。
 わたしは若輩だったので、年配で経験も豊富なNさんという男性がサークルのリーダーになった。ほかにわたしとFさんという女性の方がサブ講師となったのだった。
 生徒たちは次々に訪問してきて、彼らの知らないことや困ったことは、わたしたちが対処することになった。
 セピア色の写真を、カラーにしたいんですと言ってきた人がいたり、パソコンの調子がおかしいんです、と困った顔で相談されたり、いろいろな訪問者がいた。
 パソコンをつけっぱなしで帰ってしまう人や、雑談ばかりしている人もいた。
 保育所の経理を任されたのだが、かけ算のしかたがわからない、とエクセルを持ってきた人もいた。
 ワードやエクセルを使った講習をつづけていくうちに、思いもよらぬ横やりが入った。
 Nさんが、サークルの解散を宣言したのである。
「どうして」
 あんなにみんなが喜んでいたのに、とわたしが驚いて言うと、Nさんは、
「市側が、サークル活動をするなら、イベントに参加しろっていうんだが、そのイベントのアイデアが出ないんだ」
 と言うので、
「そんなの、みんなで考えればいいじゃないの」
 というと、
「でも、訪問客は日によって違うし、固定客がいるわけでもない。第一、おれたちのやってることは、民間の圧迫だっていうひともいるんだよ」
 Nさんは、苦渋の顔で言った。
「民間の圧迫?」
 言っていることがよくわからない。
「お金を取ってワードやエクセルの説明をしている民間から見ると、おれたちは無料で説明してるからね、それでだよ」
 Nさんはそう説明する。
 わたしはがっくりくるのを感じた。たしかにお金を取って教えている側から見れば、われわれのやってることは問題があるのかもしれない。だが、それなら教育の質をあげればいいのである。ボランティアとはこう違うんだ、と示せばいいではないか。
 Nさんは、いろいろな妨害にあって、もはやサークルを続けるつもりはなくなってしまったようだった。
 わたしはそのS公民館を去り、別の公民館を探した。もちろん、ボランティアで地域の人たちに、技術の還元をするためである。
 わたしはIT技術を、ただで手に入れた。もちろんコンピュータ学校には行ったが、それはプログラム関係を学んだのであって、インターネットを学んだのではない。ただでもらったものにお金を払ってもらうなんて、そんなまねはできそうになかった。
 幸い、I公民館で、同じようにパソコン講習を目的としたサークル活動がある、という情報を得ることができた。
 わたしはさっそく、そのサークル活動に参加した。複数の講師を含めて二十人ばかりいる、かなり大きなサークルで、活動も活発そのものである。公民館側のイベントにも積極的に参加している。
 その後公民館使用が有料になり、経済的になりたっていかなくなったため、わたしはボランティアをやめざるをえなくなった。しかし、その当時の人たちとの交流はいまだに忘れられない思い出になっている。
「お金が許せば、またぜひ来てください」
 講師だけでなく、受講者もまた、そのサークル活動で生き生きと輝いていた。
 わたしの知らないいろいろな情報を教えあい、はげましあって過ごした数ヶ月間は、わたしの貴重な思い出である。
 そして思うのだ。いろいろな理由でやめていく人も多いボランティアだが、続けていくことで、地域の人たちも助かる。ITリーダーをやっていてよかった、と。
数年前に広島で公募されていたボランティアでのIT講師に応募し、講師としていろいろなことを悩みながら、三日間の授業をやりとげた。受講者は三人。サブ講師ととおに講義をしたのだが、少しでも授業に興味を持ってもらおうと、いろいろ遊べるサイトを見つけてきたり、顔文字やスベスベマンジュウガニという、わけのわからないカニを検索させて興味を持たせた上で、一番退屈な文字うちに挑戦させた。文字うちのときには、俳句をわたしが朗読し、それをパソコンに討ってもらうということを考えついた。
 それだけでなく、インターネットの歴史についても触れてみた。受講者たちは「日数が足りない、もっと受講したい」といい、わたしたちもそれにこたえて「パソコン悩み事サークル」を発足。ところが、民間圧迫という思わぬ横やりが入り、わたしたちのサークルはつぶされてしまったのであった。
 今では懐かしい思い出である。